死について・62016年04月19日 00:00

「おくりびと」という、「納棺師」と言う職業を描いた、優れた映画がある。(本木雅弘主演・第81回アカデミー賞外国語映画賞および第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞)。わたしはこれが好きでDVDで持っていて、何度も見た。

実は以前から「喪の仕事」には興味があって、いっとき、東京の専門学校の公開講座にも通った。
「正座が出来ない人は無理です」と聞いて、杖つきの身なのであきらめたが、もしかしたらわたしは葬儀関係の仕事についていたかもしれないのだ。

時間が空いたとき担当の若いお兄さんに観たかと聞いたら、
「一度観ました」
とのお答え。たぶん研修か何かだな、こんな鄙びた土地だもの。

通夜も終わって、印象的だったのは、精進落としの会場で、係のお姉さんがふたり、飲まなかったビールやウーロン茶をテーブルの上に、十列横隊に並ばせて、「・・・11,12・・・」と数をチェックしているところ。

飲み物は別料金なのだ、後で請求するのだ、間違いがあってはいけないのだ、これも立派に「喪の仕事」。


すべて終わって、ドッコイ氏と家へ帰る。
骨壺というのは重いもんである、とにかく安置して、前に遺影と白木の位牌を置いて、義父のときの花瓶が一組あったので花をいける。

終わった。

「外に出る役割」はみんな終わった。
礼服を脱いで、ハンガーに掛け(肩の辺りに骨粉がついているのを払う)、普段着に着替え、あぐらをかき、ドッコイ氏に
「お疲れ様」を言う。

氏は、香典と入院中の親族の見舞金の勘定で忙しい。
これから四十九日までに、金額相応のお返しをしなければならないのだ。
寺へも葬儀社へも、支払いはこれからである。
しかも現金払い。喪主は葬儀が終わってからも、気が抜けない。

こちらは気が抜けて、秘蔵のカルヴァドスのお湯割りを、折り詰めをサカナに、飲む。


翌日、寺へお布施(戒名代・その他)を納め、役所で手続きを済ませて、東京に帰った。

徒歩5分の母の家が、スペースがあるので遺骨を預かってくれるという。
助かった。(自宅は本と、書類の山=ドッコイ氏3月末まで自治会長)
冷蔵庫の上位しか、置き場所は無かったのだ。

薬切れの離人症は続いていて、手の震えが止まらない。
しかも、標高700メートル、心臓にも持病のあるわたしは気力・体力の限界、ここへきて横隔膜が縮んで呼吸が浅くなり、「高山病」になるのである。

車の助手席に体を押し込んで、後はキュウ、目がさめたら標高の低い神奈川へ来ていた。

しかし、あいかわらず脚はよろよろ、手はぶるぶるである。

母の家へ行き、玄関でお清めの塩をたのむ。
我が家系はそのテのことはまったくスルーで今日まで来たが、わたしの尋常でない様子に母はハッと気づいて、速攻で塩をまいてくれた。

骨壺、遺影、位牌を安置。
手際のよい母のこと、もうボヘミアングラスの水差しにカサブランカがこんもりいけてある。

義母はここへ落ち着いたのだ。

冷えて震える手のひらを、母の手が温かく包み込んでくれ、しばらくしたら震えが止まった。「引かれていた」わたしも薬を飲んで落ち着いた。
「喪」は終わった。


以上、思い出すままに、義母の死と葬儀の顛末を書いてみた。
読んでいるあなたが近しい人の「死」と向き合ったとき、何かの参考になれば幸いである。

(おわり)