「505・506号室のオリオン」2011年03月01日 04:28

オリオンがだいぶん東の空に登るようになりました。
2006年1月の文章ですが、思い入れがあるので転載してみました。

「505・506号室のオリオン」

今年は昨年に次いで3万年に一度の火星大接近の年だそうで、冬の澄んだ夜空に赤い星が美しく光っている。
宵の明星もチャーミングだし、何よりもオリオン座が素晴らしい。
ああ、まったく「冬」っていう季節はオリオンの輝きによってどれほどその魅力を増しているのだろう。

昔、びっくりするほど貧乏だった頃・・・今でも金持ちではないが、あの頃に比 べれば「夢のよう」だ。 風呂も暖房もテレビもあるし、冷蔵庫は空っぽではないし、こうしてパソコンなんてものまで持っているし。
ただ、思い出すだに貧乏だった頃、冬の大きな喜びのひとつは、働いて、疲れて深夜バスで(あるいはバスを逃して夜道を45分徒歩で)帰ってくる、ちょうどその時刻、私の暮らすオンボロ団地の、まさに私の部屋の真上の位置にオリオンがいつも輝いていた、そのことがどれほどに大きな喜びだったことか。

ポケットには何枚か、今日の稼ぎの札びらがある。 どうせ数日で淡雪のように消えてはしまうのだが、とりあえず暖かい食べ物と酒と何冊かの書物と、売れるか売れないかは分らないけれども何かを描く画材代は稼いで帰ってきたのだ。
オリオンに「ただいま」とつぶやいてから、コンクリの階段を5階のどん詰まりまでえっちらおっちら登るのは、嬉しかった。

ときどきお隣の「505号室のキムラさん」が階段の途中で飲んだくれてつぶれていた。

キムラさんは偶然にも兄貴の小学校時代の同級生のお父さんで、離婚して妻子に逃げられて借金まみれで、いろんな仕事を転々として、飲み屋のママみたいなおばちゃんと同棲してみたり、逃げられたり、雨の日に子猫を拾ってきたり、逃げられたり、また新しい借金こさえて取り立て屋から逃げ回ったり、ガスも電気も、最後は水道まで止められて(水は人間の最終必需品なので、未納から止められるまで半年以上かかるらしい)すぐそこの公園の水飲み場で、飲み水汲んだり洗濯してたり、していた。

いつも熟し過ぎた柿のような酔っぱらい特有の匂いをさせて、キムラさんは階段で丸まった猫のように眠っていて、
「キムラさ~ん、またぎますよぉ~。」
と声をかけて、よっこらせとまたいで行くと、3分くらいでごそごそ動き出して、明かりも暖もない真っ暗な505号室に、這うようにしてころげこんでゆく。
それをドアの覗き窓から確かめてから、私はそっと鍵をかける。

「どん底」とはこういうものかと思った。

その名は、ドアを荒々しく叩く取り立て屋と公共料金徴収員からしか呼ばれることもなく、昼間どこかで寒さと空腹をしのぎ、真夜中にほんのつかの間の眠りを求めてコンクリートの寒い四角い部屋へ、這いつくばって、帰る。
キムラさんと私との隔りは、向かいあったドアでわずか2メートル、金額にしてほんの札びら3~4枚ぶんポケットにあるか無しかだった。

ひとつだけ決定的な違いがあるとしたら、その頃の私には「自分の描くものによって世に出たい」という夢があり、キムラさんにはおそらくもう夢を抱き続ける気持ちすら失われてしまっていたのだろうということだ。
夢とはトランポリンのネットのようなものだ。
その1枚があるかないかで、飛び込めば暗い奈落がただ口をあけている。

私の暮らす506号室とキムラさんの暮らす505号室の上には、等しく冬の星座・オリオンが輝いていた。
私がまるで自分自身の一部のように愛しく見上げていたオリオンを、キムラさんは見上げることがあったのだろうか。

自治会のつてを頼って、民生委員の人に生活保護の相談など受けられるように話はしたのだが、いかんせん本人が昼間は逃げ回っていてつかまらないのだ、これではらちがあかない。
最終的には別れた息子さんが尋ねてきて、引き取ったようだった。
数日間の旅館詰め泊まり仕事(業界用語で「カンヅメ」という・「缶詰」ではなく「館詰」である・笑。)から帰ってきたら、505号室はカラになっていた。

その週のうちにリフォーム業者が入り、ボロボロの畳を運び出し、壁を塗って、
オリオンの季節の終る頃、新しい住人夫婦が引っ越しの挨拶にやってきた。

もう20年ちかく昔のことである。
体を損ねているようだったキムラさんは、今、生きているのだろうか、どこかで幸せに暮らしているのだろうか、そうなら良いなあ、などと、冬のオリオンを見上げるたびに、思う。

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