故障!故障!!故障!!!2010年03月10日 08:13

メールを書いていたらモニタが「赤青緑」の光の三原色になって、次にサンドストームになって、仕方なく強制終了したざんす。
もう一度起動したらすんなりいきましたわ、と思いましたら「ブブブブブイーン」とお鳴りあそばして、あとはもう、にっちもさっちも。困ったもんざます。

で、アップルに連絡して取りにきてもらって、ロジックボードとファンを交換して、さあ、やれやれと電源入れたら、まぁ奥さま、 「 のキーが 」 に、 」 のキーが「*」に、「7」が「&」に、ってな具合で、おまけに「えーとっく」は「ことえり」になっているし、メールの発信アドレスは無効になってるし、で、明日また修理にお行きなさいというありさまの「i Book G4」なんざんすのよ。

買った価格より修理代の方がかかっていましてよ。何度直したかもう忘れたざんす。
Mac の面白いところは、使いながらWindowsの話しをしたり、買い替えようかな、と思うと、てきめんに調子がガタガタ崩れたり、プンッとプチストライキを起こすことなんざんすが、しかし貧乏に加えて「使えるソフトがもうありませんよ、売ってませんよ。」なのでは仕方ないざんしょ?買い替えることにいたしましたの、Windowsに。

きゃー、最後のカサブランカ発NY行きが飛ぶように、最後のヘソクリが、飛んでゆくざんすーっ!!
本体とソフト、いったいいくらかかるんざんしょね。
ヤケ起こしてコミスタも買うか!?(お金ないし私の頭じゃ使えないじゃん!)
修理から戻ったらMac で作業しつつWindows を覚えなければ。
パソコンってホントに泥縄式にお金がかさんで、辛うございますわ。
「Page Mill 」の頃が懐かしいざんすわ、ホントにもうっ!

ルドフスキー?ルドルフスキー?2010年03月15日 14:24

ああ、パソコンのない1週間、「みっともない人体」(70年代の著だが、今でも売ってます)の作者が「バーナード・ルドフスキー」か「バーナード・ルドルフスキー」かで悩みまくり、検索できない悔しさに身をよじらせていたのであった。
本はね、ちゃんと持ってるの。
(名著だわ。)
ただ引っ越しのドサクサでどっかいっちゃっただけ。

離れてみてよく分かった。
私はパソコンによって「過去しか振り返れない」人間になってしまったのだ。
悪いアタマで過去から言質をとりたいのか。
未来は遠いぞ、でもすぐそこだ。

ルドフスキーの「みっともない人体」は、まさに現在を生きる人たちを描いているので、おひまでしたら図書館ででもお読み下さい。
女たちがなぜヒールの高い靴を履くのか、とってもよく分かります。
日本のお坊さんが夏に身につける「竹で編んだ衣」の写真見ると、欲しくなります。纏足(てんそく)のレントゲン写真、怖いです。「靴屋にとって理想の足指」の、中指の長い先のとんがったデッサンは、今まさに紳士トンガリ靴で流行しております。ありゃなんじゃ、先っぽになにか詰め物してるのかな。天下太平。

ああ、未来はサランラップ越しに、もうそこまで来ているのだが。

「珍姓・奇名・夫婦別姓」2010年03月15日 23:07

数日前、与党国会議員間で「夫婦別姓問題(なつかしいね)」をどうするかの会議中、若手組は「すぐ!」年配組は「時間をおいて」、あーあ、昔まな板に乗ってうやむやになった問題、やっといまごろ復活かいな。

私が結婚したときは、ウチは兄貴が家出同然で事実上ひとりっ子、ドッコイ(夫)も小なりとはいえども本家のひとり息子で(ちょっと珍しい名字)、
「別姓でないのが残念だね」
と話し合った覚えがある。
少子化が進んで、このままだと珍しい名字は自然に淘汰されてしまう。
フランスではそのために「夫婦別姓アリ」に法律が変わった。約20万の名字を「国の文化」として残すためである。

名字・といえば、そのフランスで、50年代だったか60年代だったか、「トロニョン裁判」というのがあった。
子供のいないトロニョン夫妻が孤児院からフィリップ君という養子を迎えようとした。しかしお役所がこれにストップをかけたのである。
トロニョンというのはめずらしい名字であるが意味は「キャベツの芯」。
「トロニョンさんちの坊や」のことは「プチ・トロニョン」と呼ぶ。
しかしね、これ隠語で「ケ○の穴」という意味。
で、役所で受け付けてもらえなかった。
これは人権侵害だということで、フランス中の珍姓名奇名の人たちが名乗りをあげて養子縁組みを支持したのである。マスコミも動き、ズバリ「○○○」さんとか「○○○○」さんなんかもおり、結果この養子縁組は認可された。報道での呼び名は「○ツの穴」をさけて「プチ・フィリップ」になっていたという。

大阪の人は「お米券」とか「ジャイアント馬場」とかに反応するし、昔九州のおばあちゃんは「ボボ・ブラジル」というプロレスラーの名前を聞いて腰を抜かしたというし、金沢では駅前で「○○んぺ」とプリントしたTシャツを着ているとお巡りさんがとんで来るという話も聞いたし。

ところで私の小学校時代、「新妻(にいづま)さん」「先生(せんじょう)さん」という珍しい名字の友達がいたのだが、子供心に、女の子ふたりきりの「新妻家」の婿養子になる人は勇気あるなと思い、先生さんのお母さんは学校の先生で、ホントに「先生先生」で、のちに彼女も先生になって「先生先生」になったという。
あっぱれである。

