「アンチョコ喪主挨拶集」に収まりきらないもの2010年11月25日 21:11

田舎の葬儀という者は万事古式ゆかしくとりまとめるのが良しとされる。
で、喪主ドッコイに葬儀社の人が
「ご参考までに…」
と渡した挨拶集のコピーは、どう考えても30年ばかり前のものだった。
「70才」で「長寿を極めた祖父扱い」であるからして。(義父は数えで80だった。)
シャベリの苦手なドッコイは当然「簡潔な中にも感謝の心をこめて」を選んでおった。

文例にひとつひとつ解説が付いてくるところがオカシイんである。
「平凡ではあるが、まっすぐなところのある父親の姿と、それを愛している子供の心情が伝わってくる感じがします。」とか。
「悲しさを直接的にぶつける例もあります。取り乱したくなる気持ちをあまり抑えすぎるひつようもありません。」
「偉大な父親像がさりげなく語られ、また、その父の仕事を継いで行く息子の使命感と静かな決意というもののの滲み出た喪主挨拶であると思います。」
「挨拶の立派さからいえば問題があるかも知れませんが、こうした悲しみをぶつけるのも自然なものです。」

ドッコイは自分の父親を憎んでいた。
自分の中に流れる父親の血を恐れている。
こんな複雑な喪主の心情を吐露する「喪主挨拶」って、あるのかな。

新・家父長2010年11月26日 23:49

しかし田舎とはキビシイところで、死んだお義父さんの出るはずだった親戚の法事に、
「本人亡くなりましたので欠席します。」
ではなくドッコイが今行っているんである。
「新・家父長です、ヨロシク。」
と親戚に挨拶しに。
血というモノは枝分かれして循環しているのだから、その地ではこれでいいのだろう。
ただひとり、わたしだけがドッコイを、パートナーとして見ていて、「家父長」という制度を受け入れられなくても。