俵星玄蕃を歌っていたら…2012年02月12日 02:00

「大忠臣蔵」は長編歌謡浪曲、三波春夫大先生の代表作で全29曲、CD4枚もある。
中でも「元禄名槍譜・俵星玄蕃(げんろくめいそうふ・たわらぼしげんば)」は9分近くあり、「大忠臣蔵」の中でも聴かせどころである。
(晩年、紅白最後の出場の時もこの曲だった)
俵星玄蕃という槍の名人が、蕎麦屋に扮して吉良邸を探る浪士の杉野と知り合い、浪士のひとりと気付きつつ、名も知らず槍の極意を教えた上で分かれたその夜が討ち入り、雪の中を槍を構えて赤穂浪士の助太刀に行く、というストーリーである。
ドラマチックで、歌いでもあり、…この「歌いで」がくせもので、前半飛ばすと後編息が保たなくなってしまう。

「かかるゥ~ぅ、折りしもォひとり~ィの浪士が、雪をけたてて(ぁ)サク(ぁ)サク、(ぁ)サク、サク、サク、サク~ゥッ!『先生ェッ』『ぅおうッ、そ~ば屋かあァ~ッ』♪チャカ、チャカ、チャ~ン、チャ~ン、チャンッ!」
なのだが。これをおなじく三波春夫ファンのドッコイ氏の前でちょうど後半が来るように台所でお茶を入れて歌いながら歩いてきたら、
「(ぁ)サク(ぁ)サクッ♪」までで息が上がってしまい、

「先生」「おう、蕎麦屋か…」。

サザエさんの御用聞き三ちゃんと隣のイササカ先生のやりとりみたいになってしまった。

肺活量足りなすぎ。カラオケの出る前の、昔のプロは難しい歌を軽々と歌って見せたのである。先日の松山恵子さんの「だから云ったじゃないの」にしても「お別れ公衆電話」にしても難しすぎ。
中島みゆき姉さんも中森明菜ちゃんも、ブレスの難しい歌を歌うのだが、私の場合口笛だと「吹き笛」も「吸い笛」も出来るのでノンブレスでも平気。
が、歌謡浪曲に口笛ってなぁ、聞いたことないなぁ…。
やり直しのきかない一発芸なので、残念無念。

つながらなかったよ日記・その32012年02月06日 01:25

書いちゃったので載せる「その3」。
さて、ネットのない博覧強記な文筆業の時代。
神田の古書店街には「司馬遼太郎現象」なるものがあった。
バルチック艦隊ならバルチック艦隊の、モンゴルならモンゴルの、関係書籍が一斉に姿を消してしまうのだ。
買い手は司馬遼太郎さんである。
「重なってもかまわないから、読みもらしのないように関連書籍を『全部』買う」、これ、すごいお金持ちじゃないとできない。
それと同時に、神田の古書店主は
「あー、司馬センセ、今度はこれ書くなー。」
と知ることができたのである。汗牛充棟。

土曜の朝はフレンチトースト2012年02月04日 15:24

<材料>
1・卵・六枚斬り2枚につき1ヶ
  牛乳・ちょいと
  グラニュー糖・隠し味に
2・食パン六枚斬り2枚(1人前・2ッ切りもしくは4ッ切り)
3・バタ(ケチらない)
4・メープルシロップ(お好みでジャムでもハチミツでも)

<作り方>
1・を混ぜる。
2・それをボウル(あったら小さいバット)でパンにまんべんなくつける。
3・フライパンにバタを溶かす。(焦げやすいので火は弱め)
4・2を投入、両面焼き色がつくまで焼く。
5・メープルシロップをタポッとたらす。(ポタッではない、タポッとね)
6・暖かいうちに食べる

節分豆まき恵方巻き2012年02月03日 22:16

「恵方巻き」は、ついにデパートの特設コーナーにまで進出している東京の冬である。
最初はコンビニと老舗の茶巾寿司専門店だけだったのだがなあ。
しかし今年も我が家は手巻き寿司(ネギトロ)で済ませて、今年の恵方も『父の骨壺と差し向かいで黙って食せ』なので、いつもとかわらず席についておしゃべりしながら食べた。
あっているのは「海苔巻き寿司」だという点くらいである。
恵方巻きについてはチャキチャキの浪花っ子の島村洋子先生も
「昔はなかったなあ」
と回顧しておられるので、元来はよほどピンポイントな風習だったと思われる。

