多摩丘陵・風の谷より2020年04月11日 02:54

23区に次いで感染者が多いからか(すぐ隣の県の駅から鉄道で感染したのがイタかった)、市の防災無線がやたら張り切っている。
障がい者の生活のための実験都市で、高齢者も多い事を考えると
「市民の空気読めてないなー…」
なのだが、お役所も役割分担があり、必死である。
静かな田園都市へはなかなか戻れそうもない…

多摩丘陵・風の谷より

「ぶり大根不発と夫婦若返りの記」2020年04月11日 04:27

しかしまあ、高級食材が売れないというので、地元スーパーで(もともと生鮮食品は目利き揃い)「天然ぶり一切180円!」なんてチラシが入っていたので、出かけたわけだ。

そしたら1パックだけ、とびっきり新鮮な「ぶりのアラ」。

55才年の離れた養母とそのパートナー、ものすごい「大正グルメ」だった。食がどんどん細っていく時期で、下手なもん出すとご近所にお裾分けしてしまって、食べてくれない。
基本的に「お刺身と天ぷらとご飯さえあれば、もうイイ状態」。

で、いろいろ、昭和7年の「婦人倶楽部の付録本」やら、昔の「食膳のお惣菜」やら彼女たちの若かった頃の料理を研究して、朝・昼・晩と運んでいた。
「ぶりの焼いたの」は翌日には残しても、近所に持っていかないと分かった。
で、「ぶり大根」を何度か試したら、たいそうお気に召して、ペロリと食べてくれるようになった。
こうなりゃチャンスである。

私鉄の隣駅まで足を運ぶと、ダイエーの鮮魚コーナーにものすごい目利きがいる。そこの、商品棚ではなく、「猫ちゃんコーナー」つまり「冷蔵保存もしませんけどペットのご飯にどうぞ」という置きっ晒の棚に、時間になると「ぶりのものすごく新鮮なアラが並ぶ」と分かった。
午後、帷子川沿いの公園遊歩道をテクテク歩いて、隣町商店街のはずれのダイエーまで行き、アラをゲットし、電車で一駅飛んで帰り、ショウガとしょうゆと本みりんで「ぶり大根」を作り、96段の石段駆け上がって、湯気の立つのを夕食に届けた。

仕事と二本柱、夫婦の家事との三本柱だったけれど、私はまだ若かった。
明治生まれの女流日本画家ふたりの「昭和2年から閉ざされた気ままな暮らし」になんとか「食」を運ぼうと、必死だった。
私の「ぶり大根」はその結果である。

とーこーろーがっ!

ドッコイ氏は、なんと「ぶりが苦手」だと昨日になって判明。

長野県中部で干物と塩鮭とエビフライ、時にごちそうでお刺身、川魚、以上!だったと告白。

魚文化が育たない「山間部の『食』文化」が背骨にしみてしまっているのだ。
来月58才である、もう新たに獲得するのは難しい!

「わ、私は『三井の大黒』ですよー!」
と、いきなり三遊亭圓生師匠の噺みたいな世界に突入である。そうなのね、塩ぶりはダメなのね、塩鮭なのね、あなた「逆・左甚五郎」だわ。

分かったわ、私、甚五郎の女房なのね。
せっかく目も手も機能回復したのに、「ぶり大根」を一緒につつけなくて残念だわ。
いいわ、私がひとりで食べるから。

32で結婚、でも国内外出張族人生で、大阪だ・アフリカだ・アラブだ・東南アジアだと飛び回って、一緒に夜過ごせたのは、考えたら26年のうち半分?4分の1?てなもんだ。

こうなりゃふたり「その分13~20年『若返った気分』で生きましょう」じゃないの!

この5月で私たち45~38才になるのね、まあ新鮮だわ♪

よろしくね、ドッコイ!

