暑くなって参りました〜。2010年06月22日 23:36

ので、涼しい、というより寒い季節の話をば。
前ふりとして「帰ってきた抜刀質店質店」の昔の文章を載せておきます。

2000/3
納涼前夜「ドカジャン・クギつき50円」
   
冬場のバイクがやっかいなのは、四輪と違って体むきだしなのでべらぼーに冷えることですな。
スクーターといえども5〜60キロは出るし、連日通っていた病院は山ン中で朝夕えらい冷え込むしで、1シーズン分多めに着込まないと体感温度はもう氷点下。
結局この冬はずっと、持ってる中で一番厚いダウンコートを着たきりスズメで通しました。
いくらぞろっぺえなわたしでも、ひと冬同じコートというのは初めて・・・・
と思いかけて、ちょっと待て。
遙か昔、ドカジャン一丁で過ごした冬があったわ。
(ドカジャンってのはつまり、あー、工事現場でよく見かけるアレです。 カーキ色ナイロン地・焦げ茶のボア付き綿入れハーフコート。 黄色いヘルメットと安全靴のよく似合う。)

場所は「学校」とは名ばかりの山賊の巣。
ここをおん出るには「卒業制作」というのを提出しなければならず、わたしたち最終学年のメンバーは連日アトリエに泊まり込み状態。(だからもっと早くに準備しとけってば・・・・)
真冬の多摩丘陵、コンクリむき出しのガランとしたアトリエは3階分の高さの天窓からすきま風吹き下ろし放題で、その対抗策と言えば旧式の石油ストーブがたった一個きり。
それでも泊まり込んでる人間ひとりの発する熱量は600ワットの電気ストーブに相当するそうなんですが、いかんせん我らが日本画研究室は、古風な芸風(?)が仇してか定員割れ寸前の人口密度の低さ。
明け方には筆洗いの水も凍る寒さときたもんだ。
そんなある日。
超人気クラス・デザイン専攻Tゼミの3年生・某R君と廊下でばったり出くわしたと思いねえ。
学内指折りの美丈夫(スタートレックのスポックさん+若い頃のにしきのあきら似・・・おぉ!)で三高(背が高い・エンゲル係数高い・学内の男子学生にもてる度高い)の彼は、実に暖かそうなドカジャンを着ているのでありました。
「R君、いいね〜、それ。」
「あ〜、よかったら売るッスよ。」
「は?」
「いや、オレ今日昼飯代足りないから。(さすがウチの学生じゃ!)50円でどうッスか?」
「おっしゃぁ、買った!」
ここで“50円=なんかアヤシイ”と知恵が回んないとこがビンボ学生の哀しさよ。なんせこっちとら卒業制作の絵の具代で、1日300円生活が続いていたゆえ。「でもそれ脱いじゃったら、セーターだけでR君寒くない?」
「ウチのゼミ人数多いから暖かいし。 帰りはセーターの下に新聞紙着てくから平気。」
「あ、そー。」
・・・・って、納得すなっ自分!
というか、“学生が新聞紙着てるのがあたりまえ”だった我が母校!
その場で美丈夫R君からドカジャンをひっぺがし、ぬくぬくと着込んだわたしでありました。

ところが。
2〜3日着ているとなんか裾まわりがゴソゴソする。
調べたらポケットに穴が開いていて、そこからクギが十数本と十円玉がころがり出てきたじゃありませんか。
「・・・・あのさ、R君これ・・・・」
「あ、捨ててあったの拾ったやつだから。」
「捨ててあったって、ど、どこに。」
「夜中のビル工事現場の、積んであったコンクリ袋の上。」
「そらアンタ、『捨ててあった』んじゃなくて『置き忘れ』じゃろがっ!!
なんで内ポケットにオレンジ色の刺繍で『高橋』って名前が入っとるんじゃあぁ〜っ!!今すぐ元の場所に戻してこんかいっ!!」
「だって、もうとっくに建っちゃったッスよ、ビル。」
「・・・・・・・・・・」
「拾った場所今カレー屋になってるけど、置いて来ますか店先に。」
「・・・・・・・」
「着ないスか?」
「・・・・・・・・・・・・・んにゃ、着る。(寒いから)」
『高橋さん』ごめんなさい。
ドカジャンひと冬着倒して、わたし卒業制作できました。

で、卒業制作提出し終えて廊下をテケテケ歩いていると出っくわしたのは、同級生で留年決定のK君。
「いいなあ、そのドカジャン。」
「・・・・いる?」
「欲しいけど金ない。 30円しか。」
「あんたの留年記念に負けたげようじゃないの。」
「ホントにいいの? やったあ!」
「クギもついてるけど、オマケにいる?」
「うん、もらう。」
さらに半年後、卒業証書をもらいに学校に行ってみると。
(3月1日から働いてたので、卒業式には出なかったんですわ。)
あのドカジャンは留年2年目・抽象芸術SゼミのT先輩が着ているじゃありませんか。
値段は自販機のコーヒー1杯だったそうな。(もちろん、クギつき。)
ビンボな学内をグルグルと売られて買われて、ドカジャンは回り続けているのでありました。(クギつきで。)
今ごろどうしているのかしらん。
そして、『高橋さん』は、お元気かしらん。