わき水2011年02月26日 11:16

ドッコイんちのわき水。
とてもおいしい。

つんつん2011年02月26日 22:12

かつて私は鉛筆を2百本使っていた。
一度原稿に入ると削っているヒマがないから。
まだ0.3のシャープペンは製図用で重くて、芯も硬い物しかなかった時代である。
細い線で描くので、OKはこのとんがり具合。


使い切り(右)と比べるとさほど差がないように見えるのだが、書き味はまるで違う。

もともと鉛筆削りを持っていなくて(兄貴は持っていたが)私の鉛筆は母が削り、後に自分で削るようになった。
こうなると自在に削れる方が機械で削るより書き心地が良い。

絵を描くのが好きで一度描き始めると止まらない私は、次第に手持ちの鉛筆の数を増やしていった。
最高で2百本。芯が丸くなっては換え、丸くなっては換え、私は描き続けた。
たまると、削る。精神を集中させ、一気に百本以上削り上げる。
短くなったのは鉛筆さやにくくりつけて、2センチくらいになるギリギリまで使った。
私は貧しくて、描くこと以外生きるすべがなかった。
やがて0.4ミリのシャープペンがでて、私は自分に会う文明の利器を手に入れた。
0.3ミリのシャープペンも羽のように軽くなり、Bの芯がでた。
鉛筆は私の手元を離れていった。
一心不乱に百本以上の鉛筆を削り上げる至福の時を失ったことに、仕事で忙しい私は気がつかなかった。

六角形の鉛筆は、私の指に一生消えないペンだこを遺した。

オマケはつんつんに刈り上げすぎたドッコイ


「うさぎの道中(みちゆき)」2011年02月27日 05:55

母がのれんを作った。実家の窓に吊してある。

元は私とドッコイの結婚式引き出物に染めた手ぬぐいである。
下絵は自分で描いた。明治時代の手ぬぐいの復刻版だ。
青が月、中のうさぎは、ふだんは月で餅をついているのだが、雨降りで地上から見えないのをいいことに、仕事を休んでデートしている、といった趣向。

コレの下絵を持っていったら、私は手ぬぐい職人のおじいさんにスカウトされた、というオマケがついている。
「仕事したけりゃいつでも来な。」
3百本ばかり刷って、15年の間に残りはわずかになってしまった。

引き出物を手ぬぐいにしたのは、単純にお金がなかったからである。一本3百円くらいで済んだ。

一番傑作なのは、我が母の親族達である。
諏訪で披露宴をやって、その帰り、当時JR諏訪駅にあった温泉に(今は足湯になってしまったが、昔は駅の構内に堂々とした温泉があった)手ぬぐい使って入っちゃったのだ。
こんなに「すぐ役に立つ引き出物」もめずらしいんじゃないか?(笑)

残り少なの手ぬぐいで、のれんを作ってくれた母に感謝している。
実家に行くたびにこれを見て、
「ああ、私は本当にドッコイに惚れて、結婚したくて、ここまでやったんだなあ。」
と思う。


カタギ時代2011年02月27日 16:27

断っておくが私は「正社員試験」に合格したのだ。
試験は99点だった、「磊落」をついうっかり「さざれいし」と振らなければ。(「豪放」くらい前にヒントでつけておいてくれよな・笑)
BookOffと違う、「古本屋」ではなく「古書店」だった。(格式が違う)
それがデパートのワンフロアに「古書店兼古本屋」を出すというので、2月の末に張り紙がしてあって飛込んだ。
「ちょうど引っ越し中だから、最初は様子見でアルバイトで入って。」
と言われた。
うなずくしかなかった。何しろ就活なんてどこへやら、その冬、母は失明しかかって大手術を受けるわ、兄貴は父を嫌って家出するわ、父はワガママが炸裂するわのなかで、貯まりに貯まった単位の獲得と100号サイズの卒業制作があったのだから。
(まだ遅組は4年生の秋に就職活動をする時代だった。に、しても私遅すぎ。)

「すぐ正社員にするから、保険も年金もすぐに整えるから」
と小太りの社長は言った。
大ウソである。早い話ダマされちゃったんだな~。
店は経営不振で、お給料が出たのが翌月の給料日の2日前、なんてこともあった。
当然2日後のお給料も1ヶ月近く先である。
卒業式にも出ないで3月1日から働き始めて1年8ヶ月。アルバイトのまま、実質給料が賃下げされると知って、怒髪天をつき、(最近ではこれ、「キレた」って言うんですかね)即日やめた.
退職品(「金ではナイ)は婦人物ソックス2足だった。

むすめさんよく聞けよ、私のはまったワナにははまるなよ。
暗いぞ狭いぞおまけに臭いぞ。
就活は真剣におやんなさい、後がコワイぞ。
それでもあなたがその型にはまりきらなければ、とっととおやめなさい。
生き方は「勤め人」ひとつではないのだからして。

ただし「自由業」の「自由」とは、「のたれ死にする自由 」だと言うことも 覚えといてちょ。

涵養(かんよう)2011年02月28日 20:50

ドッコイに来るバレンタインのチョコレートは有無を言わさずバリボリバリと私が食らってしまう。
結構ヤキモチやきなのかもしれない。
「いや、ドッコイは糖尿病なのだ、これはひとえに『愛』なのだ!」と自分を自分を説得してはいるが、私とて胆石でアブラもの厳禁である。
となると、もはや命がけのヤキモチやきである(笑)。

わたしたちのあいだにあるものは「涵養」である。
『自然にしみこむように養成すること・無理の無いようにだんだんに養い作ること』

ドッコイとの15年半は、お互いに、この日々だったように思う。

私たちは同い年で4日違いの生まれ、という以外、何も共通点がない。
しいていうならどちらも「散らかし屋」で「巣ごもり好き」という点くらいである。(笑)
ドッコイは仕事で巣ごもってばかりもいられず、年の内半分は外国だし、私は思い立ったように突然長距離旅行をしたりする。
が、ふだんはふたりとも地道に地元で生活している。行動半径は狭い。
私たちはつがいの鳥のようにシングルのふとんで寄り添って眠り、朝と午・夜の弁当は私が作り、土日のブランチはドッコイが作る(この人の方が上手い)

ふたりとも病持ちだが、長生きしたい。
お互い年を取ったらどんな風になっているか楽しみである。
よそからのバレンタインのチョコレートは、あいかわらず私がむさぼり食らっているのだろうが。