「白銀のカナリヤ」最後の弟子2015年01月18日 02:28

昨日が「便秘騒動」でものすごく変則睡眠だったせいか、今日は「眠り病」のようにひたすら眠り続けてしまった…
そういえば明治42年生まれの師・岡本彌寿子先生(1男9女の女系家族)は、「玉子姉さんは『眠り病』で死んだの…」と言っていたが、今で言えば「脳炎の一種」かなにかだろうか。

岡本先生はお母さんが二人で「9女、やっと1男」というスーパー女系家族である。
一度「ウスバカゲロウのように透き通って美しい妹がある日突然きたけれど、スゥッと死んじゃった。
本当はお妾さんの子だったの。」と言っていた。
大正、戸籍いかげん。

「本当に絵の才能があったのは龍子姉さんよ。
ずっと美人だったし。
でも「味の素」(当時の世界ウルトラヒット企業)の研究員に見そめられて結婚、嬉しかったわ。
まさか、あんなに突然死んでしまうなんて…
私が絵を描いてい生きているのは、龍子姉さんのお導き。
龍子姉さんが画家を目座しいていたら、私なんてかなわなかったわ。

しかし岡本先生は日本画世界で「白銀のカナリヤ」と呼ばれるほどの美人だったのである。
再興日本美術院同人(幹部クラス)、日本女流画家協会理事、大きな勲章もらい、神奈川名誉県民、お歳暮お中元ザックザク、でも常になかったのは「現金」。

「売り絵」(生活のために画商に売る絵)を描かなかったからである。
昔の作品のリトグラフ化企画にも「色が落ちるので」と首を縦に振らなかった。
年収は、実質四百万だった。(代理で税務署行ったから知っている。)
その中で、高価な絵の具買って、美容室行って、和服を仕立てて、服は全部馴染みの洗濯屋さん。

盆暮れに、米、味噌、しょう油を贈ってくれた弟子には「ありがたう」とすらすらと流れるような文字でお礼状を書き、「かに缶」だと「飽きるのよ…」と電話で済ませていた。
「高級石鹸(soap)」は「高級スープ(soup)の素」と思い、鍋で煮て台所を泡の海にしていた、ウルトラ天然おばあちゃん。

お世話は大変だったけれど、憎めず、大好きだった。
私は他のお弟子とはうんと年の離れた最後の弟子だけれど、上の弟子達に報告する気にもならず、古径先生門派の研究会に名乗り出る気もない。
日本画家になる気もなく(万が一夫が先に逝ったら1部屋空くので趣味で描くか)「貧乏だけれど自由な『白銀のカナリヤ』」の後継者だ。


このエッセイは「UFO文學14年度冬季号」に掲載しますので、引用・盗作を固く禁じます。
発覚した場合は提訴します。

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