百田尚樹「大放言」のカラクリ2015年08月20日 20:42

「大放言」は15万部売れて、百田は「断筆宣言」を取り消した。
なお現在Amazonでは25日の増刷待ちである。
いっそ売れずに断筆してくれたらよかったのに。

さて、印税をくれてやるのもバカバカしいと、1時間立ち読みしてきた。
杖突の私にしてはこれは精一杯の体力で、実は途中カフェでインターバルを入れているんである。カフェオレ代はケチらないが、「大放言」はAmazonで1円本になってから買う。百田には1円もやらん。
どころか、ここでカラクリを書いて、「なーんだ」と思ってもらって、一冊でも売れるのを阻止しようという魂胆である。

百田尚樹は頭の回転が速く、博識である。
でなければ長く「ライト放送作家」はつとまらない。景山民夫もそうだった。
「探偵!ナイトスクープ」のチーフライターを25年以上務めている。
人気番組の、なくてはならないブレインである。

筆が立つ。
作家に転向して「本屋大賞」を2度受けた。
ベストセラー作家として、NHK経営委員まで1期つとめている。

問題発言が多く、東京都知事選に立候補した田母神俊雄の応援演説を行った際、「南京大虐殺はなかった」と持論を展開、他の主要候補を「人間のくずみたいなもの」と批判した。

また、沖縄問題では「辺野古なんて田んぼですよ」「沖縄の2紙(沖縄新報と琉球タイムス)はつぶれてしまえばいい」と公言し、問題が大きく取り上げられてテレビの報道陣が入ると
「いやあ、僕の言うことは80%冗談ですよ、冗談」
と言い訳している。

「言い訳」。そう、「大放言」の内容の7割は、過去の舌禍・筆禍事件に対する言い訳である。読者を煙に巻いてしまおうというのである。
そして、「戦前・戦中・戦後の日本の歩み」や「世界とのバランス」の基礎知識のなにもない読者は、赤子の手をひねるようにコロリとだまされてしまうにちがいない。

一番噴飯モノは「バヌアツとナウルはなぜ軍隊を持たないか」で、
「軍は家にたとえれば『鍵』。貧乏長屋だと鍵はなくていいでしょ」と両国を辱め、さらなる言い訳に「僕も貧乏長屋育ち。鍵なんてかけたことない」
と、いつのまにか自分の過去を哀れんで、問題を納めてしまうんである。
 百田尚樹が子供時代貧乏だったことと、バヌアツ、ナウルが平和で軍備しないことは平行線、何の関係もナイのだが、文筆力で、何も知らない読者ならひっかかるように文論が展開されている。

「今こそ日本は軍をもつべし」「日教組は害だ」「土井たか子は売国奴」など、主張の展開は「デパートの実演販売」そっくりだ。
「サァ取りいだしました、奥さん、これが『スーパー野菜カッター』なんでもかんでもよく切れる、これ一台でお台所のお悩み解決、じつはね、ようく見てください、ココッ、ココがね、3枚刃なんですよ!」といった口調のうまさで、大問題も個人の名誉もうやむやのまま「OK」にしてしまう。

「東京大空襲や原爆投下について『大虐殺だった』」としていることは、私も認める。しかしそれはもはや万人のコモンセンスではないのか?

「今こそ軍隊を」は渡部昇一との対話で、百田はこの有名教授との意見の一致に舞い上がっている。しかし渡辺はもはやよぼよぼのジジイで、昔「大学には身体障害者用にエレベーター、スロープの設置を」と国が定めた時
「身体障害者は大学へ来るな」
と放言し、物議をかもした「舌の根にストッパーのナイ」放言家で、放言家と放言家同士、さぞや論座は盛り上がったと思われる。

「渡辺教授と話が盛り上がった」=「無責任放言禄」と気づかないあたり、百田も世間知らずで幼稚である。

だが、咎められれば「80%冗談」「僕は貧乏長屋育ち」と、とっさに論旨をすり替えて煙に巻く才能は天賦のものらしく、この「酔っ払いの当たり屋」のような危険な人物が、いま「一番声が大きい」ことに、私たちはよくよく用心しなければならない。

詳しくはWikiると、ザカザカ問題が出てきます。