ベランダ太平記・2「新領主による荒土開拓」2020年04月28日 01:04

(「園芸家12ヶ月」作者・カレル・チャペック先生に捧ぐ)

(続き)
堕天使ルシフェルが世界に降臨しようとしたそのとき、私には奇跡が訪れた。
大天使ガブリエルが乙女のもとに舞い降りて
「アヴェ・マリア」
と告げたようなものである。

じゃない。

新しい薬の処方が劇的に効いて、長い寝たきり生活から復活したのである。

これには驚いた。
三十代半ばで
「今すぐ入院しないと、あなたは死ぬかも知れない」
と医師に言われてから、公的支援を受けて薬飲んで、ずーっと曇りか雨か嵐か、晴れても夜だったのだ。(それでも介護して親5人看取って、仕事も出来るまでは続けたが)
それが朝目覚めたらパッと
「晴れときどき曇り」
になっていた。
薬が手放せないとはいえ。

まずは台所に立って、包丁握ったりコンロに火をつけてみたりした。
次に洗濯。最初は室内干し。
洗う量が増えたのでベランダに出たら。

あらまあ。

私、瀧廉太郎先生の気持ちが突然分かったんである。
そこは「荒城の月(昼間だけれど)」の世界であった。
写真で言えばパリのウージェーヌ・アッジェ。
「廃園」だったんである。
積んであるプランターと転がっている植木鉢の数々、エアコン室外機の上に大鉢ふたつ。
息をしているのは「いちご」と「ブラック・ベリー」
あと何か分からん枝が芽吹いているのと、緑の葉で棘があるの。そしてなぜか、今にも引っこ抜けそうな枇杷。

私の眠れる「みどりのゆび」がウズウズと疼きだした。

「さぁ、なんとかしなくちゃ!」
9歳児と7歳児と5歳児と3歳児抱えるお母さんがリビングでつぶやくセリフかもしれない。
私は腕まくりした。

そしてドッコイ氏に宣言した。
「今日からベランダは私の陣地です。」

芽吹いたものと緑のものには「目覚め肥」を少しと、土壌改良剤(新聞広告で取り寄せた)を少し加えた水をやった。
下葉の枯れたのと先芽の枯れてしまったのは取り除き、伸びすぎたものは剪定し、枝を誘導し、日差しに向けて鉢の位置を変えた。

こぼれ種で芽吹き、支柱も無いままうろうろと地を這い枯れてしまった朝顔は、水をやらず土を良く乾かしてから、根っこから引っこ抜いた。
土に根や枯れ茎を残してはならぬ。
枯れ葉と一緒にみんな「燃えるゴミ袋行き」。
土に混じってボロボロに劣化しているスーパーの袋(風よけにでも使ったか)も、養分・空気・水分の通りを悪くするので根気よくつまんで取り除いた。

ゴロ土は鉢底へ、細かい土は腐葉土と苦土石灰と竹炭とバーミキュライトを混ぜ合わせ、水をやって細菌の力で生き返らせた。

それを鉢やプランターに戻して、サラダ菜7種や細ネギ、大葉、葉大根などの種を蒔いた。
ベンジャミン、パキラ、パセリ、ローズマリー、スミレの苗を買ってきて、鉢に移した。
ミニバラとアイビーも買った。
まだ埋まらないプランターと鉢のために、二十日大根、にら、ルッコラ、バジルなどの種をそろえて、これはGW開け、もう少し温かくなってから蒔く予定。

で、芽吹いていたり緑だったりしたものの正体をドッコイ氏に聞いたら。
「リンゴ食べたんで種」「夏みかん食べたんで種」「枇杷食べたんで種」「桑の木の前通ったら剪定してたんで、落ちた枝拾ってきて挿した」
以上全部氏の食欲と関係のある物件であることが判明。
この鉢の大きさでは、リンゴや夏みかんが実ったら頭でっかちで確実にひっくり返る。
が、桑くらいだったら何とかなるか、野生の桑の実摘んでジャム作ったこともあるし、今や「マルベリー」とかいって、ちょっとしたブームだし、ま、いっか。

しかし枇杷は…いくら何でもねえ…

そこでドッコイ氏と私との間で一悶着あるのである。

(まだ続く)