アメ屋さん2010年04月23日 14:57

それを記憶している最期の世代か、私は。

父の実家(戦災をまぬがれた写真館)のはす向かいに公園があった。
あのころは子供なんて蚕のようにうじゃうじゃいた。
紙芝居屋さんではなく(貧乏な下町にもやっとテレビが入ったころ)アメ屋さんだった。3時ごろ自転車の荷台に大きな木の箱を積んで、かなり年配のおじちゃんがやって来て手に持った鐘を鳴らすと、子供たちが集まる。

カラリと木箱の引き出しをひらき、水飴が入った白とカーキ色の琺瑯(ホーロー)引きのバットを取り出す。
2本に割った短い割り箸でアメをたぐりよせ、くるくるっと回して
「ハイヨ。」
20円だったと思うが、15円かもしれない。
(駄菓子屋さんで、ガラスの大瓶に入ったミルキーが2粒5円だった。)

「こうやるんだよ」
と、後妻さんの親戚で1ツ年上の早苗ちゃんが、2本の割り箸を器用に回して、空気を混ぜ込んでいくと、アメは細かな気泡でみるみる白くなってゆく。
こうすれば、割り箸からとろりと落ちてしまう心配がない。

ほかの方のエッセイなどを読むと、ここでみんなアメ屋さんに自分のを見せて、1番白くした子にはオマケがついたというが、この記憶はない。
うす紅色の粉煎餅2枚ではさんでもらう子、あんずの甘煮をのせてもらう子。
おやつ時の公園を自転車で回り、鐘でカランカランと子供を集めて、おじさんは1日いくらの商売だったのだろう。

今はまずに見かけないが、昔は破れ止めに、ズボンのヒザや上着のひじに、あらかじめ革や厚い布で小判型につぎがあててあった。
アメ屋のおじちゃんは、木箱やカーキ色のバットを混ぜあわせたような、そんな地味な服を着ていて、冬の公園(そうだ、冬だった)の、まるで一部のようにそこにいた。
紙芝居はないので、子供たちはアメをくわえて、すぐあちこちに散ってゆく。
「あしたのジョー」に出てくる「泪橋」のこちらがわの世界のことだった。

ps. さるお方から、昔なつかしお米で作った風雅な練りアメをいただいたのですが写真係のドッコイ不在〜!
水アメよりは少しゆるく、たぐって白くはできませんが、ショウガがほんのりきいて、とても美味しゅうございます。(嬉!)
I さん、どうもありがとうございました