バンジョーの始末2011年06月28日 01:57

ピート・シガーというバンジョー奏者のカントリーミュージシャンがアメリカにいる。
もう92才だがオバマ大統領就任記念コンサートではトリをつとめた。
日本では「花はどこへいった」を作って歌った人、といった方が通りがよいかかもしれない。
公民権運動家で知られ、「大理石の銀行」と「夜明け前が一番暗い」の2曲で私の心臓をわしづかみにした。

だいたい人は思春期になると「音楽」、しかも「楽器演奏」に夢中になるものだ。
ギターしかり、シンセサイザーしかり、「自分で弾いて」みたくなるものだ。
が。
私は楽譜が読めなかった。
市一番の「給食費免除率」(つまり貧乏街ってこと)の小学校を出、女子校ではレベルが違いすぎたので合唱は全部最初は口パクでカバーし。
弾いてはみたいが弾く楽器がない。
ハモニカなら複音式のCとC♯の2本を両手でがっちりひっつかんで「ロンドンデリー」「埴生の宿」位までは吹けたのだが、これも手作りの楽譜は「あがる」「さがる」つまり「↑」と「↓」の連続で、曲自体は頭の中に入れておくのである。
その点バンジョーの楽譜は五線紙と数字(この弦をおさえなさい)と2種類あって、数字の方なら私にも分る。
「次の県テスト、世界地理Bで学年一番とるから」と約束して、母に買ってもらってもらった。
なんのこっちゃない、私は世界地理だけはメチャクチャ強くて、卒業まで学年一番だったのだ。
値段は一番安いので3万円、ギターよりも高い「おねだり」だった。

しかーし。
買ってから気がついた、当時アメリカでは「ピッキング奏法(ピックを使う)」が主流だったのだが、日本で売られていた教本は「ストリング奏法(爪の背でかき鳴らす)」だったのである。
半日弾いたら利き腕の左手の爪は厚さが半分になっていて、これでは人生で一番の楽しみ「絵を描く」ができなくなってしまうではないか!
数ヶ月してピッキング奏法の教本が出たのだが…

画像を見てお分かりの通り、バンジョーの弦は変則である。
五弦目が途中から始まっている。(高音担当)
ギターなら弦を反対に張ればいいのだが…
………
専門誌で調べたら、左利き用のバンジョーは30倍の「90万円」であった。

かくしてバンジョーを弾くこと、あたわず。

スタジオをたたんだ今、私はこの苦い想い出のバンジョーを、捨てたもんかとっといたもんか、悩んでいる。

本は心の窓2011年05月19日 05:21

「密林」で作曲家・宮川泰(ひろし)さんの「若いってすばらしい」というエッセイを1円で購入したのだが、これがヒットであった。
「明るくてやさしくて覚えやすくて爽やかで」とご本人も書いてあるとおり、宮川さんの曲は明るいものが多い。
「クレージーキャッツ」に「ゲバゲバ90分」。作曲は700曲、編曲は1万曲だという。
世代によっては「宇宙戦艦ヤマトの人」と言った方が通りがいいかもしれない。
宮川さんは音楽もだが、文章も分かりやすくて明るくて、ジャーン♪としているのだ。
しかも読んで気がついたのだが、私の好きな「岩谷時子作詞のザ・ピーナツ」をたくさん手がけている。
「ふりむかないで」「恋のバカンス」「恋のフーガ」そしてなんと「ウナ・セラ・ディ東京」。
私は「ウナ・セラ・ディ…」は、「愛の賛歌」を和訳した岩谷さんのこと、アチラモンだとばかり思っていた。
最初「東京たそがれ」で出して全然ヒットしなくて、タイトルを変えたら大ヒット、という伝説もあるし、「ウナ・セラ・ディ」なんて食ったことないモンを頭に持ってこられたりして、「洋モノ」だと信じちゃっていたのである。
それが「曲先」(曲が先に出来てあとから歌詞をつける。昔は「詞先」が主流だった)で、しかもスタジオに入ってからアレンジの都合で6小節間が空いちゃった、というとんでもないハプニング。
そこで岩谷さんが、慌てず騒がず(ホント、上品な作詞家さんだなあ)その場で作ったフレーズが、あの
「街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり」………
ここ、この曲の根幹をなすモノなんですけどっ!!
私、ザ・ピーナツの(「モスラの歌」聴きたさに10枚組買いました、CD。)歌ってるの聴いてここで必ず泣くんですよ~。
それがこんなアクシデントで生まれちゃうなんて。
宮川さんもすごけりゃ岩谷さんもすごい、ザ・ピーナツもすごい、「東京たそがれ」でこけてもあきらめなかったレコード会社もすごい。
「がんばろう日本」のキャッチフレーズは「あきらめません日本」にしてもいいくらい、日本人ってあきらめない。
「気落ちしている時期に、いい本とめぐりあっちゃったなー。」
というのが正直な感想です。
本は心の窓、風を入れなきゃね。

Jaqueline François2011年03月09日 02:06

ブログ友だちのTさんはシャンソン歌手である。
で、日記にジャクリーヌ・フランソワの「あの日のパリ」の映像画面が載って、あまりのなつかしさに泣いてしまった。
高校の頃、私はこの人のファンだったのである。
当時はFMで毎週土曜日午前中ににシャンソンの番組があって、当時としては珍しい土日休みの学校に通っていた私にとって、この番組はふだんより遅い朝の目覚めの歌番組だった。
ミレイユ・マチューもフランソワーズ・アルディーもアダモもここで知った。
ジャクリーヌ・フランソワは生粋のパリっ子で、美しい甘いアルトでパリの歌を歌っていた。
「パリの屋根の下」「パリ祭」「パリのお嬢さん」「ラ・セーヌ」…
今日本で手に入る彼女のCDは「ベスト・オブ・シャンソン」みたいな寄せ集めで、単独の物はない。
で、「Jaqueline François」で甘損で検索したら出て来たので、何枚か取り寄せることにした。
2~3週かかるというから、多分本国からの輸入盤だろう。
ちょっと先のお楽しみである。
なつかしい親戚の叔母さんに再会するような気分だ。