相原さん2010年09月01日 02:08

は葬儀屋さんだ。養母が亡くなったときにお世話になった。
お元気でいらっしゃるかしら。恰幅の良い、明るい穏やかな相の人だった。

私はそのとき失業したてだったので、後に無料講習会などで「葬儀」の勉強を何度かしたのだが、結局「杖」がネックになってあきらめた。
まず正座が出来ないと出来ない職業である。
(最近だいぶ椅子式になりましたが)

クリスチャンだった養母の葬儀は、なにせ教会がいろいろセッティングしてくれるので、楽で、安かった。戒名代もいらないしな。
花の好きな人だったので、花だけは、「白を基準にパステルカラーでたっぷり」とお願いした。
あとは携帯のストラップがピンクパンサーだったのでブレイク・エドワーズ監督の話や、その奥さんのジュリー・アンドリュースの話をし、「ヴィクター・ヴィクトリア」がヒットしてホントよかったですねー。本当エドワーズ監督、「ティファニーで朝食を」でメガヒット出しちゃったから、あとが大変でしたね。私「ピンクパンサー」の、突然カンフーで襲ってくる執事ケイトーが好きです。なんて。

身長130センチ足らずの養母は腰も背中も曲がっていたし、ちょっとひねるような寝相(というのか死相というのか)で、レギュラーサイズの棺桶に収まりきらず、180センチの、縦横もたっぷりの「スポーツ選手用棺桶」に、上5分の2だけ収まっていた。(あとは花で埋めた)
友引を挟んでしまったのでちょっと長いお付き合いになったのだが、
「焼き場はタテ210センチなので、ジャイアント馬場さんは棺なしで、ヒザを曲げて、シーツをかけて焼きました。」
とか
「首都圏で土葬が許されているのは「華僑墓地」なんですが、一度伝染病を出すと、あとは火葬なんですがなんでなんですかねぇ。」
とか、養母の死で体重38キロになっちゃった私を、察してくれたんだなあ、と思う。父の死では逆に体重が倍になりました。(私はストレスによる体重の増減がものすごい)
とーちゃんなんとかしてください。(笑)
ホント「やせて3ヶ月太って3日」よ。

やたっ!2010年09月04日 00:46

19日・小林聡美主演「ハーパー・リーガン」マチネのチケット取れました〜♪

「転校生」から応援してるのよ、「さびしんぼう」で樹木希林の娘役で尾美としのりを墓地でおっかけるのも、「グリーンレクイエム」で坂上忍の同僚研究員で4シーンしか出番がないのも、斉藤由貴の「恋する女たち」で美術室で日本酒飲んでるのも、観てるのよ。あ、「痛快ロックンロール通り」でゴクミの姉、沢口靖子さんの同僚のバスガール、なんてのもあったな。

でも生の舞台は初めて。
キャー!同じ空気吸うのね!!(ミーハー)

アンカレッジの淑女たち2010年09月05日 12:17

私が初めて渡欧したとき、冷戦はまだ終結していなかった。
と、どうしてたかというと、飛行機はみんなロシア上空を飛べないので、日本からアンカレッジ(アラスカ)経由の航路、街は潤っていた。
免税店に食堂、日本人客が多いので「立ち食いうどん店」まであった。

初めてアンカレッジ空港に着陸したときは、1月なので、そして夜なので、ライトがチカチカする以外は闇に浮かび上がる真っ白な世界で、
「ケーキの上に着陸するみたいだ」
と思った。

免税店の売り子さんはみんな日本人のおばあちゃんで、売り場の混雑が一段落ついたあたりで話しかけると(なにしろその頃私は後ろを刈り上げてキャップをかぶり、変声期前の中学生の坊やにしか見えなかったのでわりと気さくに誰にでも話しかけられたのである。)おばあちゃんたちはみんな元東京の一流デパートガールであること、定年まで勤め上げていること、高級アパートをみんなで借りてルームシェアしていること、高給なのでしょっちゅう東京に孫の顔を見に行くこと、etc.
「こんなリッチな老後があるなんて思ってもみなかったわよ。」
とおばあちゃんたちは笑っていた。

