夢枕にも程がある2011年08月21日 08:24

今朝も寝床で眠い眠いしていたらドッコイ氏が先に起きて台所で何かこさえている様子。
美味しそうな匂いに釣られて私も起きた。
ところで我が家は台所が他の部屋より離れた造りになっており、テレビがない。
で、ラジオを聞くわけだが、本日のTBSラジオの通販は「枕」であった。
高機能、頭にジャストフィット、肩もサポート、丸洗い可、本日と明日まで申し込みできるのだが、商標名が

「王様の夢枕」

「欲しく…ナイ!」
とふたり声を合わせてチーズトーストをかじりながらつぶやいた。
なんたって最高権力者の夢枕である。いままで蹴落としてきた、王弟一派や、密かに隣国と通じていた大臣、失敗続きで役に立たない錬金術師や、国境争いで処刑した隣国の捕虜たち、一揆を起こした農民の首領などなど、今まで恨みを買ってきた者たちが夢枕に立ちそうではないか。
そんな物騒な枕、おっかなくって安眠ナッシング!!

私が今まで見た中で一番ビックリしたのは、以前にも申した居酒屋「祖母の墓」の赤提灯だが、「王様の夢枕」は、真綿で首を絞めるようにじんわりと効いてくる恐ろしさである。
これ、売れるんだろうか。
「王様の枕」に留めておけばいいのに「夢」を足したらいきなりおっかないね、とトースト囓りながら話し合う、ふたりお節介の夫婦である、わしらは。

夜明け風呂2011年08月23日 05:45

(「夜明け前」とも「夜明けのスキャット」とも関係ありません)
(画像はどこかのお金持ちさんちの檜風呂でウチの風呂ではありません)

睡魔でどうしようもなくて昨夜は11時前に薬を飲んで眠ったのだが。

起きたらば2時半。

どーよ、これ。いくらなんんでも早すぎると思いませんか?

で、パソコンなどをカチャカチャ、時間をつぶしていたのだが。
思いついて「朝風呂」。正確には「夜明け風呂」
昨日の残り湯に「風呂水ワンダー」いれといたのがヨカッタネ。
ここは団地で、マンションのように家によって間取りが違うということはない。
寝室と風呂場は充分すぎるほど離れている(「ウナギの寝床」と呼ばれている。
今から湧かし直しても、上からも下からも苦情は来るまい。
というわけでドンブラコ。
時間を気にせず頭も体も思いっきり洗った、ハ~、スッキリ。

「僕と一緒に夜明けのコーヒー飲みませんか。」
というのが告白だった時代もあるけれど
「僕のアパートで朝風呂つかりませんか。」
というのは露骨すぎるかしらん。
とりあえずスッキリ度はコーヒーより上だと思うんだけど。

CDの買い方・私バージョン2011年08月25日 03:04

録画しておいたNHK「ドレミファわんだーらんど」をDVDに落とす作業を延々とやっているわけですが。
どうしてラグ・フェアーの加藤君の「テレサ先生」のコント見て「テレサ・テン・ベスト」買っちゃうかね。(笑)
あと「ルロイ・アンダーソン」の名曲集も。(運動会の入場行進に「トランペット吹きの休日」は欠かせない)
昔「トンコ節」一曲聴きたさに「古賀政男メロディー」の第何巻目か買ったこともあったけれど、私のCD買いは常に「ピンポイント」、これです。
「あなたがくれた 帯留めの
 ダルマの模様が ちょいと気にかかる
 さんざ遊んで 転がして
 あとであっさり 潰す気か
 はぁ~ トンコトンコ♪」
この1曲!こーの一曲の為だけ!に、です!
くだらなくって涙が出るわ。(笑)

もしも災害か何かで3つだけCDを持って逃げていいと言われたら迷わず「中島みゆき・ベストセレクション2」と三波春夫の「長編歌謡浪曲・大忠臣蔵」(4枚組の大作ですぞ)と「笠置シヅ子全集」(これも2枚組だわ)選びますね。
みごとにバラバラ(笑)。
もうひとついいと言われたら「中村八大名曲集」。
5ついいと言われたらディヌ・リパッティの「主よ、人の望みの喜びよ」が入っているアルバムを選びます。(今度はクラシックかい!)
これは携帯の着メロにしているほど好き。

7段引き出しに入りきらないほどCD持っているのに、それが全部バラバラな私デシタ。
さすがに「よみがえるオッペケぺー」は先日手放しましたが。(笑)

