文字、名前、助数詞2009年08月31日 12:57

戦後、文部省で日本の旧漢字を簡素化して(學→学・樂→楽みたいに)「当用漢字」という教育枠を作った。それまでの本なぞはルビふっていて、子供でもけっこう講談本など読めたのであるが。それぞれの分野から「偉い先生」が国語審議会委員として集められて、喧々囂々侃々諤々していた。何しろ枠は数が限られているからね。
で、「魅」という字が落っこちる寸前だったのが、井伏鱒二さんだか大佛次郎さんだかが、
「『魅』の字が無くなったら、日本語に『魅力』がなくなっちゃうなぁ」
とボソッと言って、この字は残ったのだ。あっぱれである。
十数年くらい前に「人名漢字枠」が広がり、私の同級生の何人かは「こずえ→梢」に、「美砂子」→「美紗子」というふうに、親が本当につけたかった名前に改名したという。

あ、そういえば中島みゆきさんが歌手として初の国語審議会委員やったんだ。1998年だっけ1999年だっけ。

大学の時の後輩が、「お父さんが人名研究家」とのことで「優しく育つ・女の子の人命名辞典」というハードカバーの本をもらったことがある。
なぜ女子大生に・・・?(笑)
我が家は子供を授からなかったが、若い頃「男の子が生まれたら『四方介(よもすけ)』とつけよう!」と真剣に思っていて、ドッコイに却下された。(笑)
以来TVゲームで「主人公に名前をつけよう」と設定されると必ず「よもすけ」である。ちなみにヒロインは「赤毛のアン・トニオ猪木」である(古いな)。

私の母は草冠が離れた旧漢字の「++の下に方」なのだが「芳子(このパソコンでも出字不可能)」となっていて、父の遺産相続、であっちのお役所でダメ、こっちのお役所でもダメで、かなり難儀をしたようだ。「旧漢字命名世代」が生きている内は、有効にしてくれなきゃ困るじゃない。親が「この子に幸あれ」と一生懸命考えてつけたものなんだから。

名前、この不思議なもの。

尊敬する漫画家の萩尾望都先生は、小学校まで「望都子』だと自分も周囲も思っていたが、中学に入学するときお役所仕事の書類で初めて自分が「望都」だと知ったという。

日本という国は世界の言語の中でも際だって「助数詞」が細分化されていて、(日本語留学生泣かせ)馬は「1頭」、ウサギは「1羽」、豚は「1匹」、魚は「1尾」、タンスは「1棹」、靴下は2枚で「1足」、本当にきりがない。
ゴジラは1匹なのか1頭なのか(笑)。

しかし、名前、このとてもとても不思議なものには「助数詞」がないのである。

中島みゆきさんの歌「命の名前」には
「命につく名前を『こころ』という」
と言う歌詞があるのだが、人間は「何人」なのに、名前には「助数詞」がない。

きっと言葉では数えられないほどに尊いものだから。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック