アダム・スミスさんと私 ― 2012年01月04日 14:14
アダム・スミスの経済学講義を聞いていたのだが、「カゴを作る人担ぐ人、そのまたカゴに乗る人、みんな『利己心』による行動で、それで社会経済は回っているんだよ、見えざる手によってね。」とゆー内容であった。
顧みて、私のやって来たことと言えば「利己(自分の為に稼ぎたい!)心」ももちろんあったが、他人にウケたい!ちょっとでもシアワセになって欲しい、とゆー「他幸心」の部分が大きかったな、と気付く。
居職の職人なんて、みんなそんなもんだと思う。
顧みて、私のやって来たことと言えば「利己(自分の為に稼ぎたい!)心」ももちろんあったが、他人にウケたい!ちょっとでもシアワセになって欲しい、とゆー「他幸心」の部分が大きかったな、と気付く。
居職の職人なんて、みんなそんなもんだと思う。
養命酒のお年頃 ― 2012年01月07日 21:24
私が最後の世代だと思うのだが、年配の方には「『満』何歳です。」というように躾けられた。
そうすると相手は「ああ、数えで何歳ね。」と納得していた。
昔は生まれた時が0歳児ではなく1歳だったのである。
日本画家の養母は安田靫彦先生の門下生だったが、姉弟子の
「小倉遊亀さんとは一回り違う」
と言うので、
「あら十違い?」
と聞いたら
「干支で一巡りよ。」
との答え。新聞やテレビで<30代・40代・50代>とスライスされているので、私の感覚では一回りは十年の間隔だった。
最近流れている「薬用養命酒」のテレビCMで「女性は7の倍数、男性は8の倍数の年齢に飲むと良いでしょう。」って。
「満」なのか「数え」なのかもわからないし、平均人生が女性の方が長いのに、男性は8の倍数で数が少ないって、ちょっとずるい。
ちなみに養命酒の本家、長野県の伊那郡に暮らす友人は
「スーパーで奈良漬けと一緒に『瓜の用命酢漬け』も売っています。」
とのこと。
さすが地元である。
これは私の通っていた女子校の豪傑伝説なのだが、修学旅行の夜消灯の後、ひとりが
「私、お父さんのサイドボードから1本くすねてきちゃったの。」
「えー、何、ナニッ!?ウィスキー?ブランディー?」(全員暗い部屋の中で)
「『養命酒』!」
「バカーーーーーーーッ!!」
というのがある。(笑)
とはいえわたくし満49歳(7×7)なのだが、体調はやや低迷気味なので、試してみようかしら、養命酒。
50歳を半年後に控え、私がしみじみ思うのは「人生は会話の積み重ね」だということだ。
どんな辛口の内容でもイントロは柔らかく、〆は明るく発展的にまとめるように努めている。
そして必要なのは、行動力、フットワークの素早さと、相手が何を必要としているかを、親身になって瞬時に考えられるバリエーションの「すその」の広さ…
でも、まだまだなんだよなあ、私…
母の話術と行動力には負けるわ、完敗である。32歳違うから、ではなく、それまで繋げてきた人間関係の数と質、人生経験が圧倒的に母の勝ち。かないっこない。
養命酒飲んでがんばってみようかしら(笑)値段はおいくら位なのかしら。
これからドラッグストアに行ってみよう。
そうすると相手は「ああ、数えで何歳ね。」と納得していた。
昔は生まれた時が0歳児ではなく1歳だったのである。
日本画家の養母は安田靫彦先生の門下生だったが、姉弟子の
「小倉遊亀さんとは一回り違う」
と言うので、
「あら十違い?」
と聞いたら
「干支で一巡りよ。」
との答え。新聞やテレビで<30代・40代・50代>とスライスされているので、私の感覚では一回りは十年の間隔だった。
最近流れている「薬用養命酒」のテレビCMで「女性は7の倍数、男性は8の倍数の年齢に飲むと良いでしょう。」って。
「満」なのか「数え」なのかもわからないし、平均人生が女性の方が長いのに、男性は8の倍数で数が少ないって、ちょっとずるい。
ちなみに養命酒の本家、長野県の伊那郡に暮らす友人は
「スーパーで奈良漬けと一緒に『瓜の用命酢漬け』も売っています。」
とのこと。
さすが地元である。
これは私の通っていた女子校の豪傑伝説なのだが、修学旅行の夜消灯の後、ひとりが
