ベランダ太平記・1「領主交代の日」2020年04月27日 07:00

(「台所太平記」作者・獅子文六先生に捧ぐ)

私は物心ついたときから団地生活。
しかし両親は文化的な人で、読書、レコード、料理は手作り、服もセーターも母の手縫い・手編み。
そしてベランダには植木鉢と(まだプラスチックの四角いプランターがない時代である)火鉢を「睡蓮池」にみたてた金魚たち…私は水やりを手伝ったり、きれいに咲いた花を眺めながらひなたぼっこしたり、夏の朝、咲いた朝顔の花の数を数えたり。
両親は後に、組み立て式のガラス温室で洋ランやサボテンまで育てていた。

私は大学で日本画を学んでいて、植物を描くのは基本中の基本、20才で同じ団地の5階に1人暮らしを始めると、ベランダにいろいろな野菜やハーブや花の種や球根、苗を買ってきては育てていた。(食べるためと写生のため)
養母の介護で横浜に引っ越すので全部手放したが。

そう、私は「みどりのゆび」の持ち主なのである。

比べて夫・ドッコイ氏は小学校でも朝顔などの「植物を育てる」という授業がなかった。
山深い信州、どの家の子も「知っててあたりまえ」(田植え休みがあった)なうえに、先輩の代で都会から来た先生が大失敗をやらかしているのである。

学校でひとり1鉢「へちま」の種をまき、育てた。夏休みに各家に持って帰って、庭におろして観察日記をつけるように…
さあ、夏休み初日「緊急連絡網」である。
「へちまは今すぐ引っこ抜いて、捨てなさい!」
各家で植えているきゅうりと交配して、貴重な夏野菜が「苦くなってしまう!」ということに、農家の親が気がついたのだ。

と、いうわけでドッコイ氏は
「植物栽培に関しては真っ白」
であった。

サラリーマン時代は海外出張族だったし、出張がなくても日本で朝星夜星、今の団地に引っ越して、会社を辞めて、失業保険で食いつないだり、公務員補助のアルバイトをしたり、それが4ヶ月ごとに1ヶ月強制的に休まされるので「日給5千円で無収入期が入る」ので辞めたり…(今は病院勤務で安定しているが)の間に、自分の時間がたっぷりあるとき、何もないベランダに降り立ち、ふと
「あ、何か植えてみよう」
と思い立った。
私は病気で、園芸どころではなかったので、氏にまかせていた。

氏はガーデンセンターに車で行って、大きな鉢・プランター・土・季節の種や苗などを買って来た。
園芸本は買わない、氏の知識はインターネット頼みである。
それで、朝顔や、野菜などを育て始めた…のだが。

残念ながら失敗続きである。
ベランダに洗濯機を置く時代が終わって、水道栓がない。
夏は過酷な環境である、枯らしてしまうのだ。
私はまだ「国産銅製じょうろ」を作る職人さんがひとり残っていたので、注文してプレゼントしたのだが、なんとなく持て余している様子。
「先口」も使いこなせないで、種まき用の目の詰まりやすい方のみ使用、大きな目の先は台所の引き出しで眠ったまま。

いろいろやったが、収穫は大鉢に植えた「いちご」が季節終わりまで1日数個、ドッコイ氏が
「はい奥さん」
と流し台に摘んだのを洗って置いておいてくれる、といったところであった。

しかし、今年2月、異変が起きた。

なんと私が「長い寝たきり生活」から復活したんである。

(長いので続く)

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