余白がない!2010年08月09日 01:52

電子書籍化が急激に進もうとしているが、汗牛充棟派、大反対である。
理由は簡単で、傍線を引く余白がないから。
ここは、というページに付箋が貼れないから。

「売るときに値打ちが下がる」
なんてシミッタレは、田辺聖子の「ゆめはるか吉屋信子・下」ハードカバー版定価2千2百円が、中古で1冊1円で売られている事実を見なさい。(この間やっと入手した。)

私の本は、モノによりけりだが、中2あたりから、黄色のダルマトグラフ(巻芯鉛筆)でまっ黄色だった(まだ蛍光マーカーが出ていなかった頃だし、蛍光は目に痛いので嫌い)。
岩波新書の清水幾太郎:「論文の書き方」から光文社カッパ新書「ウ○コによる健康診断法」まで(笑)、毎日新書ばかり、1日2冊読んでいたあの頃。
本は大切なものと教えられた世代であるので「またぎもせず踏みもせず」だが、頭がよく内容を消化できるように傍線は引いたし、ちょっとした思いつきなど、メモもした。

全部ではないが、今は文庫はもう、ものによっては赤ペン緑ペン、ボールペンで傍線と書き込みだらけである。
「青木玉さん」が「赤木玉さん」になっている(笑)。
読む速度はものすごく遅いし、ときどき離文症も出てしまうのだが、絵本と児童文学書と漫画・画集・写真集(これはアートであるからして)以外は、私の蔵書は死んでも引き取る古本屋がいないだろう。

人は米のように本を食らう。忘れられてゆく本のなんと多いことか。
しかし、
「あのざんざん降りの午後学食で友達と食べたA定食」
だったり
「1ッ買うお金がなくて、ふたりで分けたチーズバーガー」
だったり(ビンボウなたとえばかりですいませんね・笑)、本は人生を横切ってゆく糧(かて)である。
大切に味わい尽くし、自分の一部としたい。

そのためにも、余白を下さい。