真夜中におまわりさん騒動2015年11月21日 02:04

「風切り羽」でGoogle画像検索すると。ガムテープで口を塞がれた少女のアップが出てくる。
真夜中にビックリして警察に通報したら映画「風切羽」の予告カットだった。
まぎらわしい!というか、先日の「首を絞めたかった犯罪」みたいに予備軍を産まんものか。不安・・・
で、発見するなり110番通報して、近所の交番のおまわりさんに見てもらった。
事件性はゼロと言うことで一件落着。
夜中の1時過ぎ。
おまわりさん、ご苦労さま。

今こそ読もう「村山談話 全文」2015年08月12日 00:55

現職首相が当初
「もう70年の節目だから、おわびも反省も盛り込むつもりはない」
としていた14日の「談話」。

世界から、国内の有識者から、そしてなにより日本国民から非難を浴びて、あとからあわてて
「おわび」「植民地支配」「反省」と言った言葉を「つけたそう」としています。
泥縄ちゅーんじゃ、そーゆーの!(苦笑)

でも結局は、戦後の節目50周年にして初めて「談話」という形で世界にアピールした「村山談話」(村山富市・社会党)に限りなく近づく可能性はあります。

当初から「心に思っていなかったこと」を、周囲からの働きかけで

「とりあえず述べる」

わけですな。
どこまでたかをくくったトラウマお坊ちゃまなんだ、安倍晋三!
連日子供部屋の窓から聞こえる「安保反対」のデモ隊のシュプレヒコールに
「僕の大好きな岸信介おじいさまが『国民』にいじめられている。
おじいさまは立派な首相なのに!」という原体験。


歴史的評価の高い「村山談話」の全文を載せます。
一読の価値があります。一人の首相が「50年間の沈黙」をやぶり
初めて日本国代表として心情を述べた、
胸に迫る、切実な言葉がここに「生きて」います。

今、私たちは「村山談話」を改めて読む必要があります。



「先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

村山総理大臣談話 / 平成7年」

今日で4年目2015年03月11日 01:24

みんな忘れちゃいけない「3.11『東日本大震災』のこと」を。

五千万円の”バチ当り”~~~!年末ジャンボ…♪2013年12月17日 21:15

猪瀬直樹都知事の「五千万円不正献金疑惑」で今日も沸いている議会である。
この年の瀬に、あーだこーだ、おおごとである。
年末ジャンボがこれだけ賑わっているおり、「政治の暗部」もギャンブルにならんもんか。
「♪さっいまっつジャンボ~♪汚職くじ~♪出ましたッ!
今年も出ました5千万円ッ!!
5千万円の”バチ当り~~~~”!!!」
ものすごいカーチェイスで猪瀬直樹都知事を追い詰め、(ここらへん「西部警察ね」)
「警部!こんなに汚職の現金が…っ!」
「市井の人々に還元だっ!
今年も出ました五千万円の”バチ当り”~~~!歳末ジャンボッ、汚職クジ~♪part2はT○会だよっ!」

けっこう当たる率高いと思うんだけど。

書きたいもの、書くべきもの2013年11月22日 23:13

やっと、自分が書きたいもの、自分しか書けない物がが分った。「近代日本画」画壇史と戦争下の父母の体験、キノコ雲を観た養母のこと。これは私にしか書けない。形にしなくては…

まっぴらだ!2013年05月12日 21:38

「980円のプ○センタでここまでちがうのか。」という広告を、無料サイトのPR欄でよく見かけるようになった。
モデルの顔ががふたり並んでいる。ひとりはピチピチ、ひとりは(同い年だとしたら)老け顔である。
しかし、ね、モデル同一人物をメイクの力でここまで変えたならスゴイけど、別人だったら、あたしゃ怒るよ。
方や都会のなんにもしない奥様顔、もう一方は農業や漁業で自然の中で生きてきた働き者の顔じゃないのか?
働く女の美しさを卑下する広告なんてまっぴらだね!

日曜日・ぼんやり2013年04月14日 18:29

夫・ドッコイ氏は英語検定でお出かけ、留守番ボ~。実際に彼はオーストリア大陸以外は全部旅し、どこの国でも1週間で現地語をマスターし、世界のあちこち(僻地)で英語でしゃべったり書いたりしまくっているのに、それでもまだ「点数」って必要なのかなあ…ビジネス社会の不思議。