Wikipediaでも
> 商業的に売り上げの落ちる1月後半から2月初旬の販売イベントとして、主にコンビニエンスストアを中心とし、スーパーマーケットなどの店舗において各地で展開。ファミリーマートが先駆けであり、1983年(昭和58年)に大阪府と兵庫県で販売が開始された。道頓堀で行われた販売促進イベントがマスコミに取り上げられて関西に広がった。>
とあるしね。

東京の節分「豆まき」は、その家の長男の役割だった。
母の家は、以前も書いたが「下宿屋」なので間取りが広く(回廊形式)紋付き袴姿の伯父が、一升枡(ます)をかかえて、各部屋廻ったという。
江戸時代から続いた「江戸っ子家系」のなごりである。

ウチは、高齢化が進んで豆を蒔く子供もいない団地なので、先日の「でん六福ます」でもって、私が精一杯のアニメ少女声を作って
「♪鬼はァ~そと~ッ♪」と言ってベランダの外の芝生に蒔き(明日にはハトのエサ)、
「♪福はァ~うちィ~♪」と言いつつ、乱雑な「腐海の部屋」には蒔く気にもなれず、豆握りしめたグーのまま。
ポリポリ食べました、豆。いい仕事してるな、美味だわ「でん六」!

これは美術系の、A3のプリンターを持っている友人のブログからなのだが(無断使用ごめんよ、やぎ師匠!)
この季節、修繕に出すと戻る時こんな注意書きが入っているという。

「節分の豆まきには、ご注意ください」

蒔くと、プリンター内部に、入っちゃうのね「豆」(笑)。

探しもの時間の%2012年01月31日 13:37

私は「メガネをなくして台所のまな板の上で発見した」ことがある。
花粉症の季節だった→キャベツを刻んでいたら大粒の涙がぽろぽろ。→ここでメガネを外してまな板の上に置いて→ティッシュの所へ行って涙を拭いて→目薬をいつも置いているところへ行ったら無くて→別の部屋へ行って大騒ぎの末やっと目薬を発見して→「ああよかった、あれ?ところで私メガネ掛けていないわ!」と気づきパニックになり→今までの行動を全部逆にしてみて、ドタバタやって→やっと台所のまな板の上に、キャベツと包丁と一緒にちょこんと座っているメガネ発見!→キャベツを刻んでいたことを思い出すという、ありさま。
最近はメガネを無くしても探せるように「探索用メガネを置く位置」をもうけ、さらにそのメガネが見当たらない時用に押し入れに「メガネ入れ」と大書した箱を用意して、都合7本のメガネを所有している。
安い中国産のメガネに押される昨今、国産メガネ製造に携わる皆さまご安心下さい、全部国産です。(笑)
メガネ1本でこのありさまであるからして、人生で「探す」という行動がかなりの%とっている気がするのである。

大食漢2012年01月31日 03:14

テレビを見ていたドッコイ氏が突然「わっはっは~!」と笑い出した。
他のことをやって耳だけで聞いていた私は
「どこぞの病院でインフルエンザが院内感染して大変…」
というニュースで、なんじゃらほいと思ったのであるが、字幕が可笑しいという。
最初『大食いとめられず』が目に飛込んできて
「どこぞの大食い大会で事故が起きたのかな」と思ったら、その前が
「ウィルスの院内感染拡」だったというのだ。
「ウィルスの院内感染『拡大食いとめられず』」
だったのである。ウィルスは「食う」ものかと思って辞典を引いたら
「【食い止める】(被害・侵入などがそれ以上に及ぶことを)防ぎ止める。」とちゃんと出ていた。
被害にあわれた方には大変お気の毒だが、日本語って「区切る位置」でいきなり意味が変てこりんになっちゃうのねー。
(それにしても、大食漢のドッコイ氏をどうやって痩せさせられるかが今後の課題。真夜中に昼・夕のお弁当を作りつつカチャカチャ。)

♪探しものはなんですか~? 鍵ッ!!2012年01月29日 23:56

「♪~まだまだ探す気ですか~
それより僕と 踊りませんか~」

ああ、名曲「夢の中へ」の井上陽水の甘いテノール、斉藤由貴ちゃんのフレッシュな歌声。
でもね、おばちゃんそこで人生幸朗(こうろ)・生恵(いくえ)幸子師匠コンビのぼやき漫才
「探し物はなんですか♪」
「鍵ッ!!」
がでてきちゃうお年頃なの(笑)。