隣の青畳2011年08月25日 22:04

よく「隣の芝生は青い」というが、今、我が家は「隣の畳は青い」なのである。
と言うのも5月の終わりに団地の「お隣さん」がまるで夜逃げのように挨拶も音もなしに消えてしまい(相当静かな引っ越しだったと思われる)空き家になってしまったから。
公社の団地なので決まり通りにリフォーム業者が来て、ペンキの塗り替え、障子の張り替え、そして最後に畳屋さんが入る。
藺草(いぐさ)のいい匂いが作業の何日か漂い(3DKの部屋は台所以外全部畳敷きなので長くかかる)、ガラス窓を薄茶色の紙で被って日光が入らないようにし、新聞受けをテープで密閉して、作業は終わり。
しかし、天気のいい日や空気がしとしと湿っている日には青畳の香りが隙間から漏れてくる。
もう8月も終わり、早く次の人が引っ越してこないと、厚さと湿気でこのいい香りが飛んでしまうかと思うと気が気でない。
引っ越しの醍醐味は、青畳の良い香りを胸一杯に吸い込み、爽快な新生活のスタートを実感するところにあるのだからして。
今日はドアの隙間越しにちょびっと香っていた。
お隣さーん、早く越してきてくださーい。

カダフィ大佐の預金先2011年08月26日 15:33

8月26日付のasahi.comによると「 国連安全保障理事会の傘下にあるリビア制裁委員会は25日、今春の安保理のリビア制裁決議を受けて、米国が国内に凍結しているカダフィ政権の資産15億ドル(約1160億円)を解除し、リビア国内の人道支援に充てることを承認した。」そうである。
反欧米を唱えていたカダフィ大佐の預金先がアメリカの銀行、というのがなんだか変(笑)。
せめてスイス銀行にして欲しかった、あ、いや、それだけの巨億の富を貯め込んでおってところがそもそも為政者としてケシカランところなわけだが。
円高ドル安の時で残念だ、カダフィ君、三井住友かみずほか八十二銀行にでも預けておけばヨカッタのに。
ま、長年虐げられていた人たちのために使われるのはめでたいことである。

投書っぽくまとめるなら2011年08月27日 16:28

筆の立つ友人がいる。
書くものどれもユーモアとウィットにあふれ、長さも程よく、うらやましい。
(私は長すぎる悪癖がある)
その人の書いた文章の末尾にこんなのがあった。

「投書っぽくまとめるなら、いささか反省した次第である。」

大笑いして、コメントの最後に
「投書っぽくまとめるなら、おおいに困惑しているのである。 おわり。」
と書いたらウケた。

彼女曰く
「投書でしか見かけない言い回しってありますよね。『××であると思うが、どうか』とか。」
なるほど。あるある。
思いつくままに並べてみた。

「いかんともしがたい思いでその場を後にした。」
「人生まだまだ捨てたものではないな、と思った。」
「ささやかだが、これが私の幸福である。」
「さあこれからだ、何が来ても怯(ひる)むまい。」
「いささか投げやりすぎたかなと反省した次第である。」
「『年甲斐もない』と言われようと、せめて気持ちだけは若くありたいものである。」
「情けない話だがいつの世も、泣く子と地頭には勝てぬ。」
「とかく浮き世は金の話ばかり、なさけないにも程がある。」
「この笑顔ひとつで、イヤなことはみんな吹き飛んでしまう私である。」
「このままでは八方ふさがりだと心中穏やかではないのだが、いかがしたものか。」

これらの表現はたいがい「である調」なのである(笑)が、文章をはがき一枚の投書にまとめようとすると、「なーんちゃって・笑」は使えないのである(笑)。

私の文章は硬い。
それをうんうんうなって、語尾や言い回しや「(笑)」でなんとか柔らかく揉みほぐそうとするのだが、そうそう思うように上手くはいってくれない。
「(笑)」、「(苦笑)」は、「顔文字・絵文字を使わない主義」の私が精一杯ひねり出したもの。

投書っぽくまとめてしまえれば、楽は楽なのだけれどもね、金太郎飴は嫌いなの(笑)。

東京の、昔の夏2011年08月30日 10:43

私が子供だった頃、東京の夏は、昨今のような「酷暑」ではなかった。
昼間は暑かったが、湿度は低く、夜になると東京湾からの浜風が練馬や世田谷の方まで吹き、エアコン(あの頃はクーラーと言ったな)どころか扇風機すらいらなかった。
寝床に蚊帳を吊り、豚の形の蚊取り線香焚きに火を入れて、子供は8時に眠った。
団地には鳩時計のように、
「8時だ子供はみんな寝ろ~!」
と窓からどなる男の子がいて、それがどうしたものかある夜
「8時だ子供はみんな死ね~!」
と言って、それが何日も御近所の笑い話になっていた。のどかなもんである。

