藤山直美さん!2010年07月02日 00:43

やれ腰痛だ心臓だと大騒ぎしつつも、6月は新橋演舞場に2回足を運んでしまった.
ドッコイと帰りがてら南インド料理屋で晩ご飯。以来体調がすこぶるよろしい。
「5種類(ちょっとずつ)のカレー定食」って、考えてみたら元はみんな漢方薬ミックスみたいなもんだもんね。

で、新橋演舞場である。
6月は「藤山寛美歿後20年、藤山直美1日に4演目に挑戦!」というとんでもない舞台だったのだ。マチネで「女房のえくぼ」と「幸助餅」、ソワレが「大人の童話」と、「丁稚の縁結び」。これがよかった!!
寛美さんの芝居の再現だとどうしても直美さんは女房役で
「アホが出来ない」
のである。泣いて笑って松竹新喜劇、しんみりさせる役目は大きいが、喜劇は笑わせてナンボである。
「丁稚の縁結び」の由松役では、はじけまくっていた。

3年前の実験作「スーパー喜劇狸御殿」を観るような思いがした。
映画「顔」も好きだし、このまま貴重な日本のコメディエンヌとして頑張って欲しいなあ、直美さん。
新・歌舞伎座が完成するまで3年は、歌舞伎も入っちゃう新橋演舞場だし、音響あんまり良くないけど、お父さんの定例7月公演が「七夕まつり」と言われたように「6月は紫陽花まつりとさせていただきとうございます。」って挨拶してたもんな。
来年も6月にまた行こう。
楽しみ、楽しみ。

おしどり2010年07月03日 00:59

友人F姉さんがおしどりの文様の粋な浴衣を買ったそうな。
「あー、おしどりね、昔の『5円切手』の・・・」
と瞬時に連想して、自分で自分をノックダウン。
7円の『金魚切手』も覚えております。

あー、馬齢を重ねてしまった、私。

子供のころシート切手のコレクションをくれた、祖父の後妻さんに感謝。
運が良ければ私からのハガキは川端龍子(りゅうし)先生の「愛染(あいぜん・紅葉水面おしどり図)」で届きます。
「1974年・題61回列国議会同盟会議記念(ってナニ?)」の。

私たぶん一生分の切手持ってます。なのにまた、季節の花や鳥の切手を郵便局で見かけると、きっと、「つい買っちゃう」のだ。

カンボジアの「田毎の月」2010年07月06日 00:50

母校の恩師が創立以来初の男性校長(それまではずっとシスター)を退任後、ご夫婦でカンボジアに移り住んで児童ボランティアをやっている。

で、同窓会でだれかがポツッと
「支援コンサートは出来ないかしら?」
と言ったのが、半年であれよあれよという間に実現して、おととい横浜のあるホールへ行ってきました。集まったのは250人くらいかな。
しかし、クラシックもあったけど、ほとんどがシャンソン、歌手7人というのはどうよ。(なんかシャンソン含有率高い学校だと思うわたし。)

同級生でピアニストになった子がいて、(48才で「子」もないが、卒業時点で時が止まっているから、やっぱり「子」で、名前はアダ名なんである)が、「田毎(たごと)の月」という曲を弾いた。
これは最終学年が体育祭で、運動着ではなく制服で踊るものすごく難しいダンスに使われている曲で、上は80,90から下は来年3月卒業生まで、ずーっと続いている伝統なので、拍手の嵐であった。
(まるで吉田秋生さんの「桜の園」みたいだわ。)

「田毎の月」というのは、棚田ひとつひとつに映る月のことである。
カンボジアもお米の国だけれど、きっと沢山「田毎の月」があるんだろうな。
U先生、お体にお気をつけて。カンボジアの子供たちによろしく。

夏前に2010年07月12日 22:59

「夏前バテ」とでもいうのだろうか、猛暑の後の梅雨寒で、涼しくて体は楽なはずなのにいうことをきかず、パソコン教室も歯医者もキャンセル、毎日の実家通いもできず、数日寝込んでしまった。
(選挙には杖を頼りに根性で行ったけど。)
せっかくの涼しい日々に、やらねばならぬ力仕事は山ほどあったのに、このあとの夏をすっ飛ばして秋までおあずけである。ああ、今年もこのパターン・・・。
だから片付かんのじゃ!(笑)

私の暮らす南関東では例年、5月に夏のような暑さがしばらくやって来て、梅雨に入ってから今度は涼しさが何日か来て、また蒸して、そこから夏の始まりである。
が。
もうそこで弱っちょろい体がついて行かない。
いわんや真夏においてをや。

昔は三宅島の別荘(江戸末期の古民家に手を加えた)に逃げ込んで、島全体を覆う緑の涼しさで夏をやり過ごしていたが、今、三宅島は噴火後の、土木の神の支配の元、照り返すコンクリでガチガチに堅められつつある。
「復興=土木工事(=金が動く)」なんである。ああ暑苦しい。

地球は温暖化が進んでいるし、あ〜ぁ、夏の逃げ場がどんどんなくなる〜(汗。)

芥川賞・直木賞と「チューハイ」2010年07月16日 00:25

今日も商工会議所でパソコン教室。
廊下に「映画のエキストラ募集。報酬は記念品。撮影が長くなったら弁当あり。原作:三浦しをん。」
って、女子校の後輩じゃんか〜!!
若くして直木賞とって、売れっ子で、よかったね〜。

今夜、夏の芥川・直木賞発表。
「わー、審査って、未だに築地の料亭で『文士さん』が集まって決めるんだー。」
と、いらんところで感動。
しかし、芥川は教科書で読んだけど、直木三十五はお目にかかったことのない私。「三十五」もそのまま「さんじゅうご」って読んでいいって知ったのはつい先日。

