シャンソンを聴きに大阪へ2010年04月02日 14:34

行ってまいりました。
東京では「銀巴里」がなくなって幾星霜、関西にはしっかりあるんですねー。
「ベコー」http://www.deguchimihoko.com/becaud/home/frame.htmlという、梅田からちょっと行ったところの地下一階にあるこぢんまりしたお店ですが、「地下一階」も「こぢんまり」も、いかにもシャンソンらしい!(笑)
市原民子さんという歌い手さんの歌をお目当てに、だったのですが、出演はおふたり、交互に、休憩を挟みながら3曲ずつ3ステージ、レコードならば2枚分、「たっぷり聴いた〜!」と大満足な一夜でした。

シャンソンってフランス語でストレートに「歌」。
だけど、日本で「歌謡曲」「演歌」「ニューミュージック」「ポップス」「ロック」等々と分けられるように、「シャンソン」は、
「中島みゆきの『エレーン』ってシャンソンぽいね」
っていうように、なんとなくカテゴライズされています。
ピアフやダミアのようにどっしり「シャンソン」ってのもあるし。
ちあきなおみも結婚休業復活の1枚目のアルバムはシャンソン、「それぞれのテーブル」でしたしね。
「フレンチポップス」というジャンルが出現したのって64年のフランソワーズ・アルディーあたりからかしら。
あ、そのまえに「イエイエ」のブームもあるぞ、むずかしいな。

私は「エディット・ピアフの再来」と言われたミレイユ・マチューから入りました。
デビューアルバム「マドモアゼル・ソレイユ」から聴いてたし、ちゃんとファンクラブにも入っておりました。
「ピアフがフランスの美空ひばりなら、マチューは都はるみだい!」と、ハイ。
(いいのかこの解釈、どっかから石投げられそうだ・笑)

ひとりで遠出は本当に久しぶりです。
市原さんは3拍子のシャンソンで
「くよくよしてちゃダメ!街へ出ましょう!」
と歌ってらしたしな。
脳炎やっちゃって数字と方向の認識がめちゃくちゃなので、かなりスリリングな旅でした。(帰りはホテルまで歌手の市原さんに送っていただくありさま。スイマセン)
でもスプリンタータイプの私は「一点集中」で、行くときは行くのよ!(笑)。

いさぎよくシャンソンを聴いてそのまま帰って来るかと思いきや、夜ホテルからドッコイに電話したら
「鶴橋でキムチとゴマの葉のおつけもの買ってきて〜!」
とのリクエストが入り、店の人にしっかり包んでもらったにもかかわらず、帰りの新幹線の中ではかなりキムチ臭い旅行者でした。
どう見ても「シャンソンを聴いてきた人」というより「キムチの行商人」。
ま、いっか(笑)

「桜の左手」2010年04月06日 23:59

今年は桜の大当たり年であった。
東京・大阪・長野。山梨では樹齢2千年(人様のところで千年と書いてしまったが、調べ直したら倍でした。Mさんゴメンナサイ)の神代桜まで観た。

写真は私が小学校に植えた卒業記念樹、学校は廃校になっても桜は残っている。
で、突然だが2005年、6年前の文章にちょっと手を入れてみた。



「セナの右手、桜の左手」
   
F1ドライバーの名レーサー、アエルトン・セナが亡くなってもう何年になるのだっけ。
あの時は、何となく胸騒ぎがして、ホイとTVをつけたらいきなり訃報の第一報が入った。 (どうしたわけか、私はこーゆーことに妙にカンがいい体質らしく、阪神淡路大震災の時もNY貿易センタービル爆破の時も、「何だか胸騒ぎが・・・」でテレビのスイッチをつけた 直後が臨時ニュースの第一報なのである。 このような予知?能力は別にオカルティックなものではなく、生物学的にきちんと説明できる現象なのだが、それはまた後日ね。)
レース中のクラッシュでセナの車は大破、即死だった。
なにしろ無敵の王者の突然の死に、TVはくり返し、その一瞬の映像をスローモーションで流し続けた。 カメラはずーっと走る車体の後ろをとらえている。
クラッシュ、後ろの座席シートからヘルメットがガクンッと見え、そして彼の右手がハンドルを離れ、肩のあたりで左右にただ一度、振れた。
     

♪咲いた桜にーぃなぜ駒ぁつなぐ、ヤレ、駒が勇めばエーェ花が散る♪

好きな、詠み人知らずの俗謡である。      

私の住む東京南部、今年の桜前線は小学校の入学式とかさなるいいタイミングであった。
というわけで、これをカチャカチャやっている今は、桜前線おしまいの週末である。
といっても、「桜前線」って、ほとんど江戸時代の園芸品種「ソメイヨシノ」が九州から北海道まで咲き上がっていくほぼ一ヶ月のことなんだけどね。
沖縄の「寒緋桜」は1月だし、遅咲きの吉野山上、5月になってからの青森・弘前城のしだれ桜などなど、日本は本当に「桜天国」である。
     