「戦」という字とコロナウィルス2020年04月12日 01:25

世界中の政治家が「これは戦争だ」「この問題は戦争のようなものだ」「もはや戦争状態と言って良い事態」と、やたら「戦争・戦争」と口にするようになったのは、仏・マクロン登場あたりからか?
いや、もっと早かったか…?
トランプは「戦争」を好んで口にする。
大国も小国も、トップに立つ者は、強権色が強ければ強いほど、好んで口にする、「戦争」と。

世界中が「いまや世界はいつ第三次世界大戦=人類にとってはおそらく『最終戦争』に突入してもおかしくない!」という異様な緊張状態に、汎世界的な情報化社会の繁栄の陰で、陥っていた。

日本政府もそれまで「対策」が公用語であったジャンル全てを「戦略」と改悪する、おバカっぷり、品のなさである。

「国家戦略」
…オイオイそんなに「戦」という字を日常用語にしたいのか。

大正デモクラシー後の、軍部に握られて「日本国そのものが右傾化し、狂気に走っていった」あの軍国主義世界の悪夢を感じ、私は「戦略」という単語を目や耳にするたびトリハダが立った。
「この国はあぶない…」

しかし、コロナは突然世界を覆った。
もはや「戦争」どころではない。
世界中の国々が悲鳴を上げている。

人と人がかかわるから「戦争」なのだ。

国と国が争うどころかオール鎖国状態になり、直接的・間接的「武力戦争」以前に、人々は感染し、死んでしまう。
空母なんて「巨大な死の船」だ。
もはや伝染病が猛威を振るった中世暗黒時代に逆戻りだ。

どうすれば感染を防げるか。
人と人との濃密な接触が禁止され、学校も企業も都市も市場も、「人の集団」として機能していたセクションはみなストップ。

北イタリアに暮らす日本語教師の友人は、今後「青春期に集い、語り合い、協力し、時には対立し、結束し、共に学ぶ」ことによって発達する「人間の、自分の人生を生ききる能力」を培う「学校空間が」、間引きと遠隔授業により崩壊してしまうのではないかと懸念している。
自身も自宅で実質軟禁状態の不自由な生活の中、
「100人教室に距離をおいて20人しか入れない空間で、授業をどう成立させるか」
と真剣に悩んでいる。

そっと声をかけた。
「今夜は世界中満月、しかも珍しい『スーパーピンクムーン』ですよ。日本人だったら『お月見』しましょう!」

「窓の外から、月の光が飛び込んできました、翌朝はお日様が輝いていました!」
とのこと。

世界の中でも「月・太陽・星」をわざわざ「おつきさま・おひさま・おほしさま」と等人格化する日本民族は珍しい存在である。それが日本のDNA。

日本人なら民放テレビのワイドショーで「『政治家役の演技者でしかない安倍晋三』の顔と仕立ての良い背広」を延々眺めるより、窓を開けて日の光を浴びましょう、月を眺めましょう、ニュースはラジオか朝晩NHKTVで一度、あとは新聞で充分です。

ところで4月25日に緊急出版されるイタリアの若手作家パオロ・ジョルダーノの「コロナの時代の僕ら」はちょっと興味深い。
出版は、えーと、早川、かな?1430円。
内容詳しくはAmazonで。

今だから「百鬼夜行図」2020年04月13日 01:14

コロナ・コロナと鳴り止まない世だから
「京都・便利堂」の
「百鬼夜行図絵はがき8枚組」
(重要文化財・室町時代・大徳寺・蔵)
を取り寄せて、友人達に
「お元気ですか~?」している。

「棺の妖怪」なんて、コロナそのものだぜ。
(室町の人、予知夢でも見たんだろうか…)

コミケが中止になって、でもパンフ取り寄せた御仁に
「まんレポ4作、傑作でした」
なんて、したためているんである。
気の利いた文をいいタイミングでちょいと出すのは
「源氏」じゃないけど古典的日本文化よ。

星野源さんが「この際『著作権料』なんていりませんから」
と発表した「うちで踊ろう」は楽しい。

しかし安部よ
「日本で今一番くつろいでるどころじゃない人」が
なんで星野源さんの画像に合わせて
「豪邸で高級犬とふれあい、高級輸入食器でティーブレイク」してるんだ?

あんた、今、日本で一番クルクル働き続けなくちゃいけない立場でしょーが!

夕方の記者会見、4月7日でさえ、質問がまだあるのに
「この後のスケジュールの都合で…」
って退室、新聞の「首相動向」みると、あなた
「ご自宅にお帰り遊ばしてる」
じゃないの!
「ぼくちゃん、お坊ちゃまだから夜はおうち帰るの」
ってか?おいっ!(もはや半笑)

天然痘撲滅まで2000年かかった人類だが、
「科学の力で1年で薬を作り上げる」
という。すごいことである。

しかし、
「ウソをつくことがボクら『エライ政治屋さん』のお仕事」
とタカをくくっている安部や麻生には、つける薬がない。

昔の人は言いました。

「馬鹿は死んでも治らない」

と…

「オーバーシュート」はサッカー用語ではなく2020年04月13日 03:27

「感染爆発」なわけですが、なんでわざわざ横文字で言うの?

