ケストナーを全集翻訳者・高橋健二氏ふうに語る2010年09月17日 23:16

わたしは今まで
「ドイツの子どもは100%、日本の子どもは(せめて)50%は、ケストナーを読んでいるに違いない」
と信じて、いや、ねがっていました。
子ども時代に読んだ本の6割は岩波書店でしたし、わが家(や)ではお父さんは岩波書店の月刊書誌「波」を生涯とり続けていたのです。(そしていまは未亡人のお母さんがとって読んでいます。)

ところがどうしたことでしょう、なんと生涯の伴侶「ドッコイ君」が、子ども時代に、ケストナー氏の本を1冊も読んでいないということが判明してしまったのです!
ケストナー氏といえばドッコイ君の故郷、長野県諏訪出身の岩波茂雄氏が、1913年8月5日、東京市神田区南神保町16番地(現・東京都千代田区神田神保町)に開いた古書店として出発した岩波書店のだいひょうてき児童読みものの作者だというのに!
(日本でも長野県は子どもの教育にとくに熱心な、愛県精神の強い県として知られています。諏訪はとくにそうです。)
わたしは元小学校教師のお母さん(今年80才になります)に相談しました。
「お母さんどうしましょう!児童文学の大きな柱である岩波書店のケストナーの本を、わたしの夫は読んでいません!」
聡明なお母さんはしばらく考えてからいいました。
「でも『いやいやえん』を読んでいればだいじょうぶですよ、ノンちゃん。(お母さんはわたしのことを点子ちゃんのようにそう呼びます)」
さいわいドッコイ君は「いやいやえん」を読んでいました。
ふぅ。やれやれでした。

わたしが子どもだったころ読んだのはハードカバーで函(はこ)入りの「ケストナー全集」でした。
訳はドイツ文学者の高橋健二氏。
全集のうちノンフィクション「わたしが子どもだったころ」以外は、とても品の良い、でもゆかいな「です・ます調」で訳されています。
ですからこの文章は、高橋氏の文章(子どもむけ)の通りに真似をして書いているのですよ、みなさん!
ずぼらなわたしが「子供」でも「こども」でもなく、キーを打ちわけて「子ども」なんて!ましてや「私」ではなく「わたし」だなんて!ブログは「ふりがな」をふれないのです。

それでもわたしは自分の勇気をふるいたたせてドッコイ君に読みやすいように、岩波少年文庫でケストナー氏の本を買いました。するとどうしたことでしょう、2000年に翻訳者が変わって、改訂版になってしまっていたのです。ブルルル!とんでもない!

そこでわたしは、ドッコイ君のためにどちらがよいか、高橋健二氏版と池田香代子さんという2000年版の飜訳された「エーミールと三人のふたご」を読みくらべようと思いたちました。

ああ、描きたいことの半分もゆかないうちにたいした文字数になってしまいました。「エーミール読みくらべ」については次回に書くとしましょう。
ドッコイ君はいま、わたしの横の「せんべいぶとん」で盛大にいびきをかいて眠っています。夜もふけました、わたしももぐりこむとしましょう。
なにしろ貧乏なわがやには、ふとんが一組しかないのですから!