小松太郎氏のまねっこをしたチャペックの「園芸家12ヶ月」風文体2010年09月19日 20:49

まったくなんということだ、ケストナーの最初の翻訳者、小松太郎氏の文体でケストナー氏の児童小説をコピーしそこねるとは!
しかたがない、こういったときは氏の代表的一冊「園芸家12ヶ月」の文体で進めよう。
小松太郎氏は、高橋健二氏より2年先に生まれたドイツ文学者である。
ケストナーの「人生処方詩集」(私はこれを某M嬢から教わった。感謝している)、創元文庫のケストナー三部作、そしてチェコのカレル・チャペックの「園芸家12ヶ月」の翻訳者である。

画学生(彼らは絵の具代か陶土代か銅板代、もっとすごいのになると自分の体よりより大きな大理石のかたまりの支払いで、一様に貧乏である)のひとりにすぎなかった時代の私は「園芸家12ヶ月」を本屋で買って、あんまり食費に困っていたので、園芸店で100円のツマミナの種を買い、食べ終わった「マルちゃん緑のたぬき」の空き容器に箸で底穴をあけ、公園でこっそり土を掘ってきて、種をまいた。
計画通りにゆけば10日で新鮮なツマミナのおひたしを食べられるはずだった。
しかし。
人間にとって美味しいものは虫にとって「もっと」美味しいと、偉大なるチャペックは書き忘れたのだ。さもなければチェコにはタチの悪い虫はいないにちがいない。
わたしのおひたしになるはずのツマミナは6日で「3匹の美食家風のシャクトイリムシと土」に戻った。(シャクトリムシは緑地に放してやった)
しかしそれはチャペックの書き忘れであって、小松太郎氏のせいではない。
それが証拠に小松氏は、チャペックの書いた野菜栽培で「1日に120個の廿日(はつか)ダイコンを食べるはめ」にはなっていないはずだ。
わたしも廿日ダイコンは1日22個の食事記録しか樹立していない。
しかし、「園芸家12ヶ月」はその後行方不明になる率が高すぎて、現在6冊目である。
これは誇ってもいい記録かもしれない。私の物忘れのひどさときたら!

しかし、何よりも大切なのは小松氏が岩波書店のケストナー第一翻訳者だということだ。
しかも上の世代から
「あら、小松さん訳じゃないの?残念ね。」
と言われるほどだったのだからどんなに名訳だったろう!。
「飛ぶ教室」!この名作の小松氏訳の背表紙を、私はある人のスタジオで見ている。
しかし、背表紙だけだ、仕事をしに行ったのだから。
「あのぅ、これちょっと読ませていただいていいですか?」
とは、現場全員28時間の徹夜仕事をしている仕事場で口にするべき言葉ではない。
私は名訳といわれる日本初のケストナーを読んでいないのだ!
高橋健二氏は初版の後書きに「最初に小松氏の翻訳があったが、全集の依頼が来たので、氏の承諾を得て全集の仕事をした。小松氏は先に岩波少年文庫と岩波少年少女文学全集の翻訳をしている。」とはっきり書きしるしている。
そんなある日。
きっかけは思いもよらないところからやってくる。甘損で「小松太郎 飛ぶ教室」と入力したら1冊だけ、ヒットしたのだ! しかも1円。
そのとき私の頭の周りには小さな天使たちが輪になっておどり、花をまき散らしラッパを吹いていたのだと思う。
ハレルヤ!人生には思いもよらぬ移動祝祭日が埋もれているものだ。

かくして私は速攻で「飛ぶ教室」を手にいれた。
しかし諸君、不幸のきざしというものは、まったく封筒を手にした瞬間にわかるものだ。
そうでなければ私の指が「ウソ発見機」のようにできあがっているかのどちらかだ。
岩波書店創立80周年記念の「世界児童文学全集」で、ケストナー全集とおなじく高橋健二氏訳だったとは。甘損の、いや出典書店の記載ミスであったのだ。

しかし1円で、頑丈で美しいツタの模様の函に群青の羅紗貼りに金箔の装丁、しかも全体をパラフィン紙で包んだ極上の本を返品する愚か者がいるだろうか。
そんな奴ははっきりいってセイタカアワダチソウの草原にでもほうり込んでしまうのが上等の策というものだ。
私は王侯貴族の「おひいさま」にでもなった気分でこの上等の1円本を読むとしよう。
なにしろ前の全集版「飛ぶ教室」は、古本屋の百円均一コーナーで手に入れたものだったからだ。
しかしそれは、今年種からまいて育てたシャムのトウガラシの収穫が済んでからだ。