漢字だと一発で分かっちゃってインパクト強いから、わざと英語使っているの?

現在の政府・行政には何か「国民をの足元を見るような態度」を感じてしまうのは私だけだろうか。
わざとポピュラーでない横文字表現、カンニングペーパーの棒読み、データの隠蔽と、
「とりあえず言いくるめておけ」
という態度が見え見え。

優れた音楽家の、
「もう印税いりません、みなさん、困難な時期だからこそ心を解放しましょう!」
という必死の活動にちゃっかり乗って
「『右』側で、愛犬の頭なでてお茶飲んでくつろいで」
いりゃ、国民は好印象持ってくれるかと思ったら…

大間違いだよ~ん!

伊地智啓さん逝く2020年04月14日 13:46

映画「太陽を盗んだ男」「セーラー服と機関銃」TV&映画「あぶない刑事」…のプロデューサー、伊地智啓さんが逝ってしまった!

…あぁ、大林監督と共に私たちはあなたまで失うのか…

TVでショーケンを数十年ぶりに登場させた
「あいつがトラブル」(フジ)
は凄かった。

レギュラーが萩原健一・伊武雅刀・橋爪功・南野陽子・うじきつよし・宍戸開!
毎話多彩なゲストにモダンな脚本、心憎い演出。 
曲は久保田利伸。

再放送かDVD化…してくれないかなー!
(引っ越しのドサクサで標準録画していたVHSが行方不明…)

サウスポーのギタリスト 菅沼聖隆2020年04月14日 21:01

菅沼聖隆さんという優れた若手ギタリストがいる。

その素晴らしい音楽人生と受賞歴、アルバム紹介などは、彼のホームページで知ることが出来る

Masataka Suganuma 菅沼聖隆
  https://officekoara.wixsite.com/kumajiroguitar

いや実は、彼のお母さん(彼女も音楽家)が、大学の日本画研究室の同級生で、卒業後も交流が続いているのだが。
だから聖隆さんが「おなかの中にいる頃」から、知っている。
お父さん(中南米音楽家)のとりよせたビデオを観て、モニターは左右逆転映像なので、いきなりサウスポーで大人用の大きなギター抱えてかき鳴らしたのが2才半。
いや、たまたまお茶のみに行ってリビングに居あわせたのだが、
…びっくりした!

私は「箸」は矯正(そういう世代です、ハイ)だが、あとはサウスポー。

ビートルズを見よ!サウスポーがふたりもいるぞ!
サウスポーというのは身体的存在の特異性として「アンシンメトリーの美」を持っている。しかも右利きと逆の脳が発達、という(ピカソもダヴィンチもサウスポーだった)オイシイところもある。

悲しいことに現在コロナ騒動で、ステージは中止である。
しかし3枚のアルバムは通販可能だ。

幅広い世界を持ち、3枚ともまったく異なる世界だが、天賦の才能に重ねて研究努力を惜しまないその誠実な姿勢は、どのアルバムにも貫かれている。彼のかき鳴らす弦の調は心地よい。

最新の「Seriously Laughing」もとても良いが、コロナ騒動で家の中でじっと耐えている、という方には、私はファーストアルバム「El baile de la Juventud」もイイですよ、とオススメしたい。

音楽は「心のおやつ」です。

しかも太りません!(笑)

真夜中に「からし高菜のバラ肉炒り煮」を作る2020年04月15日 02:12

ドッコイ氏は疲れて帰って、「鶏肉の赤味噌山椒焼き」と「じゃこ天と大根の炊いたん」を「ああ、美味い」といって食べて、コロンと眠ってしまった。
私は友人に手紙書き…
で、ふと気づくと真夜中、しまった、明日の朝ごはん…!

