死について・52016年04月18日 00:00

さて、骨上げである。
喪主とその妻から順番に、「ふたり箸」で焼き上がった骨を骨壺に収めていく。

ここで手首の痙攣が出て、私の持った青竹中節(ふつうの箸は上に節目が来るが、骨上げでは上3分の1くらいに節をつけた青竹の箸を使う)の箸はぶるぶる震えだしてしまうのだが、気づいたドッコイ氏がパッと手首をおさえてくれて、とにかく最初のくるぶし一片を骨壺に入れる。
あとは親戚任せである。

「あー姉さんやっぱりガンだわ、骨がピンク」
と叔母が言うので見たら、肋骨の内側が鮮やかな桃色に染まっていた。
病歴は骨にも出るのだろうか。
長い人生、いろいろな葬儀を体験していくと、見えてくるものもあるらしい。

最後、遺灰を集めるとき斎場の職員は「レレレの叔父さん」と化し、台車の上のお義母さんの遺灰をモウモウとちりとり箒で払い清める。
次に使用する人を乗せる状態にまで戻すらしい。
その場に並んだ兄弟一同ゴホゴホ咳き込み、70にして花粉症になった末の叔父など鼻粘膜がコーティングされ、鼻水の分泌が一瞬止まったほどだ。アビキョウカン。


マイクロバスでホールへ戻って、お坊さんが来るまでの間、昼食におにぎりと漬け物の大皿盛り。

朝食べなかったのと、とりあえず「下界へ降りてきた」安心感で、おにぎりふたつ、漬け物が、これがまた美味なこと、さすが長野は特産品である。
塩分が入って、体の中で滞っていた循環がはじまる。

午後、檀那寺の「殿様の菩提寺」からは、わざわざ総住職(年がいっているのでお経息継ぎ大変)と、年若のお供がひとり、これはよいノドで読経の肺活量も申し分なく、木魚、大小の鐘、鳴らしモノなど大活躍である。
総住職は緋色に金の錦のスリッパ、お供は青に金のスリッパである。
「お坊さん」という商売はコスプレに金がかかる。
1時間ほど、ふたりで読経の後故人を偲ぶ仏の教えなどお話があり、お坊さん退場。

さあ、精進落としである。
義母のすぐ年下の叔父の献杯の音頭で、「ナマグサモノ」を食すのだ。

ドッコイ氏の父方は全員下戸で、こちらはドッコイ氏にまかせ、私は「酒豪揃い」の母方のテーブルに着く。

案の定というかなんと言うか、呑んべえのハナシはおもしろい。
夫婦揃って禁煙に苦労しているハナシ、おばあさんの遺した畑に、最近はシカもイノシシもサルも出没して荒らして行くハナシ、ハクビシンが野生化して、土間のリンゴをかじられたハナシ。
オナカはおにぎりでいっぱいだがハナシは職業柄いくらでも入る。

義母が正月の百人一首の名人だったハナシ、本が好きで、叔父が義母の本棚からゲーテを拝借して、それを丸暗記していまの奥さん(たいそうな美人である)を口説き落としたハナシ・・・

朝鮮半島の大きな商家だった義母の実家が引き揚げるとき、
「女の子に何かあっちゃいけない」
というので、11才の義母は丸刈りにズボン姿で海を渡ったハナシ・・・

知らない義母の世界がどんどん広がる。

「信子さん、家で姉ちゃんの結婚式の時の写真探してみろ、すげえ美人だぞ。」

花嫁姿を想像して、私は義母がますます好きになった。


通夜の最後は、この地方では「食べ残し」は寿司でも煮物でもフライでもエビチリでも、郷土料理「鯉の筒煮」でも、折り詰めにして、ぼたもちといっしょに持って帰ることになっている。

「手が震えるから、ま、いいか」
と思っていたら叔母がいつのまにか「エビの寿司だけ」とか「刺身」とか4折取り分けてくれた。ありがたいことである。

喪主は入り口に行って、挨拶をし、香典返し(海苔とお茶)を手渡す。献花の花をばらした花束は、遠来の客以外はたいがい持って帰る。


最後にドッコイ氏とふたり、家へ帰って義母の遺影を飾る前に花瓶を置くので、ピンクの彩りの多い花束をふたつ選んで、長かった通夜と葬儀は終わった。

(続く)