「私、お父さんのサイドボードから1本くすねてきちゃったの。」
「えー、何、ナニッ!?ウィスキー?ブランディー?」(全員暗い部屋の中で)
「『養命酒』!」
「バカーーーーーーーッ!!」
というのがある。(笑)
とはいえわたくし満49歳(7×7)なのだが、体調はやや低迷気味なので、試してみようかしら、養命酒。
50歳を半年後に控え、私がしみじみ思うのは「人生は会話の積み重ね」だということだ。
どんな辛口の内容でもイントロは柔らかく、〆は明るく発展的にまとめるように努めている。
そして必要なのは、行動力、フットワークの素早さと、相手が何を必要としているかを、親身になって瞬時に考えられるバリエーションの「すその」の広さ…
でも、まだまだなんだよなあ、私…
母の話術と行動力には負けるわ、完敗である。32歳違うから、ではなく、それまで繋げてきた人間関係の数と質、人生経験が圧倒的に母の勝ち。かないっこない。
養命酒飲んでがんばってみようかしら(笑)値段はおいくら位なのかしら。
これからドラッグストアに行ってみよう。
銭湯雑感 ― 2012年01月11日 06:24
(たまには「です・ます」調で)
東京も、郊外ともなるとやはりスーパー銭湯が幅をきかせていますが、土地柄でしょうか「箱根源泉から運んできた湯」それに「万葉の薬草湯」など、客引き文句もにぎやか、送迎バスも巡ってきます。
そんな中でも、市内にまだ3軒ほど、昔ながらの銭湯ががんばっていて、地元のお年寄りに愛されているようです。
特にテレビドラマ「時間ですよ」のモデルとなったお風呂屋さん(TBSの緑山スタジオが近いのです)は古式然としていて、周りはすっかり高層都営住宅になってしまいましたが、それでも、もとから住んでいたお年寄りが(優先して入居できるので)家のお風呂場は使わず、銭湯を社交の場としているようです。
おもしろいのは湯上がりの飲み物、健康ドリンク(ファイブミニなど)が流行ると、みんなあらかじめ入浴前に代金を支払っておいて、「湯上がりに急に冷たいものは体に毒だからねー。」と、順番に冷蔵ケースの上に並べて置いていくことで、「これは『夜の酒場のマイボトル』のようだなあ…」と思います。(笑)
母・芳子さんは、東京大空襲の時15歳。焼け残った「銭湯の煙突」のてっぺんまで登り、東京の焼け野原を360度見渡した、という豪傑オテンバ娘でありました。
「戦争って怖いな。」と思ったそうです。(煙突のてっぺんに立っている時点で、本人も相当怖い状況にあるはずなんですが・汗)
芳子さんの生家は昔の木造回廊式の下宿屋(大学生さん専用)に、長屋に小さな貸屋数軒、そして銭湯の鑑札(営業許可証)も持っていて、そちらは人に任せていました。
当時東京の銭湯は北陸・信越から出て来た人が多く、夏の窯焚き40度、冬も毎日湯ぶねを洗う重労働でも辛抱強く運営できたそうです。
昔の文献で東京・菊坂・本郷・板橋などで「初音湯」「下宿屋・初音館」という名前が出て来たら、それは母方の親戚一族です。
東京も、郊外ともなるとやはりスーパー銭湯が幅をきかせていますが、土地柄でしょうか「箱根源泉から運んできた湯」それに「万葉の薬草湯」など、客引き文句もにぎやか、送迎バスも巡ってきます。
そんな中でも、市内にまだ3軒ほど、昔ながらの銭湯ががんばっていて、地元のお年寄りに愛されているようです。
特にテレビドラマ「時間ですよ」のモデルとなったお風呂屋さん(TBSの緑山スタジオが近いのです)は古式然としていて、周りはすっかり高層都営住宅になってしまいましたが、それでも、もとから住んでいたお年寄りが(優先して入居できるので)家のお風呂場は使わず、銭湯を社交の場としているようです。
おもしろいのは湯上がりの飲み物、健康ドリンク(ファイブミニなど)が流行ると、みんなあらかじめ入浴前に代金を支払っておいて、「湯上がりに急に冷たいものは体に毒だからねー。」と、順番に冷蔵ケースの上に並べて置いていくことで、「これは『夜の酒場のマイボトル』のようだなあ…」と思います。(笑)
