ヒロポンが合法だったころ2015年11月11日 17:54

父も薬局で買って徹夜勉強、肝心要の会場で爆睡こいてしまい、「あんなもんやくにたたん!」と後年言っていました。
ちなみに戦中の軍事雑誌を読むと、各種覚醒剤の広告の山でございます。
ヒロポン打って知覧から飛び立ったのか、片道燃料で爆薬積んで・・・・

手術・書類の山2015年10月02日 08:18

しかし、入院・手術となるとなんでこんなにたくさんの書類にサイン・ハンコが必要なのだろう。手術前に一山、直前に
「手術着使用書類」にまでまたサイン2枚である。
私、ドッコイ氏や自分がそんな身になったら、とてもついていけないわ。
ボケ老人になっちゃっていたりしたらどうしよう。

身の振りようもない(苦笑)

義母がガンだあ!2015年10月01日 07:23

3週間前から急に食欲がなくなって食べられなくなってしまった義母、なんとガンだった。
胃の出口(幽門)が急にふくれあがったがん細胞でふさがれてしまい、食べても十二指腸に消化物がいかないという。
で、入院して手術。
といっても心臓は悪いは、脳は萎縮しているはで全身麻酔で切って取り出すわけにも行かず、内視鏡手術に。
「ステント」という、幽門に固定したらぽーんと広がるパイプでガン細胞を押しのけ、幽門を押し広げる、というもの。
で、手術のため今長野にいる。寒い(笑)。

おどろいたのは入院手術に必要な書類・ハンコの多さ。
手術着1枚使うにも書類にサインである。
私、後家さんになったら、病院で死ぬ覚悟できないわ。

おとつい血を吐いたそうで、まだしばらくは目が離せないけれど、
とにかく昨日手術は成功。

ドッコイ氏、ごくろうさまでした。

お引っ越し2015年07月28日 02:45

お~わ~っ~た~!

お引っ越し大作戦2015年07月26日 12:58

さて、信州の義母のお引っ越しである。
私のパートは前半、病院に連れて行って健康診断書を取る、老人ホームにいって説明を受け、契約、費用振り込みように義母を指定信金に連れて行って口座開設、観葉植物の解約、必要品の買い出し、などであった。終わって帰って来て我が母芳子さんとタッチ交代、引っ越しの作業には杖突きは邪魔になるだけなので、ドッコイ氏と芳子さんとで荷物を整理梱包、新しいホームで荷解きをする。
引っ越しは明日である。

義母、則子さんはびっくりするに違いない、なにしろ新しい部屋は、天井が高く、広く、窓の外には一面の田んぼと山並みが広がって(いままではとなりのビルしかみえなかった)どこまでも広く、広く、広いのだ。とびっきりいい部屋が当たった。
今までのホームがリハビリに消極的(悪くいえばほったらかし)だったのに対して、説明では、機能回復に向けてプランももう立てられている。(そこらへんの素早さ、さすがプロである)
今までのホームではそういったことが一切なかった。1年7ヶ月、個室に閉じ込めておく監獄のような生活に、義母はよくぞ耐えてくれたと思うし、そんな無責任なホームに対する怒りもあるが、今は新しい、希望のある生活に期待をかけるのみ。

とにかく大変なのは行ったきり、働きっぱなしのドッコイ氏である。
実家はもう風呂場が使えないので(なんと庭に風呂小屋が立っている典型的田舎家屋)、公衆浴場(井戸を掘ったらお湯が出たので、市が温水プールと浴場にした)にでも行って、疲れを流して下さい。

義母の老人ホーム2015年07月21日 07:07

義母の暮らす老人ホームは駅から徒歩5分の所にある。しかし、それだけだ。箱物としては小さく、3階建て、庭無し、低い廊下に各室の扉が並び、ちょっと刑務所のような印象を受ける。
義母は毎日個室でテレビに向かい、この1年半でずいぶん小さくなった。
声もひっそり、ひそひそ声で話す。
洗濯は福祉を使い「洗剤は切らさないよう補充して下さい」、「病院へは親族が連れて行って下さい」「何か起きてからでは遅いのでそちらの責任でやって下さい」、と万事事なかれ主義である。
2ヶ月に一度の高地の病院通いに、仕事やすみをとり、それでも間に合わないときは85歳になる私の母が東京から電車に乗って長野に行ってつきそっていた。
2科、採血して、血圧と脈を測って、胸を開いて、いつもの薬をもらう、だけにである。
1日かかる。

特別養護老人ホームの300人待ちの順番が来て、少し駅から離れたところへ行って来た。

内装は木造平面建て、天井が高く採光窓があり、開放感ある定員80人施設の、広さはひ一人あたり6畳から8畳になる。
10人ごとに生活ブースがあり、そこで毎食ご飯を炊き、みそ汁を温め、食事を摂る。
高い天井、坪庭、一日一度の体操タイムの広いスペース。
クラブ活動で書道や読書、手芸(義母は書道で雅号を持っている)。
医師は契約しており週3日訪問し、看護師が5人いる。
もう真冬に車椅子で寒い思いをして(本州一寒い)1日がかりで通院しなくて良い。
春はお花見、秋は紅葉狩り夏祭り。にぎり寿司の日もあるという給食システム。
それらが、約1万円の差額で手に入る。

