ベランダ太平記・3「枇杷の木は残った」2020年04月29日 01:50

(「樅の木は残った」作者・山本周五郎先生に捧ぐ)

(続き)
さて、問題は枇杷である。
これはどんどん大きく伸び、茂る。
しかし、ドッコイ氏は枇杷の木を知らぬ信州育ち。
枇杷の名産は千葉、信州の名産はリンゴと杏と胡桃。
枇杷の実を買って食べた氏は
「コロンと大きくて可愛い種だなあ…」
と、そのままベランダへ出て、たまたま空いたプランターに指を突っ込んで穴を作り、種を入れて上から土をかけ、水をやった。
だけ。

そこが枇杷の思うつぼ!
知人のおうちに大きな枇杷の木があった。
「大きいですねー」
と言ったら
「ああ、それ5歳の時、私が縁側で食べて庭に種ペッとやったの。芽吹いちゃって伸び放題よ」
枇杷は侮れない。

しかし、ドッコイ氏が種を埋めたプランターは
「一年草の花を咲かせるための、浅い円盃形」
そこに、グングン伸びる枇杷、である。
2本の、高さ30㎝にもなった枇杷は、葉が大きく、風が吹くたびぐらつくので、根が土から持ち上がり、「不自然な自然の造形」となっている。
傾きまくっているのだ。

力士が四股踏んで片足持ち上げかけた、そう、あの姿勢。
図体はデカいが根が半分土の上に出て、風が吹くたび鉢の土がかき混ぜられて、鉢が載っているのがエアコンの室外機の上だったもので「土埃の嵐」、洗濯ものの天敵である。

「枇杷はあきらめましょう…」
私は鉢を風よけの日陰に移し、水やりを止めた。
自然に枯らせる作戦である。
それにドッコイ氏が異を唱えた。

「枇杷を枯らせないで」
「あのね、枇杷は地面に生える木なの。枇杷の盆栽ってないでしょう?ベランダでは無理なの」
「でもボクが目覚めさせた命だ。かわいそうだ」

あらあら。
「責任取ります」
ってか。
末摘花を大御殿に引き取った光源氏のようだ。

しかーし。
私はこのドッコイ氏の高貴なところにも惚れてしまっておるのよ。
しょうがないなあ、もう!

「じゃあ、ベランダで生かす手立てを考えましょう」
3日考え抜いて、
「大きなガーデンセンターに、コロナで外出自粛ムードですが、すいていそうな時間に一緒に行きましょう。そこで買うものがありますが、私は杖で持てませんので、あなた担いで車に載せてください」

買いました、テラコッタの内幅24㎝・深さ24㎝の寸胴大鉢。それとゴロゴロした竹炭一袋。
買って帰ってふたりで作業。
といってもドッコイ氏はこんなの未体験だから、私が指導。

鉢の底穴にネットを引いてゴロ土と竹炭を水はけを良くするために8㎝。上に再生園芸土にゴロゴロ竹炭を混ぜたの。
腐葉土だと葉の部分が崩れて土が沈下してしまうのと、ゴロ竹に根が当たって、衝撃で分岐する「根張り」を計算したわけだ。

かなり深めに植え、土をかぶせ、枯れ始めた下葉を除く。
根元をしっかり、手のひらで土を押さえ、活性剤入りの水をたっぷり。これで風をよけてしばらく様子を見る。
先端の芽は、これから真っ直ぐ上に伸びられても困るので、こんもり仕立てるために剪定ばさみでカット。

ドッコイ氏は根元を手のひらで押さえるのも初めて、芽をカットする作業を何の意味があるのか分からず、不思議そうに見ている。
それを植物学的理論でとことん説明。
納得した様子。

で、1日終わり。

翌朝。朝ご飯の支度をしていたら、氏は
「いや、私はもう『観察者』ですよ…」
ちょっと待て、ドッコイ!

あれは「あなたの枇杷」なんです。
私は過去の園芸知識を生かしてお手伝いしただけ、あれはあなたの「命」なんです。
責任取ってください。

ベランダに枇杷の大鉢なんて、体力の無い私には手に負えんわ!

ああ、「みどりのゆび」の作者・モーリス・ドリュオン先生お願いです、ドッコイ氏に「みどりのゆび」をお授けください。
忌野清志郎がなぜ
「愛し合ってるかい?」
と死ぬまで叫び続けたのか。

枇杷もあなたを愛してるんですよ、あなたの命を愛しいと思っているんですよ、この種を超えた「相補性(コンプリメンタリー)」がなければ「園芸」は成立しない。

美しい鉢や苗に魅せられ、よいとこだけ取って、あとはメモワールとしてコンプリート箱に詰め込んでいては、植物の命の残骸の「カラ植木鉢」が増えてゆくだけなのだ。

「園芸」とは「愛し合うこと」なのだ。

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