パソコン教室「Windows7初歩から入門」なので今日は「ローマ字入力にチャレンジ!キーに触れてみよう!」・・・「chu-hai・siharai・ryousyuusyo」「チューハイ・しはらい・りょうしゅうしょ」・・・誰だこの課題作ったヤツは!(笑)

東京會舘で落語会2010年07月19日 09:49

本日これより東京會舘へ、ランチ付き落語会へ行ってまいります。
常日ごろいろいろ良くしてくれるドッコイのために、お小遣いはたきました。
圓歌師匠と木久扇師匠なんだけど、このカードで「中沢家の人々」と「彦六伝」じゃなかったら、泣いちゃうよ、私。

大正解〜!!2010年07月19日 22:26

大爆笑の2時間でした!
圓歌師匠がかなり腰が弱っていらしたのが心配。
ご本人いわく「中沢家の人々」はフルでやると140分だそうで、何とかして記録に残してください師匠!DVD出たら私買いますから!
木久扇師匠の「彦六伝」は「選挙篇」で、これも「バスケットボール篇」「老人ホーム篇」などなど、全部集めるとどれだけになるんざんしょ。
母にお土産に「木久蔵ラーメン」を買って帰りました。

秋刀魚の夏バテ予報2010年07月22日 23:16

暑い〜!
夕刊を読んでいたら「東京の方が熱中病死が大阪より多いのは湿度のせい」とあった。5%くらい高いらしい。だからっていって、どうしろっちゅーのよ。
水に還元して打ち水したらいいのかしらん。
ここまで暑いとかえってムシムシすると思うけど。
本日東京35℃

今年は「エルニーニョ」の妹分「ラニーニャ」が南米海域で発生しているそうで、長期予報では
「秋まで暑いでしょう。」
なんだか「秋にさえなれば!」という気分を削がれるなあ。トホホ。

ああ、早く秋になって秋刀魚食べたい。
脂ののってる秋刀魚の見分け方は、エラの上の「肩が盛り上がっている」だけど、今年の秋刀魚はみんな夏バテしてやせてたらどうしよう。

凹む夏、凸る夏2010年07月23日 23:10

このところ歯医者をサボっている。
理由:暑すぎるから。
麻酔の後、帰り道で倒れて救急車で搬送された過去アリ、なんである。
我ながら弱っちょろいなあ。
しかし暦の上では「大暑」とはいえ、夏本番は8月に、手ぐすね引いて待っている。そのあと残暑も待ってるし。
今のうちに行っとかんといかんね。

市の商工会議所のパソコン教室、やっと初級編終わったのだが、これでホームページビルダーやお絵かきに行けると思ったら、中級編があるそうで、凹む。
とはいえ、海外出張族でいつ日本にいるかわからんドッコイと今までMac一本槍の私では、教え教わりようもなく、安さと地の利(バスターミナルから徒歩1分)で、ここで頑張るしかないか。

ドッコイの会社のボーナスが、やっと来週末くらいに出るらしい。
毎年夏も冬も遅いので、お中元・お歳暮に、やりくり算段苦労する。
今年も私がお中元たて替え。
父が生きていた頃に
「組合もない会社なんて辞めてしまえ!」
と(私が)言われたけど、高度経済成長時代のお父さん、それはムリというものです。
結婚当初のドッコイはヒラなので、残業と泊まり込みの日々で手当がでたけど、中途半端に出世すると逆にナニも出ません。
逆さに振ってもホコリも鼻血も出やしないのよ。8月ゴッソリ車検だし。
この夏もビンボウです。

「資格」というのではないけれど、高齢者の「傾聴ボランティア」の勉強をしたく、只今情報探し中。駅近くにあるらしい。
大正、昭和戦前・戦後・復興期の話題にゃ強いです、私。
(だてに明治40年生まれの養母持っとらんわ〜!)
あ、ちょっと凸ってきた(笑)。

今年2010年の夏も人生一回!
ウサは積極的に晴らし、動ける限りで頑張るぞ「私」。

「ヨコハマかけおちお嬢さん」2010年07月25日 01:59

彼女は横浜の高級住宅街山手の丘に住む社長令嬢だった。
といって、気取りはみじんもなく、いたって気さくな明るい性格で、背が高く美しいアルトの持ち主で、聖歌隊のスターだった。
音大進学希望だったので、世界史のクラスで一緒になり(1学年150人中たった5人)、私と仲良くなった。

長じて彼女は恋愛をした。相手は当時登場し始めた「コンピュータ関連の1人社長」さん(35位までに、人脈と自分より頭の切れる若手を養成しておかないと続かない)で、お父さんは大反対、
「横浜の土を踏んで結婚はさせん!」。
彼女は、(こういったところがハマっ子なのだが)
「では水の上で結婚式をあげます。」
と、横浜港の氷川丸で船上結婚式をあげて、友人一同の喝采を浴びつつ東京の下町にかけおちした。天晴れである。

めでたく子供もふたり授かり、夫の仕事も順調、お父さんのお怒りも解け、今は横浜に戻って暮らしている。

宝塚の天海祐希のファンで、私がポソッと
「安蘭けい、いいよね」と言ったら、雑誌「歌劇」「グラフ」などの切り抜きを大きな封筒いっぱい送ってくれた。

今日は横浜港にポルトガルの帆船が来ているというので、久々にドッコイと横浜へ行こうと思っていたら、さっき会社から「仕事(無給の休日出勤である)が終わらないので会社に泊まります。」と電話があり、あー残念。
ふっとあの天晴れな「かけおちお嬢さん」のことを思い出した次第である。
ドッコイはお疲れさま、帆船は残念だが、ネタいっこもうけた私(笑)。