母・芳子さんは、東京大空襲の時15歳。焼け残った「銭湯の煙突」のてっぺんまで登り、東京の焼け野原を360度見渡した、という豪傑オテンバ娘でありました。
「戦争って怖いな。」と思ったそうです。(煙突のてっぺんに立っている時点で、本人も相当怖い状況にあるはずなんですが・汗)
芳子さんの生家は昔の木造回廊式の下宿屋(大学生さん専用)に、長屋に小さな貸屋数軒、そして銭湯の鑑札(営業許可証)も持っていて、そちらは人に任せていました。
当時東京の銭湯は北陸・信越から出て来た人が多く、夏の窯焚き40度、冬も毎日湯ぶねを洗う重労働でも辛抱強く運営できたそうです。
昔の文献で東京・菊坂・本郷・板橋などで「初音湯」「下宿屋・初音館」という名前が出て来たら、それは母方の親戚一族です。
国語辞典 ― 2012年01月13日 13:58
…がないと生きて行けない。
こうしてカチャカチャやっている横に、鎮座ましましている。ページの間にコンパクト天眼鏡も挟んである。
ATOKの辞書機能だけでは全然アテにならないので、ひとつの文章を書くとき、最低3度はお世話になる。
とにかく物忘れは激しいわ世間知らずだわで、同じ所を何度もひく。
「階(きざはし)」とか「ゆくりなく」なんて、この半年で4回はひいているわ。
しまいには「何回ひいたか」だけ覚えていて、元の意味を忘れている。
そのくせ「魁・さきがけ」は漫画のタイトルで知っていたりする。でも手書きだと(今は実際ほとんど出来ないが)「魅力」の「魅」の字と間違えたりする。
なにはともあれ、やっぱり辞典は必要である。
今使っているのは岩波の「中辞典第六版」だが、先代は二版だった。しかしこの二版も、中学2年の時友人が描いてくれた「シャクトリムシのパラパラ漫画」がすみっこにあるので手放せないのである。(笑)
広辞苑は、スタジオをたたむとき、古いので古紙回収に出した。
重い物なので、地元の「文房具兼書店」で最新版を買うのと、引っ越しのタイミングとを、いま測っている真っ最中。
書店は八掛けで「利の薄い商い」なので、こういった大物は子供の頃から馴染みの店で買いたい。
本は読むわ文は書くわで、結局1日に一度も辞典をひかない日はまったくない。
私の作文は、こんなにも弱っちょろいのである。(苦笑)
こうしてカチャカチャやっている横に、鎮座ましましている。ページの間にコンパクト天眼鏡も挟んである。
ATOKの辞書機能だけでは全然アテにならないので、ひとつの文章を書くとき、最低3度はお世話になる。
とにかく物忘れは激しいわ世間知らずだわで、同じ所を何度もひく。
「階(きざはし)」とか「ゆくりなく」なんて、この半年で4回はひいているわ。
しまいには「何回ひいたか」だけ覚えていて、元の意味を忘れている。
そのくせ「魁・さきがけ」は漫画のタイトルで知っていたりする。でも手書きだと(今は実際ほとんど出来ないが)「魅力」の「魅」の字と間違えたりする。
なにはともあれ、やっぱり辞典は必要である。
今使っているのは岩波の「中辞典第六版」だが、先代は二版だった。しかしこの二版も、中学2年の時友人が描いてくれた「シャクトリムシのパラパラ漫画」がすみっこにあるので手放せないのである。(笑)
広辞苑は、スタジオをたたむとき、古いので古紙回収に出した。
重い物なので、地元の「文房具兼書店」で最新版を買うのと、引っ越しのタイミングとを、いま測っている真っ最中。
書店は八掛けで「利の薄い商い」なので、こういった大物は子供の頃から馴染みの店で買いたい。
本は読むわ文は書くわで、結局1日に一度も辞典をひかない日はまったくない。
私の作文は、こんなにも弱っちょろいのである。(苦笑)
老眼と長寿 ― 2012年01月15日 17:10
私は40歳になる直前、それが昔は「初老」と言われていたのだと知って驚いた。
月に数日は満員電車、終電車に大荷物で乗って、ぎゅうぎゅうもまれ、それ以外の日は「ふたりあわせて180歳を超える」養母とそのパートナーの面倒を見るのがるのが日常だったから。
まさに人生真っ盛り!という気持ちでいた。なのに「初老」なんて。(「五八の賀」とも言うらしい・掛け算九九か!)
