夜と霧は消えない(ニュースより)2012年10月23日 23:27

「最高齢のアウシュビッツ生還者、108歳で死去」ロイター - 10月23日 14:10

[ワルシャワ 22日 ロイター] 第二次世界大戦中にナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺が行われたポーランドのアウシュビッツ強制収容所の元収容者で、世界最高齢の生存者とされていたポーランド人、アントニ・ドブロボルスキ氏が21日、108歳で死去した。アウシュビッツ博物館が明らかにした。
教師だったドブロボルスキ氏は1942年6月に拘束され、アウシュビッツ強制収容所に送られた。後に移送されたザクセンハウゼン強制収容所で終戦を迎え、戦後は地元の高校に戻って、長年にわたり校長を務めた。
ドブロボルスキ氏はユダヤ人ではなかったが、禁じられていた教員組織に所属して小学校でポーランドの歴史を教え、ナチスの意向に従わなかったとして拘束された。
第二次大戦中、ナチス・ドイツはアウシュビッツ強制収容所で150万人(他の収容所などと合わせて600万人)を虐殺したと言われている。


少女時代、『夜と霧』(ヴィクトール・エミール・フランクル(1905年3月26日 - 1997年9月2日)オーストリアの精神科医、心理学者・著)を読んで以来35年以上、温めていたプロットがあって、「ホロコースト」について調べ続けていた。
「戦場のピアニスト(DVD)」など、良い資料は揃ったが、描くための手を決定的に傷めてしまい、宙ぶらりんの作品のひとつとして、「カムバックしたら必ず描く袋」の中にいる。
座り芝居の演目として2度だけ演じた「苺の香りのするせっけん」の母体である。
ゆえに、このニュースは重かった。

戦争の傷は、「忘れてしまう、しようとする、知らない派」と、「絶対全記録派」に別れており(こちらがはるかに少数派であるのは言うまでもない)「中間層が薄い」のは何も我が国に限ったことではない。
(確かフランスだったと思うが、学者が「アウシュビッツはでっちあげである」という極右の論文を書いて、問題になったのはもう20年以上昔のことだったか。)
「国家『戦略』大臣」などというアホな、無神経な名前の役職をおっ立てて上げてしまうくらい、今の日本全体の感覚は、戦争に対して鈍すぎる。
せめて、この文章を読んだあなたは、心の棚の中に、この事実をコトンととり置いていて欲しい。
真実は「当事者の数」だけある。が、事実は「決定的にひとつ」しかないのだ。

ロンドン空襲時の「彼」の記録2012年03月20日 15:57

第二次世界大戦の資料を集めていたころ。
一本のモノクロビデオテープを見つけた。
ドイツによるロンドン空襲の激しさとそれを耐え抜いたロンドン市民たちの記録映画である。

しかし、ロンドンッ子、一筋縄ではいかない。
ある老婦人のインタビューにこんなのがあった。
「ひどい空襲でねぇ、彼はひどく興奮して地下壕へ転がり込んできたわ。」
「でしょうね。」
「で、係の者が紅茶を一杯差し出したらそれを一気に呑み干して、少し落ち着いたようだったわ。元気も取り戻したみたい~。」
「なるほど、そうでしょう。」
「で、係の人の腕にかみついたのよ~。」
「彼が?!」
「ペットのサルよぉ~。可哀想に飼い主空襲では死んでしまってねぇ。
でもいいこともあったわ、叔父さんが見つかったのよ~!」
「………
サルの叔父さんですか?」
「飼い主のよ~、ホッッホッホ。」

こういう国はまず戦争に負けない。

強姦2011年12月20日 02:59

されそうになったことがある。真っ昼間である。とっさに学生カバン(中に辞書が4冊入っていて15キロくらいある)をブン回したら相手の横ッ面にヒットして、難を逃れた。
私はまだ15~6歳だった。
運良くカバンを振り回すスペースがあったから助かったものの、本当に強姦されてしまっていたら私の後の人生観はまるで違ったものになったしまっていたと思う。

ニュースは消えてゆくものだから、しばらくここにつなぎ止めておきます。

【時事通信】 韓国の季明博大統領は18日の野田佳彦首相との会談で、ソウルの日本大使館の前に元従軍慰安婦を象徴する少女像が設置されたことについて「日本政府がもう少し(慰安婦問題に)関心を見せてくれれば起こらなかった」と指摘した。
その上で「誠意ある措置がなければ、第2、第3の像が建つ」と警告した。
韓国大統領府が明らかにした。(以上)

従軍慰安婦に関する記事をもうひとつ

【毎日JP】質問なるほドリ

質問なるほドリ;慰安婦問題を首脳会談で韓国が取り上げたのはなぜ?=回答・西田新一郎

なるほドリ 韓国の季明博(イミョンバク)大統領が野田佳彦首相殿会談で、旧日本軍の慰安婦問題の解決を求めたね。

記者 大統領は就任以降、表だって慰安婦問題を取り上げてきませんでした。しかし、今回の首脳会談では「両国関係に障害物になっている従軍慰安婦問題を優先的に解決しなければならない」と訴えました。

