「ずぞぞぞぞ~~~」の『訪問者』2010年12月13日 01:42

8ミリ映写機よりもっとマイナー、16ミリ映写機をご存じの方、そろそろ五十もつれのお年頃ですね。
8ミリがホーム用だったのに比べ、16ミリは学校・公民館などでの使用が多かった。
で、映写機の貸し出しなんぞを市町村でやっていて、それを貸してもらうには講習を受けなければならなかった。
当時高校生だった私は親友と二人学校をサボってそれを受けたわけだ、いちおう進学校なのに。
いいの、私は学校ではゴーイングマイウェイだったし、親友は後に美大で映像学の教鞭を執る運命にあったから。
ビデオがまだ「U」と呼ばれたプロ用のしかなく(「β」も「VHS」も登場前夜)、上映会なんかの貸し出しはみんな16ミリ。
講習会に来るのは老人会とか婦人会とか、年配の人が多かった。
「海のボーイスカウト・海洋少年団を作りたいから」なんて海軍出身のおじいさんもいたな。
映写機というのはものすごく熱を出す光源を使い、一方のフィルムは熱に弱くて、機械の通し方を間違えると焼き切れてしまう。
で、「講習受講者証免許」がないと借りられない。
それが取りたくて、3日間学校をサボった。
実習用のフィルムはモノクロの、昭和三十年代の「都民ニュース・養老院(昔は老人ホームをこういった)訪問の巻」1本きり。
それを手際よくセットしていってスイッチを入れて、20秒映写できたら合格。
なんだけど。
ちょうど「食事光景」で、場所が「養老院」であるからして、20秒というとちょうどおばあさんがものすごい音を立ててお粥をすすっているところ。
「ずぞぞぞぞ~~~」
「はいもう一度。」
「ずぞぞぞぞ~~~」
「はい合格。」
これを二十人くらいが3日間毎日やるもんだから、夢にまで「ずぞぞぞぞ~~~」が出て来た。

講習の中日が小学館の「プチ・フラワー」創刊の日(80年の2月だった)。
友人と、大好きな萩尾望都先生が百ページ描き下ろすというので喜び勇んでお昼に本屋で買った。
作品は「訪問者」だった。
あのときの衝撃は今でも忘れられない。
奇妙な光景だったでしょうな、喫茶店でランチもほったらかして二人の女の子が同じ雑誌読んで泣いてんの。
「えらいこっちゃ。」
と思った。それまでも漫画は大好きだったけど、本気で「漫画家になろう。」と思った。
本当になってしまった。
萩尾先生が手塚治虫先生の「新撰組」を読んで「漫画家になろう。」と決心したように、私は萩尾先生の「訪問者」を読んで「漫画家になろう。」と決心した。
忘れもしない、「ずぞぞぞぞ~~~」の2日目である。

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