ということで無視することにした。
ただ、好きな向田邦子さんがエッセイで「最近の新聞はインクが滲んでよく読めない」「針の穴が開いていない不良品が多すぎる」と散々腹を立てた架空の人物、最後に「実はそれが老眼の始まった最近の私ですよ」という種明しのエッセイを読んでいたので、老眼だけは目を使う商売のため構えた気持ちでおり、「来たな」と思ったら即メガネ屋さんに行った。
おかげで手持ちのメガネは都合7本、読書用、運転用、度つきサングラス、それらがどこかにいっちゃったときの「探索用」である(笑)。
ら、昨日ついにドッコイ氏が老眼鏡を誂えることになり、帰宅後、開口一番
「いやあ、乱視が混じっているだけでこんなに手間と時間とお金がかかるとは思っていなかった!」
でしょ。郵便局にサービスで置いてあるのや、バカ安で売っている中国の量産品のようにはいかないのよ。
「老」という言葉を、自分自身の人生に最初に受け入れるのはたいていみんな「老眼」である。否が応でもやって来る。
NHKが近年行った調査では、60歳ぐらいからを「初老」と考える人が全体の42%だった。
それもおもしろいことに、10代の意見では「初老」は平均48.8歳、50代の意見では平均59.1歳と、10歳以上も年齢にひらきがある。
「人生50年」といわれた時代には、60歳以上は長寿と考えられ、40歳で立派な「初老」だった。
当時は「初老の賀」のあと、10年ごとに「五十の賀」「六十の賀」が祝われた。
この「算賀の儀礼」が受け継がれて、60歳の「還暦」、77歳の「喜寿」、88歳の「米寿」が、江戸時代から一般庶民の間でも祝われるようになったという。
今や90歳の「卆寿」、九十九の「白寿」もまれではない。
近年無くなった私の大叔母は103歳の長寿を得たし、その妹の私の養母も九十八、数えで白寿まで生きた。
ふたりとも歌人だったり日本画家だったりしたので、そのせいもあるかもしれない。
映画「楢山節考」や「デンデラ」の「70歳で山に捨てられる」という姥捨て伝説の設定から考えると、嘘のようである。
11の時からメガネをかけ続けた私にとっては、老眼鏡は「人生の折り返し地点」という思いが強かったが、ドッコイ氏は五十を5ヶ月後に控えた今、どんな気持ちなのかな。
訊ねても「別にたいしたことはないですよ。」と言っているが、常用するようになると見慣れたはずの世界が変るのだ。
出来上がったメガネをかけたとき、聞いてみたい、
「あなたは自分のことを初老と思いますか?」
たぶん答えは「わたしはまだまだ『壮年』(厚生労働省の言う40歳から64歳)ですよ。」だと思うけれど。
ちなみに同省が定めた「実年」は50歳代~60歳代だそうで、かぶっていてややこしいのである。
月に数日は満員電車、終電車に大荷物で乗って、ぎゅうぎゅうもまれ、それ以外の日は「ふたりあわせて180歳を超える」養母とそのパートナーの面倒を見るのがるのが日常だったから。
まさに人生真っ盛り!という気持ちでいた。なのに「初老」なんて。(「五八の賀」とも言うらしい・掛け算九九か!)
ということで無視することにした。
ただ、好きな向田邦子さんがエッセイで「最近の新聞はインクが滲んでよく読めない」「針の穴が開いていない不良品が多すぎる」と散々腹を立てた架空の人物、最後に「実はそれが老眼の始まった最近の私ですよ」という種明しのエッセイを読んでいたので、老眼だけは目を使う商売のため構えた気持ちでおり、「来たな」と思ったら即メガネ屋さんに行った。
おかげで手持ちのメガネは都合7本、読書用、運転用、度つきサングラス、それらがどこかにいっちゃったときの「探索用」である(笑)。
ら、昨日ついにドッコイ氏が老眼鏡を誂えることになり、帰宅後、開口一番
「いやあ、乱視が混じっているだけでこんなに手間と時間とお金がかかるとは思っていなかった!」
でしょ。郵便局にサービスで置いてあるのや、バカ安で売っている中国の量産品のようにはいかないのよ。
「老」という言葉を、自分自身の人生に最初に受け入れるのはたいていみんな「老眼」である。否が応でもやって来る。
NHKが近年行った調査では、60歳ぐらいからを「初老」と考える人が全体の42%だった。
それもおもしろいことに、10代の意見では「初老」は平均48.8歳、50代の意見では平均59.1歳と、10歳以上も年齢にひらきがある。