Q なぜ今回取り上げたの。

A 韓国の憲法裁判所が今年8月、「韓国政府が元慰安婦の賠償請求権問題の解決に向け努力していないのは元慰安婦の人権を侵害していて、憲法違反だ」という判断を示しました。判断の後、韓国側は日韓外相会談などでこの問題を取り上げ、日本政府に応対を求めてきました。しかし、日本政府が応じる姿勢を示していないからだとみられます。

Q 日本政府はなぜ応じないの。

A 日本と韓国が国交を正常化した65年の日韓基本条約に伴う協定で両国間の請求検問題は「完全かつ最終的に解決された」と確認しているからです。ただ、実際に慰安婦問題が注目されるようになったのは90年代初頭からです。韓国側は、国交正常化交渉の時点で議論されなかったことから、慰安婦問題は協定の対象に含まれていないと主張しています。

Q 日本は慰安婦問題で謝罪をしていなかったっけ。

A 93年に当時の河野洋平官房長官が談話を出し、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」とし、お詫びと反省の気持ちを示しました。その上で、道義的責任を果たすために国民からの寄付金と政府が事業資金を拠出する形で95年に財団法人「女性のためのアジア国民年金(アジア女性基金)」(07年に解散)を作り、償い金や歴代首相「おびの手紙」を送りました。

Q 韓国では受け入れられなかったということなの。

A 韓国では償い金などを受け取らなかった人が多かったといいます。日本政府が改めて謝罪と賠償をすることを求めているようです。

Q 接点が見当たらないね.

A 民主党の前原誠司政調会長が10月に訪韓した際、アジア女性基金にも触れながら「人道的見地から考える余地がないか」などと述べました。しかし日本政府は否定的で、新たな措置を取ることは難しい状況です。慰安婦問題は当面日韓関係をぎくしゃくさせそうです。(政治部)

(以上)

(蛇足だが1965年といえば韓国はまだ朴大統領の独裁政権で、戒厳令が敷かれ、夜は11時を過ぎると人っ子ひとり出歩けず、民主主義の波もまだ起きていない、無茶苦茶な時代である。)

昔、日本が戦争に負けて進駐軍が日本にやってきたとき、やはり慰安婦として「パンパンガール」という存在があった。
学生時代の母がこのパンパンガール狩りにあって駅前で無理矢理トラックに乗せられ
「私、女子師範の学生なんですけどー!」
と必死に叫んで降ろされた、あとの若い女性たちはどこへ連れて行かれてしまったのか。
自分から、生きていくためにパンパンガールになる女性もいたし(DVD「浮雲」・主演高峰秀子・傑作である)私が5~6歳の頃、上の世代は
「ヘイ、ミスター、ナイスガールいるよ、ファックOK、カモンカモン!」
などという女衒(ぜげん)の言葉を、どこで聞いたか訳も分らず使っていた。


アメリカ軍の(下請けだろうが、とはいえ)駅前トラックホイホイ乗せも荒っぽいが、日本軍は「まかないの仕事だから」とだましたり、家族の強制連行をほのめかしたり、ねちっこい手を使った。
当たり前である、儒教の韓国で進んで慰安婦になりたいものなぞ、いない。
江戸屋猫八さんだったか、軍隊経験のあるタレントさんが、インタビューで
「小屋のね、前にもうズラ~と列になって待ってるわけですよ、兵隊が。手にはコンドームね、『突撃一号』といってね。」
と悲惨さを語っていたな。

もしも母があのときトラックから降りられなかったら、私はもっとずっと早く産まれ、肌の色は白かったり黒っぽかったり、髪の色は栗色だったり黒いチリチリだった可能性がある。
間一髪で逃れた母はめでたく「小学校の先生」になったが、教え子に肌の色の違う子や髪の色が違う子がいて、周囲から差別されないように気を遣ったという。

儒教の国だから言い出せない恥、独裁政権だから言い出せない言論の不自由、「ハードル」はしつこく、高く、幾つもあったはずである。

『女性の人権』という観点から見れば、従軍慰安婦問題はまだ解決していないし、第2、第3の少女像が建ってもおかしくはないのではないかと私は思う。

(あ~、手書き写しは疲れた~・苦笑)

リビア情勢2011年03月20日 02:19

チラッチラッと情報が入っていたのだが、ついにカダフィ政権側とフランス空軍が戦闘状態に入ったようだ。
国連でリビアへの軍事攻撃が可決されてから、気にはなっていたのだが。
海のむこうで戦争が始まる。
一刻も早く終結してほしい。