「准・戒厳令下の東京」初日の夜の過ごし方2020年03月29日 11:53

ものすごく高級なカシス・リキュールをなんと棚卸し処分「ボトル1600円」で手に入れてしまったので、小瓶のシャンパン買ってきて「キール・ロワイヤル」にして呑んでいたら、日付が日曜日になった。
昔「戒厳令の夜」という作品がヒットしたなー、なんて思い出しつつ…

「准・戒厳令2日目」雪です。2020年03月29日 13:15

さて、『准・戒厳令」2日目の日曜日。
私の住む町は雪です。
窓の外、銀世界、まだ降りやまぬ。

ふと思いだす出す…

そう、まるで「2・26」の日。

これで空にアドバルーンが上がっていればカンペキ!

「准・戒厳令下の東京」2日目の夜の過ごし方2020年03月29日 21:20

ドラッグストアへ。朝からの雪で「買い漁り隊」の出足も鈍ったか、ペーパー類は出回り始めた。
だがマスクがまだ無い。
ついでに小さなリカーショップを冷やかし気分で見て、アマレットのハーフボトルを買おうとしたら、なんと
「ベイリーズ・アイリッシュクリーム」
とこんにちは。
しめしめ、これを牛乳で割れば、夏にアイスココアが飲めるぞ。

「困窮したときは自分から申請すること」2020年03月29日 22:31

日本の行政は「申請者保護」という制度をとっているため、窓口に出かけないとどんな制度があるかわからない。
たまにテレビニュースで「この番号へ電話を」と出ても、一瞬で消えてしまうし、障がい者や外国人は、とっさに筆記できないという基本的欠落がある。せめてテロップだけでも次のニュースにひっかけて残してくれれば、まだ救われるケースもあると思うのだが…

とにかく小学校教育の段階で「将来困窮したときは行政へ相談」と教えておけば、色々困る人も助かる道があると思うのだが。少なくとも義務教育の段階で。
裕福な家庭に育っても、地域のネットワークに守られていても、大人になったら、別の土地に移ったら、あたりまえにある「柱」はいきなりとっぱらわれるもので、そのとき「ひとり」で、さてこの困難に、どう立ち向かおうという時に、様々な免除や支援を受けられる可能性が、「国の制度」としてあるのだ、という事実は、なるべく早い内にインプットしなければならない。

「申請者保護」は、ある意味残酷だ。声を上げるすべを持たない層が黙殺されてしまう。
私の年下の友人は、いきなり幼子3人抱えてシングルマザーになったが、彼女を救ったのは遠方に住む福祉職の友人の「とにかく今すぐ『生活保護申請』しろー!」という一声だった。
真っ直ぐに育ち、真っ直ぐに働き、真っ直ぐに消費し、真っ直ぐに恋愛して子供を産んだ彼女は、夫がいきなり豹変して夫としての機能を放棄したとき、妻として、母として「シェルター」も「生活保護」も、知らなかったのだ。

「こんな不幸もある…ね、あぁ、コワイコワイ、ね、エンガチョですよね~♪」という民放の視聴率稼ぎのワイドショーを見ていただけでは、根源的救済の受付窓口まで辿り着けない。
小学校から「英語」とか「プログラミング」なんて、教育産業大手の口車に自民党が握手しているだけだ。
他言語認識脳は12~3才から活性化するものだし、プログラミングなんて、わたしゃ20歳の時、エンジニアの親父とふたりで液晶12行コンピュータ使って「サイコロ回して丁半賭博、1分で500回サイコロ転がして『ピンゾロの確率』を出すゲーム」を作っただけで終わりである。

わからんもんはわからんでいいのだ。

「みんなが100点満点取る社会」が「良い社会」ではない。
そんな小賢い国民だけで固めた未来の日本なんて、全然進歩性がない。
0点取る子もそれはそれでちゃんと「学んでいる」のだ。
その経験は大人になったとき「分からなくて困っている弱者に自然と手を差し伸べる才能」になる。
小賢く100点取った子も、就職先の大企業が倒産したりリストラに遭ったり、ローン地獄で自己破産したり、離婚したりして、「奈落」というものは万民に用意されている。
そのとき「行政の窓口に申請する」という行動をとれるか否か、で、
「人として復活するか野垂れ死にするか」
の命運は分かれる。

「困窮したときには、まず行政の窓口へ行こう!」
と、お子さんのいる「これを読んだ方」は、明日の朝、食卓でおっしゃいな。

いま夜の11時半だから、明日。ね。

志村けんさんが死んじゃったから2020年03月31日 00:21

今だから言うぞ。
武漢市の作家・方方さんの言葉だ。
「ひとつの国家が文明国であるかどうかの尺度は、高層ビルや車の多さ、強大な武器や軍隊や、科学技術の発達や派手な会議や絢爛な花火や、世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。
唯一の尺度は、弱者にどう接するか、その態度だ」
(朝日新聞夕刊/2020/03/19)

