アンカレッジの淑女たち2010年09月05日 12:17

私が初めて渡欧したとき、冷戦はまだ終結していなかった。
と、どうしてたかというと、飛行機はみんなロシア上空を飛べないので、日本からアンカレッジ(アラスカ)経由の航路、街は潤っていた。
免税店に食堂、日本人客が多いので「立ち食いうどん店」まであった。

初めてアンカレッジ空港に着陸したときは、1月なので、そして夜なので、ライトがチカチカする以外は闇に浮かび上がる真っ白な世界で、
「ケーキの上に着陸するみたいだ」
と思った。

免税店の売り子さんはみんな日本人のおばあちゃんで、売り場の混雑が一段落ついたあたりで話しかけると(なにしろその頃私は後ろを刈り上げてキャップをかぶり、変声期前の中学生の坊やにしか見えなかったのでわりと気さくに誰にでも話しかけられたのである。)おばあちゃんたちはみんな元東京の一流デパートガールであること、定年まで勤め上げていること、高級アパートをみんなで借りてルームシェアしていること、高給なのでしょっちゅう東京に孫の顔を見に行くこと、etc.
「こんなリッチな老後があるなんて思ってもみなかったわよ。」
とおばあちゃんたちは笑っていた。

今は人がアンカレッジに行くにはシアトル経由である。
貨物空港として、日本に「子もち昆布」や、回転寿司用の「やたらとれるが身はおいしくないので今まで誰も振り向かなかった巨大ヒラメの、そのエンガワの冷凍」を輸出している。

回転寿司でヒラメのエンガワなんて誰も考えなかったころ、アンカレッジには日本の淑女たちの楽しい共同暮らしがあった。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック