遅れ彼岸のでばれー2011年03月28日 10:51

ガソリン給油の保証がないので行けなかったドッコイの里の、お義父さんのお彼岸に、1週間遅れで行って来た。
いやはや、寒かった。本州では一番標高が高くて寒い都市(まち)である。ポテトチップの袋やカップ麺のフタが、気圧のせいでパンパンにふくれる。
そのまた山の、殿様の菩提寺に、お義父さんは「息子が嫁をもらったから」と喜んで湖を一望できる高台に墓を建ててしまい、傾斜がきつくて杖つきの私はうまく登れず、お参りのたびに苦労している。
今回もえっちらおっちら大騒ぎであった。
ちょうど集落の「でばれー(出払:生活用水路の掃除)の日」だったので、朝8時からワイワイ賑やか。

ドッコイと私の結婚は遅く、お互い32才の時である。
お義母さんが脳血栓で倒れたり、おばあさんが亡くなったりして、そのたびに式のタイミングをのがし、婚約時代が5年、という、周囲からの
「いーかげんにくっつけ!!」
のブーイングでやっと結婚生活のスタートラインに立ったのであった。かくして20年以上のおつきあいである。
しかし、「郷土」とはよく言ったもので、江戸っ子の末裔の私にはまだまだ知らない風習がてんこ盛りである。
でばれーは楽しかった。
寒さの中での水仕事、顔を真っ赤にして働く一人息子を見守るお義母さんの嬉しそうなこと。

私たちの結婚はある意味バクチだった。
ふたりとも心臓が悪い。
そのうえ今となっては、私は杖つきで、難治性鬱病で(端からは気付かれないように行動できるし、なんとか文章は書ける)胆石持ちで、脳炎と交通事故の後遺症で指が痙攣する(職業だった「絵」が描けない)。
ドッコイは右肩の関節がワイヤーとビスで出来ているサイボーグさん?で糖尿病である。
私は頻脈一歩手前なので長生きは出来ないだろうが(高燃費の心臓である)、出来るだけ元気に生ききって、食生活が人生を左右するドッコイの支えになりたい。
リハビリを積んで、また、大好きな絵が描きたい。
様々な人間関係のパイプは、常に「でばれー」しておきたい。

大きなことは望むべくもないが、それが人生かけた願いである。

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