ずいぶん中味に差があるモノだが、行ってみないとわからないものだ。
私は子がいない。親戚も、私の代には絶える。
足腰が利かなくなったら、自分の老後のためにここまで動けるかなと思う。

「土大根(つちおおね)」父の宿題2014年01月10日 23:36

父は博識だった。
「大根が好きで朝な夕なと食べている侍の戦の時に、ふたり見味方が来る『何者じゃ』と
訊ねると『日ごとお世話になりにし土大根にて候』と言って勝つと消えてしまう」これが長いこと謎だったが、インターネットの世界というのは便利なものだ。

【徒然草 第六十八段

 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。
 或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追い返してげり。いと不思議に覚えて、「日比ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候う」と言ひて、失せにけり。
 深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。】

と「土大根」で引いたらポンと出てきた。たぶん父の時代の参考書ではそう訳されていたのだろう。
大根といっても冬の七草の「すずしろ」サイズだったと思うのだが、これで図書館に行って誤字、誤訳がなければハイ解決。(最後は書籍文献による。)
父の残した謎が、やっとひとつ解けた。
「論語」の最初は7歳の時に毎晩教わって、「陶淵明・帰去来」は大人になって自力でなんとか読んだけれども、連歌(れんが)・武玉川(むたまがわ)・漢詩、父の残した宿題は山のようにあるんだな、これが。
ふうぅ~~~

転ばぬ先の2013年10月26日 16:03

いちばん恐れていたことが起きてしまった。
お義母さん「痛みは昨日と変わりないが、念のため検査…」

結果「第3腰椎圧迫骨折・1ヶ月病院で寝たきり様子見」

2~30センチの尻もちで、である。手術のしようはあるが、心筋症に全身麻酔が耐えられるか…
この「寝たきり1ヶ月」が精神上何を起こすか、一番よく知っているのは私。
養母の介護とほぼ同じケースである。
ただ、お義母さんはまだ認知症は起こしていないので、それが望みの綱なのだが。

老人ホーム入居も、固まりかけていたのだが延長。
左手がきかないお義母さんに残されたのは右手の力なのだが。
それすら、この1ヶ月で、「雅号を持っている」とは信じられないほどサインの筆圧が弱くなっている。

その身のつらさ、これからの困難を思い、不覚にも、事実を告げるドッコイ氏の前で泣いてしまった。
いつもは励まし役が私の立ち場なのだが。

人は5ミリの段差に転ぶ。
中途半端な尻もちが、その後の人生を左右する。

確かに「転ばぬ先の杖」は必要なのだ。

フレンチ・ブルー2013年10月21日 19:43

今現在、ドッコイ氏のお里、長野。
実は長野でフランス車の祭典「フレンチ・ブルー」という日本のフランス車ユーザーの大会(大使のメッセージが来る公式行事)があるのだ。
というか、いまこれを書いている日が前夜祭。
明日が本祭。ルノー、プジョー、シトロエン、三社の車愛好家が全国から集う。
テント村でフレンチレストランのちょっとしたチーズの詰め合わせやジャンボン(ハム)のサンドウィッチ、かたくなったフランスパンをくりぬいてシチューを注いだり、デザートを食べたり…いかんいかん、露店の美味ばかり書いとるな、むこうの洒落たアクセサリーやグッズ、最後にはもう製造していない車の、パーツ別に「一台まるっぱぎ?大会」なんてのもあったりする。
霧の漂う車山高原で、フランス車大好きな「もとオトコの子の」大人たちとその家族が集う、年に一度のお祭り。

介護の記録2013年09月09日 01:44

いやはや、くたびれ果てました。今日も夕方まで眠っておりましたよ。
ただもう、冬になると雪こそ降らねど本州一寒さの厳しいところなので、(だから特産品がフリーズドライの寒天と高野豆腐)老人ホームへの移転に、ちょっとあせっております。
10月中旬には、なんとかしないとね。
義父はほんとにアッサリ・ポックリでしたので、長期介護は、完全に認知症で医師から「家に帰してはいけない」と宣言された養母以来。
6人の親を持ち4人送った私も、今回は初めてのケースです。
幸い介護認定が「3」なので、その枠で、一番いい形をドッコイ氏と探していきます。

とうぶん介護ネタが続きそうなこの日記、読んでアドバイスになってくれる人、いるかな。
とりあえず私は、30代初めの「養母騒動渦中」の自分に、読ませてやりたいです。

認知症が進んでしまえば、たとえば養母は「手のさわり方が気にくわない」といって、ビンタ11連発の現実もあるって…手加減なしだから、90代とはいえ全力は痛いのよ。
次の瞬間、ビンタは忘れて
「おや、ほっぺたが赤いね、どうしたんだい?」
「外は寒い(冬)からね。」
ってのが日常でしたから。

「親の老いと向かい合う」
これはケースバイケースで、とても難しい。
老いを看取るということは、ある意味「その人の人生総決算を追体験すること」です。
6人の親を持ちましたが、私に残されたのは、義母と実母。
認知症の気配はまるでありません。
年下の義母の介護が先になってしまいました。
今後の日記は、このモンダイが多く取り上げられる事になると思います。

お付き合いいただければ幸いです。
(でもバカッパナシも延々続くので、そこんとこ、ヨロシクです・笑)