冷蔵庫を見る。
豚バラ肉のかたまり、ほどよく熟したのがある。
(鶏肉と違って、豚・牛は、少し寝かせると美味しくなる。もっとも牛には「合い挽き」以外「ランデヴー」の機会もナイが・笑)
かたまり肉の方がイイのである。
薄切りはどんどん乾いてゆく。
かたまりだと、傷んだところは削いで、好きな厚さ、大きさに切り分けて料れる。

「仟(せん)」というメーカーの「からかもん」という「ウコン塩で漬け込んだ高菜を油で炒め、唐辛子を加え…」た、美味いからし高菜が一袋、ふう、よかった、ヤレヤレ…

「からかもん」半袋に、薄切りにしてから細かく千切りにしたバラ肉同量。あらかじめ薄切りにした肉と違い、厚みにも細さにもバラつきがある分、味がランダムに浸みる。
日本酒と少しのごま油で炒め、日本酒、めんつゆで炒り煮にする。
ウチの「常備菜」である。熱いご飯に、チャーハンに、パスタに、卵焼きに、と化けてくれる。

なぜか「仟(せん)」でなければならない。
他メーカーのからし高菜を試したが、美味く出来なかった。
不思議なものだが、これも「相性」なのだろう。
「仟(せん)」を扱っているスーパーは今のところ一社。
チェーン店だが、ここが無くなったら、あとは通販で、高い送料を払わなければならない。
「コロナ騒動で潰れてなどくれるなよ…」
と念じながら、冷めた炒り煮をタッパに移す深夜2時である。

ショウジョウバエさん、いらっしゃい♪2020年04月17日 03:10

今年最初のショウジョウバエ発見!
赤いお目々をルーペで確かめた。
オレンジの皮に付いてきたか。
まあ、ようこそ「いらっしゃいませ~♪」

母・芳子さんの天ぷらと「3人」の食膳2020年04月19日 04:14

母・芳子さんは「揚げ物名人」であった。
ご近所の、市販の春巻きを食べられない偏食の女の子が
「杉浦さんのおばちゃんの春巻きなら…」
と言って、もりもり食べたのだ。

市内産休ピンチヒッター教員として忙しく走り回っていた母だが、とにかく手際が美事だった。
夜7時には食卓に着いている父親(「残業とは馬鹿者のやることだ!」と公言して、忙しいエンジニアセクションでも自分だけは「時間だから」と部下を置き去りにして帰宅してしまう協調性のない男だった)、近所の公立校に通う兄、遠距離通学だがなんとか7時には家に辿り着く私。
市内の、どんな山奥の学校に赴任しようと、母は帰宅し、買い物を済ませ、手際でサッと暖かい料理を作って出すのである。

いきおい、揚げ物が多かった。
新鮮な食材に衣つけてジュウゥッ、一丁上がり!である。
天ぷら、とんかつ、ミックスフライ、春巻き、揚げ餃子。
ワンタンですら我が家は「揚げワンタン」だった。
大人になって、「雲を呑むような『雲呑』」を初めて食したときはビックリした。(なので、今でも好物だ)

兄が家を離れ、夫・ドッコイ氏が糖尿病になり、父は三宅島の坂道で転んで脳挫傷・寝たきりになり、母・芳子さんの食膳からは次第に揚げ物が消えていった。

決定打は昨年「転倒して手の薬指骨折、1ヶ月包帯グルグル巻き」である。
母・芳子さんの握力は急速に衰えた。
非常災害用の2リットルのペットボトルの蓋がひねれない。
1ヶ月分の新聞を、5段の階段持って玄関に出せない。
みんなドッコイ氏にお呼びがかかるようになった。

さて、ドッコイ氏である。
舅存命の頃は、春になると「山で採ってきたから」と「たらの芽」が山のように届いた。段ボール箱一杯である。お裾分けに苦心した。
しかしドッコイ氏は、田舎社会での立ち回りは上手いが愚鈍で見栄っ張りな「権威主義者の父」のことを嫌っていた。舅が死んだら
「いいよ、たらの芽は食べたくない」
である。

だが芳子さんは、ドッコイ氏が好きなのである。
好物のなすの天ぷらとかき揚げを揚げるからいらっしゃいと言う。行ってみたら、どこで調達したのか「たらの芽の天ぷら」が真っ先に揚げてあった。

ドッコイ氏と私と芳子さん、3人で揚げたての天ぷら食べ放題。さすが揚げ物名人の芳子さん、おいしかった。
ドッコイ氏はたらの芽の天ぷらを真っ先に食べた。

あと何度、3人で「たらの芽の天ぷら」を楽しめるのだろう。

「家族」というのは「大いなる日常」ではあるが同時に「移動祝祭日」のような巡り合わせの運命も持っている。
残されたメンバーはもうこの3人。
また天ぷらの食膳を囲みたい。