今は人がアンカレッジに行くにはシアトル経由である。
貨物空港として、日本に「子もち昆布」や、回転寿司用の「やたらとれるが身はおいしくないので今まで誰も振り向かなかった巨大ヒラメの、そのエンガワの冷凍」を輸出している。

回転寿司でヒラメのエンガワなんて誰も考えなかったころ、アンカレッジには日本の淑女たちの楽しい共同暮らしがあった。

素敵な「チャリ」2010年09月09日 22:30

「チャリ」って大阪弁で「おどけ者」のことだと田辺聖子先生が言ってました。
大阪弁のこういったところが好き。

で、あいかわらず商工会議所の一室で、ズラ〜ッとならんだパソコン前に「子供遠足会参加者募集」とか「町内運動会のお知らせ」のチラシ制作をカチャカチャやっとるわけです。
が。
「根がチャリ」なんですね。
タイトルのフォント替えとかイラスト挿入とか、ルビふりとか傍点とかの課題を全部こなしつつ・・・
つい「秋の町内運動会のお誘い」のはずが

「ゲゲゲの運動会のお誘い」

「我々妖怪のかき入れどき夏も終わり、風が心地よい季節に・・・」
「小さな火の玉から大きな塗り壁までみなさまの参加をお待ち・・・」
「葬式まんじゅう食い競争、墓石障害物レース・・・」
「場所・時間 商工寺墓地・深夜0:00〜・・・」
「服装:黒黄ちゃんちゃんこに下駄履きのこと」
「セルフサービスですが冷酒(ホントは冷茶)を用意いたしました」
イラストは唐カサお化け、と、お堅い元原稿からどんどんズレちゃうわけです。
「記」なんてオフィス用語いれちゃったりして。
なにが「記」やっちゅーねん。(笑)

いかんいかん、世間では普通の目立たないおばちゃんで通しているのに(笑)。

係のお兄さんに「これ、受講希望者さんの見本にしていいですか?」「あ、どーぞどーぞー(心でもみ手)」ってホント、<ウケてナンボ>の商魂は一生モンだわさ(苦笑)。「素敵」じゃなくて「無敵なチャリ」かも。

顔の美味し悪し(よしあし)2010年09月11日 15:25

沖縄に何度目に行ったときだか、帰りに空港で時間があいたのでおみやげ屋さん「沖縄三越」に入った。
とたんに目と目が、いやさ顔と顔があったのが「ツラガーの燻製」
ブタの顔の皮を燻製にしたものです。
「美味シそう!」
これは沖縄慣れしていると自然と湧いて出る感情です、初対面なら「ヒョェ〜ッ!」
だけど。で、手にとってながめていたら、店員さんが
「お客さん、それはダメです!」
「はい?」
吊してあるのをめくって
「これ、これがお美味しい顔です!」
ブタの人相にも、いやさ豚相にも美味しいまずいがあるのかしら。
これを見分けるおばちゃんエライ。
とにかく買って帰りました。
けっこう大きいんですよねブタの顔。で、台所でスライスしてパーツ別に小分けして冷凍。酒の肴に半年もちました。
一番美味しいのが「鼻」、次が「まぶた」。
意外と美味しくないのが「ミミガー」としてポピュラーな「耳」。
燻製には常日ごろよく動かしている所が美味しいらしい。う〜ん、奧が深い。
次に行ったらなくなっていました。
ふだん美味しいものは製造元のアドレスを控えておくのですが、このときはどうしたわけか袋捨てちゃったし。
一生一度の美味でしたとさ。
(ま、私最近ノンアルコールだからイイんですが。)

ケストナーを全集翻訳者・高橋健二氏ふうに語る2010年09月17日 23:16

わたしは今まで
「ドイツの子どもは100%、日本の子どもは(せめて)50%は、ケストナーを読んでいるに違いない」
と信じて、いや、ねがっていました。
子ども時代に読んだ本の6割は岩波書店でしたし、わが家(や)ではお父さんは岩波書店の月刊書誌「波」を生涯とり続けていたのです。(そしていまは未亡人のお母さんがとって読んでいます。)

ところがどうしたことでしょう、なんと生涯の伴侶「ドッコイ君」が、子ども時代に、ケストナー氏の本を1冊も読んでいないということが判明してしまったのです!
ケストナー氏といえばドッコイ君の故郷、長野県諏訪出身の岩波茂雄氏が、1913年8月5日、東京市神田区南神保町16番地(現・東京都千代田区神田神保町)に開いた古書店として出発した岩波書店のだいひょうてき児童読みものの作者だというのに!
(日本でも長野県は子どもの教育にとくに熱心な、愛県精神の強い県として知られています。諏訪はとくにそうです。)
わたしは元小学校教師のお母さん(今年80才になります)に相談しました。
「お母さんどうしましょう!児童文学の大きな柱である岩波書店のケストナーの本を、わたしの夫は読んでいません!」
聡明なお母さんはしばらく考えてからいいました。
「でも『いやいやえん』を読んでいればだいじょうぶですよ、ノンちゃん。(お母さんはわたしのことを点子ちゃんのようにそう呼びます)」
さいわいドッコイ君は「いやいやえん」を読んでいました。
ふぅ。やれやれでした。

わたしが子どもだったころ読んだのはハードカバーで函(はこ)入りの「ケストナー全集」でした。
訳はドイツ文学者の高橋健二氏。
全集のうちノンフィクション「わたしが子どもだったころ」以外は、とても品の良い、でもゆかいな「です・ます調」で訳されています。
ですからこの文章は、高橋氏の文章(子どもむけ)の通りに真似をして書いているのですよ、みなさん!
ずぼらなわたしが「子供」でも「こども」でもなく、キーを打ちわけて「子ども」なんて!ましてや「私」ではなく「わたし」だなんて!ブログは「ふりがな」をふれないのです。

それでもわたしは自分の勇気をふるいたたせてドッコイ君に読みやすいように、岩波少年文庫でケストナー氏の本を買いました。するとどうしたことでしょう、2000年に翻訳者が変わって、改訂版になってしまっていたのです。ブルルル!とんでもない!

そこでわたしは、ドッコイ君のためにどちらがよいか、高橋健二氏版と池田香代子さんという2000年版の飜訳された「エーミールと三人のふたご」を読みくらべようと思いたちました。

ああ、描きたいことの半分もゆかないうちにたいした文字数になってしまいました。「エーミール読みくらべ」については次回に書くとしましょう。
ドッコイ君はいま、わたしの横の「せんべいぶとん」で盛大にいびきをかいて眠っています。夜もふけました、わたしももぐりこむとしましょう。
なにしろ貧乏なわがやには、ふとんが一組しかないのですから!

高橋健二さん風文体でケストナーを語る・22010年09月18日 21:43

わたしが読みはじめてさいしょに
「ああ、これはいけない」
と思っただいいちのきっかけは、ベルリンに住む「教授」君(彼はとても頭がよいので、生徒なのにみんなにそう呼ばれています。)が、高橋氏の訳では「ぼく」と名のっているのに、池田さん版では、「おれ」と自分を呼んでいることです。
たとえ原典でエーミールが「ぼく」、教授君が「おれ」と自分のことを呼んでいても、少年少女の小説では、かならず「非力だけれど頭脳派」のキャラクターは「自称:ぼく」なのです。それが日本のやくそくごとです!
やくそくごとは、たとえば志村けんさんがバカ殿を演じるときには顔を白く塗らなければならないように、大切なことです。