料(りょう)る人2010年03月24日 21:46

1月6日の「料(はか)る人」を「料(りょう)る人」にタイトル変更させていただきます。というか、最初から「りょうる」という記憶があって、でも辞書に載っていなくて、困っていたのですが。
やっと、青木 玉さんのエッセイ「小石川の家」のなかでその表記を見つけたのでした。あー、すっとした〜。

春の日本画2010年03月25日 21:58

お彼岸連休の中日、母も誘って3人で川崎ミュージアムに「安田靫彦(ゆきひこ)展」に行ってきた。お目当ては久々の公開になる「草薙の剣」である。
晩年筆のこの作品を、10才のとき私は旧都立美術館の秋の院展で観た記憶がある。あの古い建物の、木の床に染みたワックスの匂いといっしょに。
決して大きな作品ではないのだが迫力があり、子供心に
「ああ、これはすごい絵だなあ。」
と思った。氏の晩年の作である。

今回は他にも「日食」「法隆寺金堂六号壁模写・観音像」が2枚、めずらしく「相撲図」(今のおすもうさんじゃなくて奈良時代の)などなどが展示されているのだが、何よりも「大下絵」(「小下絵」と違って、もう色を塗る寸前までの下絵で、角度や線の修正が紙上にいきいきと踊る)の良いのが沢山出品されている。わけても「飛鳥の春の額田王」が素晴らしく、その完璧さ、美しさに、思わずうっとりと立ちすくんでしまった。
信長の「出陣の舞」、「森蘭丸」「平泉の義経」・・・・みんな、10才前に私の前に現れた、美しく柔らかな、それでいて凛然とした世界である。
日本画は美しい。
わけても安田靫彦氏は、私にとって一番の画家である。
(〜4月18日まで)

もしもお宅の近くに公立図書館があったら、おひまなときに美術のコーナーに行って、日本画集(かならずあるから)を見てくださいな。
興福寺の阿修羅像を思わせる「風神雷神」「夢殿」「飛鳥の春の額田王」「山本五十六像」「黄瀬川の陣」・・・・・
解説なんていりません。
観れば、わかります。

あの大理石の張り出しに腰をかけ2010年03月27日 15:13

(画像は年代物の絵はがきなので見づらくてごめんなさい)

それは例年以上に寒い秋の終わりだった。灰色の雲がどよんと立ちこめていた。
こんな日には学校に行きたくない。

私は高2だったがもう学校ではとっくに受験体制は始まっていて、フランス語専攻なもんで受験校を先生によって7つも(!)決められてしまったのだ。なにせ各校によって難易度にすごいムラがあり、どこにひっかかるかわからないのである。
ま、どのみちみんな仏文科か仏語科である。
あー、1週8時間の授業と、補習と宿題と、個人指導週2回で、私はもうフランス語の才能に見切りをつけ、あきあきしていた。
「この上まだ大学に行って4年間みっちり(運良く留年しなかった場合)」
ゲーだわこりゃ。

だいたいお金持ちのお嬢様進学校で、当時3万の受験料を×7=21万も親に払わせるのか。今で言ったら30万をかるく越す金額である。
父は稼ぎはいいが浪費家で、当時始まりだした(バカ高い!)パソコンに夢中、私の学費は母が働いてくれて、払っていたのだ。
頭は悪いわ金はないわで、まさにどんづまりの受験生だった。

まだ駅前カフェなんて小じゃれたモンのない時代、あったとしても遠距離通学で5時半起きである。駅のホームでベンチに座ってラッシュアワーをやりすごし、すっかり冷えてしまったひざ小僧を座席でこすりこすり上野へ行った。

特別展のない日の国立博物館は、まだ誰も登ったこともない低い名のない山のようで、ただずっしり眠っている。
高校生の入館料は150円。山吹色の、ぺらんと小さなチケットだった。
他に誰もいなかったので、ひとりで1階の能装束や漆器や刀剣を観て、2階へ続く踊り場の窓の、大理石の張り出しに腰掛けて、これまでのことやこれからのことを、私は広い空間で、ひとりで考えていた。なんて贅沢なことだろう。

やっぱり絵を描いて生きていきたい。

結論はそれだけだった。

2階に行った。近代日本画展示室に入った。

ぱんっと私の目を射たのは上村松園の大作「焔」だった。
源氏の、六条御息所である。画像では見えないと思うが、藤の花房の合間にはみっしり蜘蛛の糸が描かれている。松園はこの絹布に描かれた御息所に迫力を出すため、まなこの裏に金泥を塗ったという。
その目が私を射た。捕らえられたらもう逃れられない。

そこからさきはもう風の中の羽のように運命はどんどん私にチャンスとピンチをくれ、今日に至る。私は「日本画発・漫画・イラスト行き・ただいまリハビリ中」の楽しい人生をのこのこ歩いている。

「焔」は松園の作の中での評価は低い。「けれんみ」に走りすぎているというのだ。最高傑作は「序の舞」とされている。
しかし、シングルマザーで、美人画を描いて描いて描き尽くした最高峰が「序の舞」であっても、「焔」や「花がたみ」は松園という女性画家の人生を語る上で欠かすことの出来ない傑作である。

あの、秋の終わり、ひとけのない博物館、踊り場の窓のひんやりとした大理石の張りだしに腰をかけなかったら、そして「焔」と出逢わなかったら、今の私はいなかったかもしれない。