死について・42016年04月17日 00:00

曹洞宗は、ちょっとかわった仏教だ。
お坊さんのお経の他に、信徒にも、教科書のようなテキストが配られて、長々、お経を唱えさせられるときがある。

通夜が、まさにそれだった。

ホールの葬段の前に大音声のお坊さん。
喪主の席の後ろに、席を並べて親族の唱和。

私は耳が悪い。
聴こえないときもあるが、鼓膜が常に緊張して、「異様に聴こえすぎるときがある」、通夜の席でそれが起こった。

前から後ろから大音響のお経の波。

私はすぽーんと「穴」に落ちちゃったんである。
「離人症(りじんしょう)」という。

聴こえるものもここのものであってここのものではなく、
見えるものもここのものであってここのものでない。

簡単に言うと「ホルマリン漬けの標本の容器、あの分厚い、出口のないガラスの器にスポンと詰め込まれちゃったような感じ。
その「離人症の発作」を起こしちゃったんである。

なんとかぎくしゃく立って焼香は済ませるが、通夜の後、親族から口々に
「大丈夫?」
と問われたくらいだから、きっとものすごい顔の色をしていたのだろう。

とにかく通夜を終えて家に帰った。
脚がもつれる。
手首がぶるぶる震えること中風の如しである。

父方の祖母にツングース系シャーマンの血が入っている私は、「引かれやすい」。
タダでさえ、目の前でその死の瞬間を見ている義母の葬儀である。

とにかくあるだけの薬を飲んで寝て、次の日葬儀に臨んだ。


葬儀の日、午前9時半集合。
最後の別れをして、棺桶にふたをする。
四隅を、親族の男性がオールステンレスのハンマーで、金色の釘をトントンと打つ。最後の仕上げは喪主の仕事で、ドッコイ氏が丹念に仕上げを打つ。

ここで霊柩車とマイクロバスに分乗して斎場へ。喪主は通夜の夜に授けられた戒名を書いた白木の位牌、喪主の妻は遺影を持って霊柩車に、また席はうしろ、義母のとなりである。
斎場はかなり急傾斜な山の中腹なのだが、さすがに棺桶は安定がよくきついカーブにも動かない。

斎場は公共施設である。A~Fまで6つの窯がある。
焼ける時間は1時間半、座敷で、自分たちで座布団を敷いて、叔父さん夫妻が持ってきてくれたペットボトルのお茶や、紙皿に取り分けた小袋入りの菓子などをわけて、待つ。

これも、葬儀社の予算に組めば、座布団敷きからお茶から、なんでもやってくれるのだが、予算の都合で割愛。
「骨が焼けた」と知らせが来ると、座布団を積んで、座卓を拭き、座敷の掃除機がけまで自分たちでやっていくことになる。
これは自治体によって違うのだろうが、義母の市ではいまだこんな具合である。
   
(続く)

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