「江戸桜7」2010年11月23日 21:19

というイベントに行って来ました。
何かというとTVゲーム「サクラ大戦」のファン同人誌イベント。
サクラも日本・巴里・紐育と3組出て、「1組だけ」というのはあっても「オール」はここだけ。
年に1度の楽しみなお祭りです。(規模小さいけど・笑)
「サクラ大戦」というのは、お若い方はご存じないでしょうが、出て15~6年?
「もしも大正時代が『太正時代』で、蒸気文明の高度に発達した世界だったら」という、「ifの世界」なんですね。
タイプの違う女の子達が蒸気甲冑に乗って悪と戦うという、ま、「ギャルゲー」です。
ただ、世界観がおもしろいのと、田中公平さんという天才作曲家が渾身の力を振り絞って作曲にあたったこと、声優さんが良かったことと、ファンの結束が堅かったことで、今日まで続いています。

実は私が、大学生~しばらく触れて離れていたパソコンの世界に戻ったのも、こうやって今文章を書いているのも「サクラ」のおかげです。

1990年代、私は仕事をしながら、養女でしたので年の55離れた(明治40年生まれ)の養母とそのパートナーの介護をしていました。
ふたりとも「日本画家」という職業故気むずかしく、どんどん衰えてゆく心身に(子育てと逆ですね)、すっかり疲れていました。

「あなたのお養母様と同じ時代のTVゲームがあるわよ。」
と、友人が教えてくれたのが「サクラ大戦」。
そこには、認知症で何百遍も聞かされた彼女たちの十代後半、青春時代がいきいきと描かれていました。
笑いながら駆け下りた本郷・菊坂。おやつに買った「燕明軒の豆パン」。断髪にして「モガは不良だ!」と退学寸前の騒ぎになったこと。
突然そのモノクロだった世界がカラーで見え始めたわけです。

それは新鮮な輝きでした。

私は「同人誌」というものをひとりで始めて描き、本を出し、イベントに参加して友人を作り、それまで知らなかった世界を広げました。

ただ、養母たちがどうしても認知症が進んでぼや騒ぎを起こし、目が離せなくなるまででしたが。

いまでもはっきり覚えています、私が「もう会場に足を運べないならサイトを作ろう」とi Mac を買ったのは1999年5月3日です。(そこからサイトを立ち上げるのに丸5ヶ月かかりました・苦笑)
学生の頃かじった「液晶20行が精一杯」だったパソコンの世界はとんでもなく進歩を遂げていましたが、そこから「帰ってきた抜刀質店」が始まりました。(ググると出て来ます)
私は主に文章で身辺のことや思ったこと、養母達の青春時代のことを書き始めたのです。

事故や病気、養母達や父、義父の死と不幸が続き、とぎれとぎれではありますが(今回新刊出せませんでしたが)、このイベントは、可能な限り参加し続けたいです。
「可能な限り絵や文を書くこと」

これは私にとって、今現在「呼吸をするような」ことです。

もっと深く潜る「1冊の本を描きあげること」、これは脳と呼吸の、根気のいるリハビリですが。
来年も「江戸桜8」が開催されること、そこに漫画の新刊が出せたら、と、今は1年先の夢を見ています。