まったく、西行法師(「願わくは花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ」)と本居宣長(「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」)がなかったら、そして江戸時代という長い平和の期間に起きた観賞用園芸の新品種大ブームがなかったら、日本はここまで「サクラサクラ」した国だったろうか。
「万葉集」は梅が中心、染め物屋さん用の「日本家紋便覧」(あるのよ、そーゆーのが。)を見ても、そのほとんどが植物文様なのに、桜の紋はびっくりするほど少ない。 (有名なのは「日本大相撲協会」の紋章くらいじゃないかしらん。)
桜は日本の園芸史上からみると、まだ実はスターになって浅い花なのだ。
人気品種のソメイヨシノは、雨にも風にもウィルス病にも弱く、樹齢も80年ほどしかない。

養母の庭に植えられた「斜め桜」もソメイヨシノである。
しかし彼は(「桜の精」は男だそうな・それも美男子)その樹齢さえ全うできない。
遺産相続の都合で、切り倒されるからである。
森を背に、日差しを求めて斜めに長く伸びるほどユニークな根性の持ち主なのに。

なまぐさい話はしたくないが、私はかなりやっかいなケースの相続を背負ってしまった。
下手をしたら複数の裁判沙汰、しかもこちらが訴訟人・ 見も知らぬ相手を訴えなければならず、勝訴しても現実問題として
「じゃあハイ。」
なんて即払えるような弁護士報酬額ではない。
こうなったら、あるいはもう全面的に「相続放棄」になるかもしれない。
いずれにせよ荒れ果てた養母の家と庭は、近いうちに更地にしなければならない。

とんでもなく長い(96段!)石段の途中という立地の不自由さはそりゃもう大変だが、それなりに風雅な家屋と庭だったと思う。
今は廃屋・廃園だが。
右手に唐子椿、左は山梔子の大きく茂った入り口、黒土に青みのある飛び石を数歩踏むと銅葺き屋根の格子戸門。
カラリと開ければ、右手に庭に続く枝折戸(しおりど)、左は御影石敷きで、母屋へと続く。
家はアトリエばかりを中心にびっくりするほど狭く、220平米の敷地のほとんどが庭。斜め桜、白梅、青桐に楓、姫柚、牡丹、あやめ、水仙、浦島草。 描くための、絵描きの庭だった。
これを維持するために、養母の年金はその2ヶ月分、庭師への払いで飛んでいったほどだ。
中学生のころだったか、
「この庭の木を1日1本描いても1ヶ月はかかるね。」
と言った私に
「それを一枝一枝描いているから、1年あっても足りやしないのさ。」
と、養母は笑った。
実際アトリエの天袋には草花の素描帳がぎっしり、いったい何十冊あるのかまだ数えていない。
思いおこせば養母は、声楽家の発声練習のように、毎日庭の草花を描いていた。
その庭が、もうすぐなくなる。

先週の土曜日、夫とふたり車で養母の家に向かった。
せめて最後の「斜め桜」の花の盛りを、愛でたかった。
丘の裏のコンビニで、「お花見用に」と桜餅とペットボトルの緑茶を買って・・・・・
突然車が駐車場で動かなくなった。 買って15年、故障知らずだったのが。
すぐそばの車屋に連絡して、レッカー車の到着を待って移動。
夫は、故障の原因探しやら書類手続きやらでそのまま残ることになった。
今の私の脚力では、杖をついても丘に登れない(というか、平地でも無理)

「斜め桜の精」は、最期の花見を拒んだのだ。

アエルトン・セナはブラジル人だが、その中ではマイノリティーのイタリア系移民だった。
だから面長で色白、美男子だがすこしクセのある、ひょろりと長い鼻の持ち主だった。
「斜め桜」も本来なら日当たりのいい場所に植えられるはずの華やかな園芸品種が、庭北に植えられてしまった「庭のマイノリティー」だったのかもしれない。ひょろーりと長い長〜い斜めの胴を持つ美男子?な桜の精というべきか。

セナが亡くなって、本当に何年になるのだろう、私は何度も事あるごとに、彼の右手を思い出していた。 スローモーションのそれは、左右にただひと振り
「じゃあな」
のさよならに思えてならないのだ。

