お葬式と里芋2009年04月16日 22:36

よほど日頃の行いがよろしかったのであろう、昨日は、前夜の雨がウソのようにカラリと晴れて、青空のもと父のお葬式であった。

と、いっても故人の希望により
1・誰にも知らせず
2・お金もかけず
3・寺でなく、戒名もいらず
4・後日三宅島の海に散骨
・・・・ということで、斎場で、母とドッコイさん(夫)と私の3人だけ。
棺には使い慣れた英和辞典と、最後に「読みたい」といって取り寄せた正岡子規の「病床六尺」を入れた。お気に入りの帽子も、父の匂いがするのでよく嗅いでからかぶせた。
総額19万8千円の、ほんの1時間ちょっとの葬儀。
煩雑な、年金や相続の手続きはこれからである。


式が終わってから実家に戻って、昨日三宅島の知人が送ってくれた里芋の煮っ転がしやおにぎりで昼食。三宅の「赤目」という江戸古来の古品種の里芋はやはり美味しく、父はこの栽培の名人で、伊豆七島最大の会社・東海汽船が「株主へのお歳暮に」と買い付けに来るほどであった。
島の人たちは相変わらず底抜けに親切で、父が倒れた後も畑の手入れをしてくれたり、こうして新芋を送ってくれたり、まるで「親戚通り越して兄弟」のような優しさなのである。東京に出せば高級料亭用なんかで、たまに高級スーパーで見つけると3つで千円くらいする。「あしたば」と並んで、島の貴重な現金収入源なのだが、損得勘定抜きの人づきあいが、三宅島には、ある。
父も父で
「パソコンを覚えたい」
という島の人のためには秋葉原での買い付けから島での毎日指導のアフターケアまで。進学希望の子の家庭教師もして、集落(200人ちょっとしかいない)初の国大合格者を育てたり、まあ、島の「寺子屋の先生」みたいなことを無償でやっていたので、その積重ねが信頼へと繋がっているのだろう。

「良く生きた人だったなあ」
と、今思う。戦争体験や父子家庭、エキセントリックな生活で親子のつきあいは下手だったけれども(見よ、兄はついに葬儀にもこなかったぞ)、善良で聡明な、無駄な欲のない(なさすぎる・笑)人だった。

悲しくはあるけれど、まだ「逝ったのだ」という実感はわかない。
ただ、「ああ、これでもう父は苦しみから解放されたのだ」と思う。
涙の流し方はまだ分からないから、明日の課題としておこう。