つぎは「鼻オシャレ」の時代!2009年03月26日 18:48

まことにもってお恥ずかしい限りだが、私は小さい頃、大人になったら女の人はみんな「由紀さおり」か「ちあきなおみ」「あべ静江」「辺見マリ」、せめて「沢たまき」くらいにはなるもんだと単純に思っていた。

目の前の「大人の女性・母親たち」はまったく別で、団地の中にもそんな女の人いやしなかったが、「ナチュラルメイク」がやってくる前の時代、通勤のOLさんもデパートのお姉さんもTVアナも、それなりに「プチ由紀」だったり「プチちあき」だったりしたんである。
いやはや、「子供の手を引いている『お母さん』というのは『大人の女の人』とはまた別の『お母さん』という職業」と思っていたし、そんな時代であったのだ。今のセレブな母娘なんて、いったいどこの海でとれたもんよ(笑)。

何せ、見よ我が母。
同じ小学校で、私は生徒、彼女は産休のピンチヒッター教員をしていたのだが、ふだんはノーメーク・ジャージ姿でも、卒業式の日になると、壇上で、等身こそ違えど(だいぶん)「プチ・由紀さおり」していたではないか。
ふだんはひっつめていた髪も、ロングに垂らすとそれだけで
「せんせいびっじーん!!」
と生徒からどよめきがあがったし、それが
「壇上だから・ライト浴びてるから・お化粧してるから・ロングスカートだから」
とゆーチェック機能はまだ付いていなかったのですな(笑)。

ティーンズ時代はまだ「子供はすっぴん、ニキビであたりまえ!」という野生時代だったし、大学行ったら美術系で、男子に混じって土ぼこりの中エッサカホイサカ、メイクどころの騒ぎじゃなかったもんな。そのあと半分力仕事系の会社行って、すぐ「メイクでベタが塗れるか〜!」の漫画やイラストの世界に入ったんで、すっぴん、ボサボサ髪、ジャージであたりまえ、だいぶん「由紀さおり」さんや「ちあきなおみさん」とは縁遠い世界に生きている。
ただほんのいっとき音楽界の「ヴィジュアル・プランナー」なんての掛け持ちでやったんで、その時はしんどかったです(笑)。あんなピンヒール履いて、よく歩ける、以前に「よく気絶しない」もんだ(笑)。

ただ、あれ?と思ったのは、わたし「ちあきなおみの世界」というNHKの特番DVDを宝物のように持っているのですが、名曲「喝采」が日本レコード大賞を受賞した1973年の紅白、ちあきさん、つけまつげバッチリ、メイクしっかり(どんなにカメラが下から眺め上げても毛穴ひとつ見えん)、髪のセットもピッシリなのだが・・・・

「爪」

これが、マニキュアもしてないし、長く伸ばしてもないし、ああ、「洋風ネイルメーク」って考えたら割と新しいジャンルだったのね。
あれだけ「ちあきさん」が『ちあきさん』してるのに(ヘンな日本語だ・笑)爪だけすっぴん。数年後に磨きは入りますが、マニキュアはわりと後期になってからです。

平安時代のやんごとなきお姫様たちは「ほうせんかの花で指を赤く染めて」おしゃれしてたそうだが、「源氏物語」の末摘花の君は鼻の先が赤いからって、笑いものにされて可哀そう。

そのうちくるよ、「トップノーズ・メーク(パッチ・アダムスではない!)の時代」が!
(私の予言はたいていあたるのだ、20年くらいで。見よ、男の和服も「豊島園の回転木馬」も、さびれていた「浅草花やしき」もちゃんと流行ったではないか・笑!)
「いいなー今日の『ノーズトップのブルーラメ』、ワインルージュにあってるー。」
「うふっ、バレンタインだから『レースとベルベットの付け鼻』なのー。」
なんて。

そのころきっとまだ由紀さおりさんは現役だろうから、ホワイトシルクの付け鼻できめていただきたい(笑)、いや、ホント。