「世帯主」の正体は?2020年04月22日 00:51

ひとり十万円、世帯主に書類送付っていったって…

日本の「家庭・家族」はものすごい勢いで変わりつつある。

DVや児童虐待で「シェルター」に身を寄せている妻や子供の立場は?

暴力振るう夫や、再婚相手の父親と盲従する母親に、十万円は渡ってしまうのか?

大震災後の「お金」は
「夫が飲んだくれでDV」
で、妻は自分の口座はおろか、小さい町なので
「自分の口座開設用の『はんこ』買っただけでウワサになってしまうことを恐れて」
結局妻子には現金は渡らず
「夫のパチンコ代とタバコと酒に消えた」
というケースも少なくなかったというぞ。

ホームレスや、都内だけで4千人いるという「ネットカフェで寝起きする労働者」はどうなるのかな?

現実を把握しないで紙の上だけで物事を決めると、必ずどこかに「穴」があるのである。

少女漫画家・内田善美さんとエッセイスト・田辺聖子さん2020年04月22日 01:08

内田善美さんの単行本は、まだAmazonで入手できる。
これはコツがあって、判の小さいものより大きいものを買うこと。
美術大学を出た内田さんの描く世界は、それまでとはまったく異質なものだったので、カラーにせよモノクロにせよ、大きなサイズで見ないとわかりにくいのだ。

いや、ハマったもんだね大学1年の私。
部屋の段ボールひっくり返してて原稿が出てきたら、もうビックリ仰天、ここまで影響受けてたのかー!(笑)

丸ペンという「細い線を書くための専用ペン」(軸が普通のペンと違う)で、エッチングのように人物の影の部分まで紙に「彫り込んでゆく」技法。
細い細い、神経戦である。

それを「若さ」と「好き」にまかせて(近視で乱視なのに~)やっていたのだ。
いっときの「熱」とはいえ、いやはや、若い頃には一生懸命「かいておく(絵も恥も)」もんである。

私にとって生涯の師匠は「手塚治虫さん」で「萩尾望都さん」だが、内田さんの作画技法を学んだことは、無駄ではなかった。

描き込む内田さんから逆転して
「描かない技法」
を追求することによって、自分だけの画法を確立できたのだから。

もちろん大学で私は日本画専攻だったし、「鳥獣戯画・甲巻」が絵本代わりで、安田靫彦先生によって完成された古典的「大和絵」の流れを学んでいたわけだが…
(その点、師・中島千波先生から受けた影響は「素描のみ」というのが、もったいないといえばもったいないが、結果的にはそれで「職業」として成り立ったのだから、まあ良しとしよう)

私は「最低限の輪郭線」「影は線よりもちょっとペン先を動かしてポイントだけつける」という基礎の上に、1本の線を引くところを、わざと切って2本にしたり、浮世絵で言う版擦れ、わざとハーフトーンをずらしたり、輪郭線に「下書きの鉛筆線を消しゴムで消し忘れたかな?」というような細い線を描き添える、という画法を編み出した。

その上で
「三頭身から八頭身まで」、つまり「いしいひさいちから少女漫画、青年劇画まで描けます、ご注文をなんでもおっしゃってください」
という間口の広さでスタートできたのだ。

個性が画風と直結する少女漫画からスタートしたことを考えると、これは「特質」だった。

若いウチは逡巡するに限る。
失敗も恥も、みんな「人生のコヤシ」になる。
そして、どんなに年を重ねても、心の中に「若さ」を生かしておくのはけっこう良いことだ。

突然閉塞された社会で戸惑いは大きいだろうが、いろいろ取り入れてみるのもラッキーチャンスだ。

私はとりあえず「1年間関西にステイする気分」になって、昔から好きだった田辺聖子さんのエッセイをまとめ読みしよう、昔読んだのも改めて読もう、若い頃とは考えることが違うかも知れない…と計画中。

毎日全国の古書店からお安くて保存状態の良い文庫本が(文庫だって、読めるのは目が働く今のうちだ!)新聞受けにドサリと届く。

1年後、私は上方弁になっているやもしれぬ。

「一生懸命心を遊ばせること」は、多分幾つからスタートしても、遅くはないだろう。

あと3週間ちょっとで誕生日だ!