車屋からタクシーを呼んで、一人で帰った。
「国道16号線、回って行って下さい。」
愛宕・白根不動尊の入り口、Y字路の信号が変ってタクシーは速度をゆるめた。
右側の車窓の外、急な丘の途中、養母の家。 屋根は前に建つ家に遮られて見えない。
が、家の右手、広い針葉樹林の森を背に、「斜め桜」はふわりと白く咲いていた。タクシーがアクセルを踏み込んで再び加速し、後部シートがゆらっと揺れた。

「じゃあな」

「斜め桜」は私に、左手を振った。



後日談

と、いうわけで6年目の今、「廃屋・廃園」を「更地」にしたら9万だった税金がいきなり25万、今年で150万めの金策です。我ながら毎年よくやるなあと思います。
早いとこ2世帯住宅建てにゃ。
車はそのまま廃車になり、
「20年保たせる!」
とドッコイが誓ってくれたので、ルノーのカングーになりました。

この文章を書いてから、もう5度目の桜です。
素直に観て嬉しい年もありましたし、父の死でうつむいてばかりいて八重の盛りを見逃しちゃった年もありました。

人間、生まれて何回花を愛でることが出来るのか。
鉢植え、花壇、植え込み、里山、どこででも、花を観るたび心の中で
「こんにちは」
と思う今日この頃です。

2010年04月09日 11:33

三宅島の知人が送ってくれたのだが。
「おー、牛乳煎餅復活したかー。」
と思いつつ(なにしろ大噴火で牧場はいちどつぶれている)見たら。

牛がヘン。

目つきの悪さといい、耳といい、角といい、柄といい、

「こいつ絶対ホルスタイン牛じゃない・・・!」

何か深い陰謀を感じる。ような気がする(笑)。

お星さま、お願い!!2010年04月11日 02:23

あ〜、養母の残した土地の税金を払った。田舎のと合わせて26万である。フゥ。

運転免許更新が近づくにつれ、最近不調の視力が気にかかる。長いこと度を変えずに来たが、新調したら「近視と乱視と老眼」でレンズ4枚18万であった。
(私の場合、目は「商売もの」なので最新鋭のを買う)

新しい街に引っ越す前に、スクーターも買わねば。
しばらく走っていないので、団地の中(公道にあらず)で最初のエンジン馴らし「時速40キロ以下で千キロ」をこなしつつ、運転のカンをとりもどさねば。
なにしろ引っ越す先は私鉄と国鉄の間の丘の上である。「足」がないと困る。
スクーター本体と、ヘルメットと、荷物かごと、レインコートと、ホコリよけカバーと、盗難防止ロックで、全部でいくらだ!?

だいたいこれは誰の話なんだ、我が身を顧みてしみじみ思う。

1・近所の元・飯田商店(古いコンビニ)で買い物して、ちこちことクーポン券20枚貯めて牛乳1リットルもらって喜んでいるおばさんだぞ、私は。

2・革靴のかかとがすり減ったんで替えて、こんどはも一度靴底を総貼り替えして履いているんだぞ。(お若い方の中には「靴の底を全部貼り直す」という修繕を知らない方も多かろうが。)

3・ポンコツ「i Book G4 」をいまだに使い、それが置いてあるのは父と母が新婚生活を送る際使っていた(リンゴの木箱にクロスを掛けて食卓にしていたのを見て、友人たちがお金を出し合って贈ってくれたといういわくつきの)ちゃぶ台である。親子揃ってもの持ちがよい。

「星の銀貨」という古い童話を読んだのは小2のころか、団地の同じ階段に気のいい古新聞屋さんがいて、「お嬢ちゃん本が好きそうだから」とくれたのだ。
純真でで貧しい女の子のもとに、星が銀貨になって降ってくる話。
ふと思い出して、
「毎日午前1時に公園に立っていたら、お空の星が500円玉になって4〜5枚降ってくるんなら、あたしゃ立つね。」
などと考える今日この頃。しかし、あら悲し「純真さ」が足りんぞ。

食いっぱぐれはないのだが、いつも「ぎりぎりの貧乏」のお星さまの元に生まれたらしい私である(笑)。

更新情報2010年04月12日 10:31

更新したのはいいけれど・・・

自分のサイト「帰ってきた抜刀質店質店」http://www.ne.jp/asahi/battoh/7ten/index.html を更新しました。
が。
途中のリンクが上手く貼れない。

http://www.ne.jp/asahi/battoh/7ten/zakki2010/zakki2010_04.html
をクリックすると、いきなり
「おばちゃんの更年期のハナシ」
が出てきます。読みたい方はどうぞ。

2010年04月12日 17:32

本を読むのが異常に遅い。
時には「見て」いるだけで「読め」ない。
離読症である。
おととし脳炎やったらこうなった。
いや、兆候は頭部を強打して記憶喪失になった9年くらい前からあったか。

