一杯目の紅茶はペパミントリキュールで2012年03月19日 19:08

店の名前も今は忘れてしまったが、当時としてはめずらしく紅茶をポットで2杯分出してくれるティールームがあった。
しかもビターボトルで「ウィスキー、ブランデー、ラムにリキュール、ドロップし放題」というしゃれた店である。
中学高校の頃は、一駅違いで漫画好き・本好き・映像きの友人と良く通った。
(お互いの別荘に呼んだり呼ばれたり、たいそう仲が良かった。)
なんせ上の階がミニギャラリーを備えた大型書店なのである。
手塚治虫先生や萩尾望都先生の原画が展示されていて、そのたびに二人してタメ息ついていた。
彼女は今映像方面で教鞭をとっている。
そのめちゃくちゃ面白い現場日記がこれ。
    ↓
http://tcd5m.blogspot.jp/

私も美術系なもんだから卒業までにはだいぶん「やっこらせ、よっこらせ」な思いをしたが、教える側から見てみるとハラハラドキドキ、大変なのね~。
今さらながらに「仰げば尊し我が師の恩」を歌ってしまう私であった♪
二杯目の紅茶にはブランデーを垂らしましょう。

寺と骨2011年10月19日 18:04

またお寺の話。

私は中高一貫の女子校出身であるが、『女子校』というのは「男子のいない女子ノリ過剰」と「男子なしでも何とか解決するバンカラさ」との入り交じった世界である。

さて、2年生の時だったと思うが、社会科見学は「鎌倉の歴史巡り」であった。
「先生、現地集合でいいですか?ウチ円覚寺の隣なんです。」
という子もいて(許可された)横浜の学校だから、鎌倉は「お隣さん」という感じ。
歴史の授業の延長で、大仏様や覚寺や建長寺、とにかくやたら寺を巡りまくった。

「ここは北条氏の権力争いの集結地、無念の思いを抱いて逝った人達の墓が並んでいる。」というお寺(名前忘れた)でのこと。
みっしりとそびえる木立は緑したたる影をつくり、細くさす光が無念の墓石を照らす。

と。
墓の前に何か小さい白いものが…

「骨」であった!

「キャ~、骨よ、骨ッ!」
「恐~い!」
「北条の祟りだわ!」
「ヒエ~!」
とパニックになったのであるが、その中でひとり、学年で一番美少年(笑)で沈着冷静なH嬢がつかつかと歩み寄り…

それを手に取った!

あまりのことに周囲は沈黙である。

「骨だわ。」
ザワッ。

「…コロモがついている。」

「だれよお寺でケンタッキーなんか食べたの~っ!!」(4倍角)

乙女らの大ブーイングで一件落着。

「古刹巡りでケンタッキーフライドチキンの食べ歩きはやめましょう。」
という教訓を残して、社会科見学は終わった。

後日のレポート提出で、「骨」の印象があまりにも強すぎて、みんなさんざんな成績だったのは言うまでもない。

大きな獣の荘厳な死2011年05月30日 09:31

女子校5年生(高2)の修学旅行は九州一周だった。
9~10日かけてゆっくり周り、観光客立ち入り禁止の長崎の教会でも、女性三部のコーラスで聖歌を歌ってミサを上げてもらうという口実に中に入れてもらったりした。
移動のバスの中では毎日私たちは奉納歌の練習で歌ってばかりいた。

今でも覚えている。九州の都井岬に泊まったときのことだ。
何故か空き時間が出来て、朝、私たちは散歩した。
都井岬と言えば野生馬「岬馬(美崎馬ともいう)」の生息地である。ついたその日もバスの窓越しにたっぷり馬を見た。
翌朝、何かの都合で空き時間が出来て、私たちは岬を散歩した。(といってもそこいらへん程度)
崖のカーブの下で、老馬が落ちて死んでいた。
私は大きな獣の死というものを初めて見た。それは荘厳で、でもどこか儚かった。

私は馬が好きだ。
幼い頃、近くの成城大学の馬場が近くにあったので、体の弱かった私を、母はよく
「のんちゃん、お馬さん見に行こう。」
と散歩に連れ出してくれた。
私が生まれて初めて描いたまともな絵は、お姫様でもお花でもなく「馬」である。

その都井岬の野生馬に「馬伝染性貧血」のウィルスが見つかり、12頭が殺処分されたという。(5/29朝日新聞)
岬馬の現在生息数およそ百十頭。ウィルスの感染力は弱いが、治療法がまだ分かっていない。
日本馬は数が少なく、一番少ない対馬馬は25頭、北海道和種馬(道産子)の数は分からないが、それを除くと7種、650頭足らずである。

野生の鹿が森で死んで、その死骸が喰われ、腐り、骨となり、消えてゆく様の写真を、定点観測した写真集は何というタイトルだったろう。