「エーミールと探偵たち」では、そのまえの「エーミールと探偵たち」では警笛だけを持っていたグスタフは、めでたいこことにそれにつけるオートバイ…いや、それをつけるオートバイを手に入れました。
しかし、新訳では「クラクションのグスタフ」です。
そうでしょうとも、2010年の日本では!
しかしわたしは先日免許証の更新に警察へ行き、「交通の教則」という、ちびまるこちゃんのイラスト入りのテキストをもらったのですが(更新料の印紙を買ったので、これももらったのではなく買わされたのかもしれません)日本の道路標識ではまだ「警笛鳴らせ」なのですよ。
ついでに言うなら、「自転車以外の軽車両交通不可」に、今は京都・太秦(うずまさ)の撮影村にしかないような「大八車」も描いてありますし「歩行者」は「つばつき帽子」か野球帽かリボン(子供だったら、です!)姿です。

「おなじみのピコロ(ホテルの見習いボーイ)は情けないことに「顔見知り」と紹介されています。

「火星君」にいたっては…「ディーンスターク」です!
「エーミールと探偵たち」であれほど重要な役柄だったにもかかわらず。いきなり外国語で「リスペクト」と「リストラ」と「リバイバル」のなかで悲しいのはどれ?と問われるようなものです。おおよそのカタカナの言葉には魂はこもっていません。(日本語で「言霊(ことだま)」と言います)彼の名前を「火星君」にしておけば、日本の少年少女は「火星という星がある」と心に刻めるのに。いつか萩尾望都先生の名作「スターレッド」にたどりつけるのに。もったいないことです。
「ディーンスターク」、これは大学でドイツ語を習う学生が単語帳に書き込んでおけばよい言葉です。(わたしは中学校からフランス語を10年間習いましたが、「火星」が男性名詞で「Le Mars・ル・マール」と呼ぶのだと言うことを、背後の辞書の山から今カンニングするまで知りませんでした。

池田さんはグスタフになにか恨みでもあるのでしょうか、小さいころよくにた男の子にいじめられた、とか。ただひとりの少女役ポニー・ヒューストヘンに口を利くのに、高橋氏は
「ぼくのオートバイはどうです?」
なのに
「ねえ、おれのマシンどう思う?」
と、急にガラが悪くなってしまいます。
「たいしたことじゃない」

「べつにどうってことねえよ」
です。
品位のある勇者を道ばたのチンピラにしてはいけません!
新しい訳者さんは、物語ぜんたいの品位よりも、それぞれのキャラクターをそれぞれちがった性格に「ばらす」のに熱心すぎです。たとえグスタフが全体のなかでは野性的な人物でも、ものには「ほどよいころあい」と「ものがたりぜんたいの品位への責任」があります。とくに後者は、飜訳する人には強く求められるものです。

もちろん高橋氏の訳でも、今では「銀行」というところを「貯蓄銀行」と言ったり、「サンドイッチ」が「バタパン」だったり「電気のドライヤー(頭髪乾燥機)」だったりジンが「ネズの実いりの火酒(ウォッカ)」だったりします。

たしかに言葉は目まぐるしく変化し、それについてゆくのに大人ですらおおわらわです。
しかし、品格のある言葉で、真剣に子どもたちに問いかけるとき、子どもたちは自分から「警笛」は「クラクション」のことだと発見するものです。

2冊の「エーミールと三人のふたご」を1章ずつ読み比べ、1962年(わたしが生まれた年です!)に出版された高橋氏の訳を、もしもわたしに子どもがいたら(残念ながらおりませんが。しかし一組しかふとんのないわがやでは、それでよいのかもしれません)かならず
「最初に高橋氏の全集を、時代の落差をおしえながら読んで聞かせ、それから岩波少年文庫を(子どもがそれをのぞむなら)あたえよう」
と思いました。

(ところで警察の交通教本は全国版です。同業者のさくらももこさんはいくら著作料をもらえたのでしょう?これも政府の事業しわけで「独占」のらくいんを押されていましたが!)