「人生50年」といわれた時代には、60歳以上は長寿と考えられ、40歳で立派な「初老」だった。
当時は「初老の賀」のあと、10年ごとに「五十の賀」「六十の賀」が祝われた。
この「算賀の儀礼」が受け継がれて、60歳の「還暦」、77歳の「喜寿」、88歳の「米寿」が、江戸時代から一般庶民の間でも祝われるようになったという。
今や90歳の「卆寿」、九十九の「白寿」もまれではない。
近年無くなった私の大叔母は103歳の長寿を得たし、その妹の私の養母も九十八、数えで白寿まで生きた。
ふたりとも歌人だったり日本画家だったりしたので、そのせいもあるかもしれない。
映画「楢山節考」や「デンデラ」の「70歳で山に捨てられる」という姥捨て伝説の設定から考えると、嘘のようである。
11の時からメガネをかけ続けた私にとっては、老眼鏡は「人生の折り返し地点」という思いが強かったが、ドッコイ氏は五十を5ヶ月後に控えた今、どんな気持ちなのかな。
訊ねても「別にたいしたことはないですよ。」と言っているが、常用するようになると見慣れたはずの世界が変るのだ。
出来上がったメガネをかけたとき、聞いてみたい、
「あなたは自分のことを初老と思いますか?」
たぶん答えは「わたしはまだまだ『壮年』(厚生労働省の言う40歳から64歳)ですよ。」だと思うけれど。
ちなみに同省が定めた「実年」は50歳代~60歳代だそうで、かぶっていてややこしいのである。
節分の季節がくるたびに ― 2012年01月19日 18:43
毎年スーパーやコンビニで、子供のいる世帯のために豆を買う人に、いろんな種類の鬼の面がサービスで配られるのだが。
ひとつ「どう見ても赤塚不二夫さんのデザイン!!」というのがある。
それがこれ↑。
顔全体のフォルムといい鼻の下のひげといい、鉢巻きといい、彼は「バカボンのパパ」の親戚まちがいなし!
親が懐かしがるのか、子供が好むのか、これ、人気ですぐになくなっちゃう。
ひとつ「どう見ても赤塚不二夫さんのデザイン!!」というのがある。
それがこれ↑。
顔全体のフォルムといい鼻の下のひげといい、鉢巻きといい、彼は「バカボンのパパ」の親戚まちがいなし!
親が懐かしがるのか、子供が好むのか、これ、人気ですぐになくなっちゃう。
愛のきざはし ― 2012年01月20日 14:45
「階(きざはし)」という字がどうしても記憶できない、辞典引くのもこの半年で4回目だー!
とぼやいていたら、女子校の後輩Jさんが「鎌倉の豊島屋(「鳩サブレー」で南関東では割と知られた老舗)のお菓子に「きざはし」というのがありますよ」と教えてくれた
「きざはし」は求肥のお菓子だという。もしかしたらこの町のデパートでは生菓子として扱っていないかも知れない。「その時は来週鎌倉へドライブよ!」と言ったらドッコイ氏がちょいっと町へ行って最後の一箱をゲットしてくれた。
これが銘菓「きざはし」↑。
極上の求肥ときな粉で口の中はもう味のパラダイス!
これで「階・きざはし」は美味しさと一緒に頭に刻み込まれました、ありがとうJさん!
しかし私は「きざはし」という言葉を何に使うつもりだったのか?
今の時代では、全然使いようがないではないか。
連続昼メロドラマ「愛のきざはし」かいっ!!!!!
東海テレビ制作で主演は高木美保かい!(それは「愛の嵐」)
これではタモリ倶楽部の深夜爆笑名作ドラマ「愛のさざなみ」「愛のたゆたい」になってしまう。
(お若い方、次から次へとごめんなさいね)
行方知らずなボキャブラリーが、また増えてゆく。それはそれでまた楽しいことだなあ。
とぼやいていたら、女子校の後輩Jさんが「鎌倉の豊島屋(「鳩サブレー」で南関東では割と知られた老舗)のお菓子に「きざはし」というのがありますよ」と教えてくれた
「きざはし」は求肥のお菓子だという。もしかしたらこの町のデパートでは生菓子として扱っていないかも知れない。「その時は来週鎌倉へドライブよ!」と言ったらドッコイ氏がちょいっと町へ行って最後の一箱をゲットしてくれた。
これが銘菓「きざはし」↑。
極上の求肥ときな粉で口の中はもう味のパラダイス!
これで「階・きざはし」は美味しさと一緒に頭に刻み込まれました、ありがとうJさん!
しかし私は「きざはし」という言葉を何に使うつもりだったのか?
今の時代では、全然使いようがないではないか。
連続昼メロドラマ「愛のきざはし」かいっ!!!!!