でも、ものすごい冊数、本を持っているし、今も買う。
絵描き文章書きの名残である。分厚い本の、たとえ1章でも必要な内容が記載されていたら、買う。おかげでどんどこ増えてゆく。汗牛充棟である。
家を建てるときはよほど基礎をしっかりしないとアウトである。なにせドッコイも本の虫だから。
「違うなあ」と思うのは、ドッコイはそのすべてを読んで、どこに何が記載されていたか、全内容を記憶しているということだ。すごい。「中国の仙人」について特に詳しい。生まれ変わったらきっと仙人になれると思う。

とにかく新居は「図書館のような家」になること決定〜!
(建築家さんと打ち合わせ中です)

ps. 今読んでいるのは「武士道シックスティーン」。GWに成海璃子ちゃん目当てで(2人揃ってファン)映画館行き決定〜。

佐藤史生先生逝去2010年04月14日 02:38

漫画家・佐藤史生(しお)先生のお名前で「ああ!」と思われる方も、この日記ではいらっしゃるかと思います。「夢見る惑星」ファンの方もいらしゃるでしょう。
生前交友のあった坂田靖子先生のサイトからつながせていただきました。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~ysakata/work/spys/100406dosato.htm

いわゆる「大泉サロン組」で、決して多作ではいらっしゃいませんでしたが、一度読むと「たちまちとらわれる」作家の1人でした。

「死せる女王のためのパヴァーヌ」が、親子二代、兄の娘と弟の娘、その複雑な人間関係と「芸術」を追求する人々の葛藤を描いていて、私は大好きでした。

坂田先生が私的に中編漫画を描こうかどうか悩んでらしたときに、(たぶんシリトー原作の「誇り高き戦場」だと思うのですが、間違いかも・・・)
「私を誰と心得る、『佐藤史生』ですよ!」と、金沢のスタジオにひとっ飛び、1日でトーンを全部貼っちゃった、という伝説の持ち主でもあります。
飄々としたお人柄で知られていました。

ご冥福をお祈りいたします。

ps. いま、引っ越すために以前のスタジオを片付けているのですが、佐藤先生の御本のある部屋まで掘り進むのに、あと3メートルです。
ああぁ、本の山〜っ!!

石井桃子さん2010年04月14日 10:24

先週末はギリチョンだ!というので世田谷文学館の「石井桃子展」に行ってきた。
(こういうときドッコイは頼りになる相棒である。)
残念ながら図録は売り切れだったのだが、本当に楽しいひとときだった。

一昨年は「石井さん100才」、「リンドグレーン生誕100年」と重なって、岩波書店は忙しかったようだ。銀座の書店で児童書の特設コーナーを見た。

昨年4月に101才で亡くなられている。

生涯「児童の読書」に関わられた方で、三国同盟の敵国にもかかわらず1942-3年にイギリスの「クマのプーさん」「プー横丁に建った家」を翻訳し、出版している。
ピーターラビットも、ミッフイ(私たちの頃は「うさこちゃん」と言った)も、「ちいさいおうち」も、「たのしい川べ」も、彼女がいなければならなかったし、そうだ、「ドリトル先生」を井伏鱒二が飜訳したのも彼女のおかげだ。
90才で「プーさん」の原作者ミルンの伝記を飜訳し、「ノンちゃん雲にのる」や晩年の「幻の朱い実」の作家でもあった。
「地域児童図書館・かつら文庫」も運営された。
とても優しいお人柄、そして「ほっこりした」執筆や交流の日々が感じられる品々。

小規模だが見応えのあるイベントだった。

喫茶コーナーで特別メニュー「桃子先生好みのティーセット」をいただいた。
山種美術館、サントリー美術館といい、川崎市民ミュージアムといい、最近はこういうところも
「回った、見た、図録買った、ハイおしまい」
ではなくなってきて、週末が楽しみである。

再来週は府中美術館の「歌川国芳展」に行く予定。
こ〜れ〜が〜また「猫好きの愉快なおじさん」なんだな(笑)。

「石屋の引っ越し」2010年04月17日 15:22

今はもう使われなくなってしまった江戸言葉に「石屋の引っ越し」というのがある。
「提灯屋のせがれの吉次さんと下駄屋のお初ちゃんは石屋の引っ越しだよ。」
なーんて。
石は重いので棒にくくりつけてふたりがかりで担いで運ぶと、
「重い重いで『両想い』。」
という、なんのこっちゃないが、うまくひっかけた言い回しである。
「空気が読めない」ことを「KY」と言うのなんかよりはずっと上等だと思う。

「モテるぜ」2010年04月19日 01:57

とゆー文章を書いたのですが、あんまり長いのでサイトの方に載っけておきます。
http://www.ne.jp/asahi/battoh/7ten/zakki2010/zakki2010_04.html