「秋じたく」2009年08月25日 03:10

ようやっと、今週あたりから涼しい風が吹きはじめ、また来るであろう「残暑」におびえながらも、そろそろ秋のしたくである。

昨年まで一張羅で着ていたチャイナ・ジャケッツは、病院で無くしてしまい、秋刀魚がらのいなせな手拭いは入院中に誰かに盗まれてしまった。気に入っていたZINGALOのキャップは聴力検査の日に市民病院で無くしてしまい、今日はバスカードを落とし、どうも脳炎が完全には治っていないらしく、ここ半月ばかりは「無くし物づくし」である。(命と財布は落とさないぞ!)

珍しく「午前様(もちろんシラフで)」でなく10時代(!)に帰宅したドッコイは、こんな日こそパソコンで遊びたいだろうに、疲れがたまっているのだろう
「その前にちょっと横になろうか」
と言った直後、もう白河夜船である。

公社団地なので、網戸は特別サイズで、「どうせ2年くらいで引っ越すからいいだろう」と買わずにいたが、気が付けばもう住んで6年、この夏は蚊取り線香の缶まで行方不明で、(一応「ぶたさんの蚊やり入れ」はあるのだが)刺されっぱなしである。しかもかゆみ止めも行方不明で(たぶん使用期間も切れている)これはさすがに買ったが、「あせも」に「蚊」にと、やたら「カユイ夏」だった。

養母の残してくれた土地は、建築基準法が変わってしまったので、地盤が弱く、基礎固めの工事だけで1千〜1千5百万かかるという。その「5百万の差」ってずいぶん違うじゃんか!と心中思いつつも、とにかく金策を練っている。なにしろ我が家は「もういい年いった貧乏な夫婦」なのであるからして(苦笑)。

大学生の頃は「百円玉があと何枚」の感覚で生きていたし(しかも日本画の画材は高い!)、卒業から5年ほどたった頃、自由業(漫画家とかイラストレーターとかデザイナーとか映画監督とか脚本家)+編集者になった者たちで集まって、焼き肉屋で同窓会をしたのだが、
「もう2皿追加!」
の注文をした時に、ひとりが
「やっと、『財布の中身と相談しながら注文しないでいい生活』になったなぁ。」
と言い、みんな相づちをうった。
「自由業」の「自由」とは「どこかでのたれ死にする自由」である。

薄給とはいえカタギの勤め人と一緒になった私である。(しかし外国の戦争に巻き込まれて、「今月給料出ないかもしれない・・・」と言われても動じない日々ををくぐり抜けてはいるのだが)
「寝相が悪くてはみ出している子供の肩を、そっとふとんをかけ直してあげる」ように(なんてまるで橋田壽賀子のホームドラマじゃないか〜〜〜!!!と考えつつ)、とりあえずドッコイの下敷きになったタオルケットを有無を言わせず引っこ抜いてかけ直す47才の私が、ここにいる。

おのれ「ギョウザ屋・宣伝カー」!2009年08月25日 23:44

サクラ2の歌謡集を頂いたことは先に書いたとおりである。
本日も「さあ、マリア・タチバナの『生きてる喜び』を聴くのよ!」とスイッチを入れたとたん、ギョウザの行商車がやって来た。団地だからよく売れるのだ、あ、選挙の宣伝カーもやってきたぞ、どちらもずいぶん熱心に
「ギョウザを買ってください」
「我が党に清き一票を」
と長居をしている。結局マリアの歌の番になったときは、
「ゴボウ入りギョウザがいかに体にいいか」
「我が党の○○君はいかに誠実な若人であるか」
が、ステレオを配置したような音響でガンガン聞こえて、マリアこと高野麗さんの歌声はまったく聴こえなかった。両方が立ち去った時はカンナこと田中真弓さんの曲、しかも
「バカだぜGoGoGo!!」の歌詞のところだった・・・・。
もういちど、一曲目から聞き直すか〜〜〜。

ふっ。まぁ、こんな日もあるわいな。