東海テレビ制作で主演は高木美保かい!(それは「愛の嵐」)
これではタモリ倶楽部の深夜爆笑名作ドラマ「愛のさざなみ」「愛のたゆたい」になってしまう。
(お若い方、次から次へとごめんなさいね)
行方知らずなボキャブラリーが、また増えてゆく。それはそれでまた楽しいことだなあ。
好きです,でん六 ― 2012年01月22日 16:15
こんどは升だ!
ドッコイ氏が見つけてきた、でん六の「福ます」!
しかも鬼のお面のミニチュア付き!
小さくて読めないが天眼鏡で見たら
「<出羽三山>羽黒山・山伏祈願」の文字が!
やるなあ「でん六」!
毎年変るこのお面はもうこれで定番にして良いのではないかな?
昇西太陽 没行東
全是好 全是好
凡凡馬鹿凡馬鹿凡凡
ちなみに大きな方のお面の裏には「これをつけたまま屋外で遊ばせないで云々…」の細やかな心くばりが!
「でん六」、あたしゃ好きだね(笑)。
ドッコイ氏が見つけてきた、でん六の「福ます」!
しかも鬼のお面のミニチュア付き!
小さくて読めないが天眼鏡で見たら
「<出羽三山>羽黒山・山伏祈願」の文字が!
やるなあ「でん六」!
毎年変るこのお面はもうこれで定番にして良いのではないかな?
昇西太陽 没行東
全是好 全是好
凡凡馬鹿凡馬鹿凡凡
ちなみに大きな方のお面の裏には「これをつけたまま屋外で遊ばせないで云々…」の細やかな心くばりが!
「でん六」、あたしゃ好きだね(笑)。
だから云ったじゃないの♪ ― 2012年01月25日 15:07
昨日から松山恵子さんの、
「♪あんた泣いてんのネ
だ~から云ったじゃないの♪」
のフレーズが脳内を独占している。
ぐるぐるだ~♪(笑)
「♪あんた泣いてんのネ
だ~から云ったじゃないの♪」
のフレーズが脳内を独占している。
ぐるぐるだ~♪(笑)
誕生日 ― 2012年01月28日 07:09
といっても私ではない。
母・芳子さんが昨日82歳になった。
わー見えないー、わー元気だー。
なんでこの人こんなに元気なんだろう?と思うほど元気。
世話の焼ける娘が間近にいるからかな(あわわ)、ま、ありがたいことです。
こないだ
「そういえば久しくケーキを食べていないわ。」
と言っていたので、ケーキ買って家に行きました。
「小さい頃、自分が80まで生きると思っていた?」
「まさか!」
「じゃ、いつ頃そう思った?」
「確さん(父)が倒れたときかしら、この人を残しては死ねないって。」
ずいぶん最近ですな。
祖母が死んだのが、私の生まれる数ヶ月前、60とちょっと。
写真の中の祖母は白髪を結って和服を着て、どこから見ても「おばあさん」。
それから半世紀、目の前の母はピンシャカしてケーキを食べている。
私としてはまだ親孝行していないので、もっともっと長く生きて欲しいのだが。
「あら、私『尊厳死の誓状』もう書いてあるわよ、そこのタンスの一段目。」
あっさりとひと言。ああ、そうですか。
どこまでいってもかなわないなあ、マイ・母(笑)。
この調子で元気で長生きして下さい。
母・芳子さんが昨日82歳になった。
わー見えないー、わー元気だー。
なんでこの人こんなに元気なんだろう?と思うほど元気。
世話の焼ける娘が間近にいるからかな(あわわ)、ま、ありがたいことです。
こないだ
「そういえば久しくケーキを食べていないわ。」
と言っていたので、ケーキ買って家に行きました。
「小さい頃、自分が80まで生きると思っていた?」
「まさか!」
「じゃ、いつ頃そう思った?」
「確さん(父)が倒れたときかしら、この人を残しては死ねないって。」
ずいぶん最近ですな。
祖母が死んだのが、私の生まれる数ヶ月前、60とちょっと。
写真の中の祖母は白髪を結って和服を着て、どこから見ても「おばあさん」。
それから半世紀、目の前の母はピンシャカしてケーキを食べている。
私としてはまだ親孝行していないので、もっともっと長く生きて欲しいのだが。
「あら、私『尊厳死の誓状』もう書いてあるわよ、そこのタンスの一段目。」
あっさりとひと言。ああ、そうですか。
どこまでいってもかなわないなあ、マイ・母(笑)。
この調子で元気で長生きして下さい。
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