風を遮る高層建築がなかった。
「今度建つ霞ヶ関ビルは36階建てだってさ!」
とみんなそれに驚いていたのだから、今の超高層ビルが林立する東京など誰も想像だにしていなかった。

数年前、汐留のJR貨物駅の跡地が(ものすごく広い)開発されたのだが、間の抜けたことに風の通り道を考慮せずてんでばらばらに建ててしまったので、中央区の夏の気温は1度上がったという。

1度といったら大変なものである。
その1度を埋めるために中央区の住人はエアコンを強くかけ、その熱風と1度高い浜風が中央区以西の地域に吹き、そこもエアコンをつけ、これはもう熱の負の連鎖である。
誰かビルを建てる前に気づく常識人はいなかったものか。
とにかく東京は暑い。
今日あたりやっと、日なたは暑いが日陰は涼しく、湿度の低い、「懐かしい夏日より」なのだが、これもいつまで続くのだろう。

気象庁によると今年は残暑も強いという。
くやしいことに最近の気象庁は当たるんである。
東京は明日から台風の影響でしばらく雨が続き、そのあとまた暑さが戻ってくるのだろうか。

言ってもしょうもないことだけど、そろそろ夏にあきました。

てっぺん描けたか2011年08月31日 16:45

この暑い中洗濯物を干しながら、気がついたら「夏は来ぬ」を鼻歌でフンフンしていた。
この歌、本当は長いそうだが私は2番までしか知らない。

「夏は来ぬ」

卯(う)の花の、匂う垣根に
時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ

さみだれの、そそぐ山田に
早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ

ちょっと、涼しい気分になった。

ホトトギスは、「不如帰、杜鵑、時鳥、子規」といろいろな名前がある。
鳴き声は

http://www.youtube.com/watch?v=2F_KfMB5lOs

なのだが、これが、日本の鳥ではナンバーワンではないか、というほど聴きなしが多い。

我が家では昔日本ウズラをつがいで飼っていたが、雄の鳴き声はどう聞いても「アジャパーッ!」であった。(伴 淳三郎ではナイ。)
これも江戸時代には「勝ち鳥」と呼ばれ、武士の間で鳴き合わせが流行って、連れ運ぶのに、腰に下げる小さな「鶉籠(うずらかご)」が作られたくらいである。
この時代の聴きなしは、「御吉兆」「知地快」「帳吉古」「吉幾利快」「嘩々快」とやたらめでたいものである。

ホトトギスはほんの一部をあげると
「ととさへ、かかさへ」(名古屋付近)
「天辺かけたか(テッペンカケタカ)」(江戸)
「トッタンカケタカ」「トッツァンカケタカ」(大分・島根県)
「本尊掛歟(ホンゾンカケタカ)」(「古今要覧稿」に、京師にては本尊掛歟と言う)
「ホゾンカケタカ」(京都付近)
「ホウガンカケタカ、ブクソナヘタカ」(美濃揖斐郡・ブクは仏壇に供えるご飯のこと)
「ホトトギス」(純日本の古来の聞きなしである。)
「ともにちよに」(共に千代に・813年、嵯峨天皇) 
「オタタカチョ」山形県)
「オタタカショ」(福島県)
「オトットコイシ」(長野県北信地方)
「弟恋し、掘って煮て食わそ」(能登・越中の境あたり)
「和尚とんでってこい」(不明)
と、まあこんな具合である。

私は両親共に江戸時代からの江戸っ子家系(「まっすぐ行って左」を「まっつぐ行ってしだり」と言ってしまう・笑)なので「テッペンカケタカ」と教わった。

が。

ただ今20歳の時から借りていたスタジオをたたみ、実家で本や物を整理中なのだが、その中には私が小さかった頃に描いた絵も入っている。
私が生まれて初めて描いた生き物は、人ではなく馬なんである。
住まいが成城大学の馬術部の近くだったので、母に連れられて馬を見に行くのがほぼ日課、馬場のところで一休みが常だった。

なもので。

馬はかならず脚から描いた。
人間を描くようになってからも脚から描いた。
普通子供は顔から描き始める。というか、最初は顔を描く。
「父の日コンクール」なんか顔の羅列である。
人物を描くときは頭から描いて手、胴、脚の順で、途中で飽きると脚のない「ユーレイ画」になってしまう。
ところが私は脚から描き始めるので、途中で飽きると顔のない「逆さユーレイ画」になってしまうんである。

「てっぺん描けたか?」
なんとんなく死んだ父の若い声が肩越しに聞えてきそうである。