アレルギーとアマレット2020年04月22日 20:25

ご町内の内科がじつは「アレルギー・呼吸器」もやっていると知り、バスで途中下車して行ってきたのが1週間前。
コロナ騒動で誰も居ない待合室、すぐに先生とご対面。

で、一週間、血液検査の結果は…
はい、案の定「スギ・ヒノキ花粉、ハウスダスト、かび(私のスペースは北向き、カビとの戦いである)…」はともかくとして、「バナナ・ごまも要注意」って…あんなに気分悪くなる「キウイ」はOKなんである。よくわけが分からんが、少し体質が変わったのかな?

こどもの頃から「じんましんの嵐」だった。

思えばベランダに迷い込んできたセキセイインコを飼い始めてからで、私は「クチバシで指を噛まれると血が止まらない」のである。犬も猫もだめ。ウズラや熱帯魚を飼ったことはあるが、原則ペットは諦めている。

身につけるものも、昔粗悪製品が多かった「化繊」がダメで、母が縫ってくれた木綿の下着とブラウス、ウールのスカートと上着、手編みのセーターで身を固めていた。

郊外に越して少し良くなったが、中学から6年間は排気ガスモウモウの横浜中心部の女子校に越境通学で、ここの制服が「木綿とウール、以上!」という「戦前女学校スタイル」だったから救われたが、化繊だったら私はじんましんで中退していただろう。

大学は家から2駅の畑と森のど真ん中・田園地帯にあり、そこで私の皮膚は初めて深呼吸した。
化繊も質が良くなり、私はそれなりにオシャレを楽しめるようになった。ただ、肌着だけは絶対綿100%でなければダメ。かゆくなっちゃう。

学生時代から漫画の世界でお金を稼ぐことが出来るようになり、卒業後はいったん駅前で古書店員として働いたが1年8ヶ月で漫画の世界に戻った。
最初のウチはよかった。が器用さが災いして「化粧して表参道や代官山を闊歩して下さい」というビジュアルプランナーなんて仕事を請け負ったら、急に皮膚が苦しくなった。

職種を絞り、横浜の川の畔で「自分の仕事・結婚して夫との生活・55才年の離れた養母とそのパートナーの介護」という3本柱の生活になった時点で、化粧はダメ、肌も木綿とウールに逆戻りしていた。

それでも、安い外国製品は「綿100%」と表示してあっても「縫い糸」が化繊のことがあり、本当に困った。

若い頃のおしゃれ着をどんどん処分し、国産のグンゼの肌着はモノは良いがレースの縁取りがあり、インナーとしてしか着れぬ、困ったな、というときに、新聞広告でふと見つけたのが、繊維の長い柔らかくて張りのある「ベトナム綿」を現地の工場で仕立てている、良心価格のブランドである。
しかも、ボートネックや浅Vネックなんかもあり、色もいろいろ。

助かった。
ベトナム綿はボリュームと遮光性があり、外国製の中でも特に安い品のようなペラペラではないので、ここが女性にとっては大問題であるのだがが「乳首が透けて見えない」!

ベトナムはコロナウィルスの侵入防止に成功し、経済は制約されているものの、死者を出していない。
一時期操業を停止している工場も再開予定が立っており、現在在庫切れの製品もじきに入荷するという。

ほんの数ヶ月前まで世界は「生産の相互依存」状態にあった。
今、安定して供給できる国はどこか。

オーストラリアは森林資源に乏しいため、トイレットペーパーを自国生産できずパニックだという。

どの国が、どんな製品を安定して生産・世界提供出来るのか賢く冷静に見極めなければならない。
日本でも、アルコール消毒液は自国生産できても、プッシュ式のスプレーボトルが実は中国頼みでした、という事態である。

トランプは中国が嫌いだが、中国製品が輸入されなければアメリカの大手スーパーは棚がカラになってしまうということを自覚しているのか。

日本でも、中国とのパイプを「一本調子」でやってきた百均などでは、地方都市で棚がカラ、一時閉店などという現象が起き始めている。
国産品に強い百均、ベトナム・タイとのパイプが太い百均、中国とのパイプが一本ではなかった百均など、生き残りはさまざまである。

どの角度が自分にとって「安心・安全・快適」をもたらしてくれるか。
「世界の中の一消費者」である私たちは、漫然と買い漁るのでは無く、きちんと「見極め」なくてはならないのだ。

とりあえず私は、国内経済が「食品・生活」以外ストップしているイタリアから「アマレット(杏仁リキュール)」が日本に供給されている事実に感謝する。

アマレットは精神安定に良く効く、美味しい薬用酒である。
アイスコーヒーや紅茶、オレンジジュースに垂らすと気分が明るくなる。

イタリア・DISARONNO社の職人さんに乾杯!