小松太郎氏のまねっこをしたチャペックの「園芸家12ヶ月」風文体2010年09月19日 20:49

まったくなんということだ、ケストナーの最初の翻訳者、小松太郎氏の文体でケストナー氏の児童小説をコピーしそこねるとは!
しかたがない、こういったときは氏の代表的一冊「園芸家12ヶ月」の文体で進めよう。
小松太郎氏は、高橋健二氏より2年先に生まれたドイツ文学者である。
ケストナーの「人生処方詩集」(私はこれを某M嬢から教わった。感謝している)、創元文庫のケストナー三部作、そしてチェコのカレル・チャペックの「園芸家12ヶ月」の翻訳者である。

画学生(彼らは絵の具代か陶土代か銅板代、もっとすごいのになると自分の体よりより大きな大理石のかたまりの支払いで、一様に貧乏である)のひとりにすぎなかった時代の私は「園芸家12ヶ月」を本屋で買って、あんまり食費に困っていたので、園芸店で100円のツマミナの種を買い、食べ終わった「マルちゃん緑のたぬき」の空き容器に箸で底穴をあけ、公園でこっそり土を掘ってきて、種をまいた。
計画通りにゆけば10日で新鮮なツマミナのおひたしを食べられるはずだった。
しかし。
人間にとって美味しいものは虫にとって「もっと」美味しいと、偉大なるチャペックは書き忘れたのだ。さもなければチェコにはタチの悪い虫はいないにちがいない。
わたしのおひたしになるはずのツマミナは6日で「3匹の美食家風のシャクトイリムシと土」に戻った。(シャクトリムシは緑地に放してやった)
しかしそれはチャペックの書き忘れであって、小松太郎氏のせいではない。
それが証拠に小松氏は、チャペックの書いた野菜栽培で「1日に120個の廿日(はつか)ダイコンを食べるはめ」にはなっていないはずだ。
わたしも廿日ダイコンは1日22個の食事記録しか樹立していない。
しかし、「園芸家12ヶ月」はその後行方不明になる率が高すぎて、現在6冊目である。
これは誇ってもいい記録かもしれない。私の物忘れのひどさときたら!

しかし、何よりも大切なのは小松氏が岩波書店のケストナー第一翻訳者だということだ。
しかも上の世代から
「あら、小松さん訳じゃないの?残念ね。」
と言われるほどだったのだからどんなに名訳だったろう!。
「飛ぶ教室」!この名作の小松氏訳の背表紙を、私はある人のスタジオで見ている。
しかし、背表紙だけだ、仕事をしに行ったのだから。
「あのぅ、これちょっと読ませていただいていいですか?」
とは、現場全員28時間の徹夜仕事をしている仕事場で口にするべき言葉ではない。
私は名訳といわれる日本初のケストナーを読んでいないのだ!
高橋健二氏は初版の後書きに「最初に小松氏の翻訳があったが、全集の依頼が来たので、氏の承諾を得て全集の仕事をした。小松氏は先に岩波少年文庫と岩波少年少女文学全集の翻訳をしている。」とはっきり書きしるしている。
そんなある日。
きっかけは思いもよらないところからやってくる。甘損で「小松太郎 飛ぶ教室」と入力したら1冊だけ、ヒットしたのだ! しかも1円。
そのとき私の頭の周りには小さな天使たちが輪になっておどり、花をまき散らしラッパを吹いていたのだと思う。
ハレルヤ!人生には思いもよらぬ移動祝祭日が埋もれているものだ。

かくして私は速攻で「飛ぶ教室」を手にいれた。
しかし諸君、不幸のきざしというものは、まったく封筒を手にした瞬間にわかるものだ。
そうでなければ私の指が「ウソ発見機」のようにできあがっているかのどちらかだ。
岩波書店創立80周年記念の「世界児童文学全集」で、ケストナー全集とおなじく高橋健二氏訳だったとは。甘損の、いや出典書店の記載ミスであったのだ。