志村さんは、孤独に罹患し、孤独に逝ってしまった。

荒井注さんが去った後、ドリフターズのレギュラーメンバー入りした志村さんには賛否両論いろいろあった。
しかし「ヒゲダンス」の曲を「これ、良いと思う」と持ち込んだのは彼自身で、音楽誌に「アルバム紹介」の評論コラムを連載し続けているほど、知る人ぞ知るインテリで努力家の人だった。

彼が去った「虚脱感」と「喪失感」を、私たちは
「好ましいタレントの死」
ではなく
「偉大なコメディアンの時代からの突然空白」
というショックと共に、思い出し続けなくてはならない。

宮城まり子さんの死と「やまゆり園事件」2020年03月31日 03:42

津久井の障害者施設「やまゆり園」で起きた、元職員による大量殺傷事件は、犯人が控訴を取り下げることによって「死刑」が確定した。
犯人は「死刑になることを望んでいた」が、裁判中「重度障害者は生きていない方が社会の幸福」という持論を通し続け、結局心のひだを見せないままに結審してしまった。
殺傷された人を人権的に保護するために「匿名」で、親族達は裁判所へ赴きさまざまな「私たちにとってはかけがえのない大切な命だったのに、なぜ、あなたは奪ったのですか?」という問いをぶつけたが、彼はまともに答えず持論を繰り返すのみ、ただ時間の経緯というむなしさだけが残った。
元職員で「入所者達が可愛い」と就職当初は発言していた被告が、なぜ「効率重視で大量の刃物を持ち込み、勝手知ったる部屋を回って」・「殺し、傷つけたのか」。
心優しい福祉施設職員を、差別、というより「区別」意識を抱き「優性以外は生存の必要なし」へと心導いてしまったモノは何か。これは「アーリア人種による国家」に執着し、ユダヤ人を・ロマ(ジプシー)・精神身体障害者・同性愛者を「収容所という効率的殺人工場で殺戮し続けた」ナチスの、ヒトラーの狂気的思想の復古である。

100点を取り続ける子供が、有名大学から大企業に就職し、一生リッチで居続ける、という戦後安定期に入ってからの日本教育の人生獲得競争の「ウラ側のツケ」が、突然社会の前面に躍り出てしまったのだ。

ここで今思い起こさなければならないのは「ねむのき学園」を創設して、それまで「障がい故に義務教育の権利すら放棄させられていた」障がい者の教育に全人生かけた宮城まり子さんのチャレンジであろう。
「豊かな精神性・感受性」を見いだし「美・音・創」の可能性から、世界的に高い評価を得て、障がい者の「充実した・幸福な人生」の道のりを、彼女は示したのである。
歌手である彼女は、声を発しない人の「歌声を聴く」パイオニアだった。

そんな宮城さんの人生が終わろうとしていたときに出現した「原理主義者」の犯行である。「キリスト教原理主義」「イスラム原理主義」は耳にする言葉だが、日本の宗教「神道」においても原理主義は存在する。

経典「古事記」を思い出して欲しい。
日本神話において最初に出現した男神と女神は、プロポーズの儀式に失敗し(最初に男から愛を告げ、女が受けるのが正解)、産まれた子供が「ひるこ」すなわち「障がい者」であったために、「この子は失敗」と言って水の流れに乗せて、捨ててしまうのである。2度目に五体満足な子供を得て、それを人間第1号とした。
日本の神話世界は、まず人類の優生保護を説いている、きわめて希な性格を持っている。
「弱者は殺せ」と。
この危険性。

日本神話の世界を国家の「天皇制」として戴くかぎり、天皇家は「古事記の世界に生きる日本の神主総代」であり続け、真の「平等的民主主義」は勝ち取れない。

偏った、圧迫した社会では、不満と失望から来る全体的体制拒否ゆえに大衆に復古運動が起きるのは、私たちは第二次世界大戦前夜に学んだ。
アメリカに端を発する世界的大恐慌により、大衆は資本主義経済と民主主義を見限ってしまったのだ。
あまり知られていないことだが、アメリカ大企業は独裁国ドイツを支持した。ドイツ軍用車の4分の1が「フォード製」なのである。

今、地球規模の温暖化と格差社会のるつぼの中、まさに「世界的混乱期、価値観の崩壊」が始まっている。

「やまゆり園」被告は、これが最初で最後ではないはずだ。
かならず彼に倣う狂者が、出る。

今は、過去古代文明に基づいて分析すると、明らかに「世界的文明の衰亡期」である。(コロナウィルス蔓延の混乱の中で、あまり言いたくないが、実はそう実証される「時」なのである)地球温暖化、貧富格差、民族移動…

この文章を読んだ方が、ニュースソースをしっかり持ち、正気を保ってこの混迷の時代に臨んでくれることを希望してやまない。