というわけでこの3日間必死で鍵を探していたワケだ、部屋の中で。
確かに具合が悪くなってタクシーで帰った、鍵を開けて閉めた。その先が見つからない。
いつもの玄関にも、ジーンズのポケットにも、ない。
となると、家のどこかだ、物を置きそうな台、ない。
金具がついているから床に落としたならチャリーンと鳴るはずだ。聞いていない。
布団の横の洗濯物の中か、しかしどう引っかき回してもでてこない。
一番嫌なゆくえ。
平積みに積もり積もった本の腐海の中。
……ま、あと一ヶ月くらいで引っ越しの予定だし、きっとそのとき出てくるだろうから、いっか~♪
と、言ってられない。内心ピカソの青の時代である。
実家の鍵も入っているのだ、万が一母・芳子さんの身に何かあったら(私はそこんとこものすごく肝が小さい)どうすればいいのだ!?
で、昼もなく夜もなく探し回っていたわけだ、ただでさえとっ散らかした部屋の中をさらにとっ散らかして。
頭の中は人生人生幸朗師匠のぼやき漫才の名作
「♪探し物はなんですか~・鍵ッ!!責任者出てこーい!!」
がぐるぐるリピートモードである。
なのに今日でかけるときに、いつもの習慣で玄関の下駄箱、というよりも下駄+雑物棚、だな、そこにふっと手をやったら、鍵さまが鎮座ましましていたのだ。
理由はひとつ。
キーホルダーのビバンダム((Bibendum・世界で最も古いトレードマークの一つとして有名・仏・ミシュラン)がとれちゃっていたんだな。
で、3日前「とれたビバさんはこっちに置いといて、鍵は…」からがいつもの習い性、薄暗い玄関の、棚のフックに鍵を掛けていた、なのに私は「ビバさん付き」の(色つきの)マスコットを目安に鍵を探していた」というわけだ。
人は何によってモノを認識しているか。私の場合「色」であった。
人生幸朗師匠、責任者は私自身でゴザイマシタ、すみません。

さて、とれちゃったビバさんの替わりを、どこで探そうか。
探しものはなんですか♪

愛のきざはし2012年01月20日 14:45

「階(きざはし)」という字がどうしても記憶できない、辞典引くのもこの半年で4回目だー!
とぼやいていたら、女子校の後輩Jさんが「鎌倉の豊島屋(「鳩サブレー」で南関東では割と知られた老舗)のお菓子に「きざはし」というのがありますよ」と教えてくれた
「きざはし」は求肥のお菓子だという。もしかしたらこの町のデパートでは生菓子として扱っていないかも知れない。「その時は来週鎌倉へドライブよ!」と言ったらドッコイ氏がちょいっと町へ行って最後の一箱をゲットしてくれた。
これが銘菓「きざはし」↑。

極上の求肥ときな粉で口の中はもう味のパラダイス!
これで「階・きざはし」は美味しさと一緒に頭に刻み込まれました、ありがとうJさん!

しかし私は「きざはし」という言葉を何に使うつもりだったのか?
今の時代では、全然使いようがないではないか。
連続昼メロドラマ「愛のきざはし」かいっ!!!!!
東海テレビ制作で主演は高木美保かい!(それは「愛の嵐」)
これではタモリ倶楽部の深夜爆笑名作ドラマ「愛のさざなみ」「愛のたゆたい」になってしまう。
(お若い方、次から次へとごめんなさいね)
行方知らずなボキャブラリーが、また増えてゆく。それはそれでまた楽しいことだなあ。

老眼と長寿2012年01月15日 17:10

私は40歳になる直前、それが昔は「初老」と言われていたのだと知って驚いた。
月に数日は満員電車、終電車に大荷物で乗って、ぎゅうぎゅうもまれ、それ以外の日は「ふたりあわせて180歳を超える」養母とそのパートナーの面倒を見るのがるのが日常だったから。
まさに人生真っ盛り!という気持ちでいた。なのに「初老」なんて。(「五八の賀」とも言うらしい・掛け算九九か!)