しかし1円で、頑丈で美しいツタの模様の函に群青の羅紗貼りに金箔の装丁、しかも全体をパラフィン紙で包んだ極上の本を返品する愚か者がいるだろうか。
そんな奴ははっきりいってセイタカアワダチソウの草原にでもほうり込んでしまうのが上等の策というものだ。
私は王侯貴族の「おひいさま」にでもなった気分でこの上等の1円本を読むとしよう。
なにしろ前の全集版「飛ぶ教室」は、古本屋の百円均一コーナーで手に入れたものだったからだ。
しかしそれは、今年種からまいて育てたシャムのトウガラシの収穫が済んでからだ。

布団の上のエトセトラ2010年09月24日 00:59

偽翻訳三部作(とゆー名のご冗談)を書いて、すごくくたびれた。
翻訳のニセモノというのも疲れるが、それ以上に、ここでMacからWindowsに引っ越ししたのだ。
Mac育ちの私が、書くのもWindows、アクセスも書き込みもWindows、ファイル保存もWindowsである。
頭の切り替えに商工会議所のパソコン教室に通い、それでは済まない部分は幸いドッコイが日本にいるから夜中までつきあってもらった。
でもこれからまだ数日は、やっちゃためし、やっちゃためしの連続である。
連休が幸いしたというか、ドッコイにとってはちと不幸といおうか。

一番困ったのは置き場である。なんと一組しかない布団(もちろんシングル)のまくら元なのである。
幸いにして最近の布団は1メーター×2メーターで長さが充分余るので、我が家の布団には枕とタオルケットと本がふた山、壊れちゃった扇風機、そしてついにパソコンの登場である。
もちろんこれには洗濯バサミやボールペン、メモ帳に、NHKDVD「漢詩紀行百選」(十枚組)が含まれている。
ああ、目覚まし時計はベランダのガラス戸のさんに寄せてあって、開け閉めするととてもアクロバティックだ。

パソコンはサウンドオブミュージックと小林聡美ともたいまさこのDVDを台に、平凡社の「ある結婚の肖像ーヴィタ・サックスヴィル=ヴェストの告白」がマウスパッドになっている。
私はヴァージニア・ウルフの恋人だったこのレディー・ヴィタに興味があるので読みたくて仕方ないのだが(しかも結婚前になくして、探し続けてやっと2冊目)、しかしMacからWindowsへのファイルやら落書きやらブリキのおもちゃの写真やらの山のような情報の引っ越しには何ヶ月かかるか。

「根気・根性」はこのズボラな私の人生に一番必要とされる徳性である。
馬の鼻っ面にニンジンのように、私のまくらの横にはレディー・ヴィタの人生記があり、これをほかの本とすり替えてしまうとWindowsに大混乱してしまうぶきっちょな私は、どうしたもんだか困り果てている。

行ったり来たり戻ったり2010年09月29日 00:39

先日MacからWindowsに乗り換えたと書いたが、引っ越しは完全には終わっていない。
メールが読めないし書けないので、寝室の、ちゃぶ台の上のMacと、まくら元のWindowsを、狭い室内行ったり来たり、あ”-めんどくさっ!(笑)
おまけにWindowsで4千字ばかりの書き物をしなくてはならず、その校正やプリントでもう4日ばかり 、まくら元、プリンタ、ちゃぶ台の3地点を、もそもそ動く動物園の柵の中のツキノワグマ状態である。
書き物、これが、誤字脱字の嵐で、 肉筆で書いたら早いでしょう、というにはあまりにもキータッチに慣らされて、辞書を引き引きだと、先の文章が逃げちゃうんである。
かつて私はセミプロエッセイストだったが(セミよ、セミ・よく鳴くセミ・笑)今の方が文章力はずっと落ちている。と思う。
いや、逆にアラの見える年になったのか。
いずれにせよ文章を書くことは難しい。楽しいけれど(笑)。