ということで無視することにした。
ただ、好きな向田邦子さんがエッセイで「最近の新聞はインクが滲んでよく読めない」「針の穴が開いていない不良品が多すぎる」と散々腹を立てた架空の人物、最後に「実はそれが老眼の始まった最近の私ですよ」という種明しのエッセイを読んでいたので、老眼だけは目を使う商売のため構えた気持ちでおり、「来たな」と思ったら即メガネ屋さんに行った。
おかげで手持ちのメガネは都合7本、読書用、運転用、度つきサングラス、それらがどこかにいっちゃったときの「探索用」である(笑)。

ら、昨日ついにドッコイ氏が老眼鏡を誂えることになり、帰宅後、開口一番
「いやあ、乱視が混じっているだけでこんなに手間と時間とお金がかかるとは思っていなかった!」
でしょ。郵便局にサービスで置いてあるのや、バカ安で売っている中国の量産品のようにはいかないのよ。

「老」という言葉を、自分自身の人生に最初に受け入れるのはたいていみんな「老眼」である。否が応でもやって来る。

NHKが近年行った調査では、60歳ぐらいからを「初老」と考える人が全体の42%だった。
それもおもしろいことに、10代の意見では「初老」は平均48.8歳、50代の意見では平均59.1歳と、10歳以上も年齢にひらきがある。

「人生50年」といわれた時代には、60歳以上は長寿と考えられ、40歳で立派な「初老」だった。
当時は「初老の賀」のあと、10年ごとに「五十の賀」「六十の賀」が祝われた。
この「算賀の儀礼」が受け継がれて、60歳の「還暦」、77歳の「喜寿」、88歳の「米寿」が、江戸時代から一般庶民の間でも祝われるようになったという。
今や90歳の「卆寿」、九十九の「白寿」もまれではない。
近年無くなった私の大叔母は103歳の長寿を得たし、その妹の私の養母も九十八、数えで白寿まで生きた。
ふたりとも歌人だったり日本画家だったりしたので、そのせいもあるかもしれない。
映画「楢山節考」や「デンデラ」の「70歳で山に捨てられる」という姥捨て伝説の設定から考えると、嘘のようである。

11の時からメガネをかけ続けた私にとっては、老眼鏡は「人生の折り返し地点」という思いが強かったが、ドッコイ氏は五十を5ヶ月後に控えた今、どんな気持ちなのかな。
訊ねても「別にたいしたことはないですよ。」と言っているが、常用するようになると見慣れたはずの世界が変るのだ。
出来上がったメガネをかけたとき、聞いてみたい、
「あなたは自分のことを初老と思いますか?」
たぶん答えは「わたしはまだまだ『壮年』(厚生労働省の言う40歳から64歳)ですよ。」だと思うけれど。
ちなみに同省が定めた「実年」は50歳代~60歳代だそうで、かぶっていてややこしいのである。

国語辞典2012年01月13日 13:58

…がないと生きて行けない。
こうしてカチャカチャやっている横に、鎮座ましましている。ページの間にコンパクト天眼鏡も挟んである。
ATOKの辞書機能だけでは全然アテにならないので、ひとつの文章を書くとき、最低3度はお世話になる。
とにかく物忘れは激しいわ世間知らずだわで、同じ所を何度もひく。
「階(きざはし)」とか「ゆくりなく」なんて、この半年で4回はひいているわ。
しまいには「何回ひいたか」だけ覚えていて、元の意味を忘れている。
そのくせ「魁・さきがけ」は漫画のタイトルで知っていたりする。でも手書きだと(今は実際ほとんど出来ないが)「魅力」の「魅」の字と間違えたりする。
なにはともあれ、やっぱり辞典は必要である。
今使っているのは岩波の「中辞典第六版」だが、先代は二版だった。しかしこの二版も、中学2年の時友人が描いてくれた「シャクトリムシのパラパラ漫画」がすみっこにあるので手放せないのである。(笑)
広辞苑は、スタジオをたたむとき、古いので古紙回収に出した。
重い物なので、地元の「文房具兼書店」で最新版を買うのと、引っ越しのタイミングとを、いま測っている真っ最中。
書店は八掛けで「利の薄い商い」なので、こういった大物は子供の頃から馴染みの店で買いたい。
本は読むわ文は書くわで、結局1日に一度も辞典をひかない日はまったくない。

私の作文は、こんなにも弱っちょろいのである。(苦笑)