半世紀2012年05月09日 22:02

ドッコイ氏が今日50歳になった。
ということは、4日後に私も50である。
これからは映画館の「夫婦割引」もJRの「大人の休日倶楽部」もOKである。
「人生7掛け論」じゃないが、子供の頃に抱いていた「50歳」とは手応えがまったく違う。
おまけに私は養母の介護やら・鬱病やら・脳炎やら・事故で頭打って記憶喪失1年やら、なんやらかんやらかしていて、「生きた手応え」が十年くらい欠落しているので、自分で考えるとまだ「30代」の実感である。
もちろん、携帯でメール送れないし、近頃のお若い方がお使いになる文庫版サイズのパソコンのよーなものを使えたりはしないけどね。
(すまんな、絵描きなんで親指がヤワなんだ・笑)
「半世紀生きる」というのは言葉にすると重いが、振り返ってみれば「いろいろ楽しいエピソードの積み重ね」である。
人間の脳は「辛い記憶」を忘れたり薄めたりして、その分、「楽しい・面白いエピソードをふくらませる」自浄力がある。(正式な医学用語で何と言うかは失念してしまったが)
あと4日で私は「半世紀生きるって楽しいなー♪」と実感するのだろう。
そして82年生きた母・芳子さんと、夕食の後にまた「女学生の頃のおてんば話」などするのだろう。
体験は濃縮されて経験となり輝く。
「アンチエイジング」なんていうけれど、生きて日々を積み重ねていくことは、とにかく楽しい。

強姦2011年12月20日 02:59

されそうになったことがある。真っ昼間である。とっさに学生カバン(中に辞書が4冊入っていて15キロくらいある)をブン回したら相手の横ッ面にヒットして、難を逃れた。
私はまだ15~6歳だった。
運良くカバンを振り回すスペースがあったから助かったものの、本当に強姦されてしまっていたら私の後の人生観はまるで違ったものになったしまっていたと思う。

ニュースは消えてゆくものだから、しばらくここにつなぎ止めておきます。

【時事通信】 韓国の季明博大統領は18日の野田佳彦首相との会談で、ソウルの日本大使館の前に元従軍慰安婦を象徴する少女像が設置されたことについて「日本政府がもう少し(慰安婦問題に)関心を見せてくれれば起こらなかった」と指摘した。
その上で「誠意ある措置がなければ、第2、第3の像が建つ」と警告した。
韓国大統領府が明らかにした。(以上)

従軍慰安婦に関する記事をもうひとつ

【毎日JP】質問なるほドリ

質問なるほドリ;慰安婦問題を首脳会談で韓国が取り上げたのはなぜ?=回答・西田新一郎

なるほドリ 韓国の季明博(イミョンバク)大統領が野田佳彦首相殿会談で、旧日本軍の慰安婦問題の解決を求めたね。

記者 大統領は就任以降、表だって慰安婦問題を取り上げてきませんでした。しかし、今回の首脳会談では「両国関係に障害物になっている従軍慰安婦問題を優先的に解決しなければならない」と訴えました。

Q なぜ今回取り上げたの。

A 韓国の憲法裁判所が今年8月、「韓国政府が元慰安婦の賠償請求権問題の解決に向け努力していないのは元慰安婦の人権を侵害していて、憲法違反だ」という判断を示しました。判断の後、韓国側は日韓外相会談などでこの問題を取り上げ、日本政府に応対を求めてきました。しかし、日本政府が応じる姿勢を示していないからだとみられます。

Q 日本政府はなぜ応じないの。

A 日本と韓国が国交を正常化した65年の日韓基本条約に伴う協定で両国間の請求検問題は「完全かつ最終的に解決された」と確認しているからです。ただ、実際に慰安婦問題が注目されるようになったのは90年代初頭からです。韓国側は、国交正常化交渉の時点で議論されなかったことから、慰安婦問題は協定の対象に含まれていないと主張しています。

Q 日本は慰安婦問題で謝罪をしていなかったっけ。

A 93年に当時の河野洋平官房長官が談話を出し、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」とし、お詫びと反省の気持ちを示しました。その上で、道義的責任を果たすために国民からの寄付金と政府が事業資金を拠出する形で95年に財団法人「女性のためのアジア国民年金(アジア女性基金)」(07年に解散)を作り、償い金や歴代首相「おびの手紙」を送りました。

Q 韓国では受け入れられなかったということなの。

A 韓国では償い金などを受け取らなかった人が多かったといいます。日本政府が改めて謝罪と賠償をすることを求めているようです。

Q 接点が見当たらないね.

A 民主党の前原誠司政調会長が10月に訪韓した際、アジア女性基金にも触れながら「人道的見地から考える余地がないか」などと述べました。しかし日本政府は否定的で、新たな措置を取ることは難しい状況です。慰安婦問題は当面日韓関係をぎくしゃくさせそうです。(政治部)

(以上)

(蛇足だが1965年といえば韓国はまだ朴大統領の独裁政権で、戒厳令が敷かれ、夜は11時を過ぎると人っ子ひとり出歩けず、民主主義の波もまだ起きていない、無茶苦茶な時代である。)

昔、日本が戦争に負けて進駐軍が日本にやってきたとき、やはり慰安婦として「パンパンガール」という存在があった。
学生時代の母がこのパンパンガール狩りにあって駅前で無理矢理トラックに乗せられ
「私、女子師範の学生なんですけどー!」
と必死に叫んで降ろされた、あとの若い女性たちはどこへ連れて行かれてしまったのか。
自分から、生きていくためにパンパンガールになる女性もいたし(DVD「浮雲」・主演高峰秀子・傑作である)私が5~6歳の頃、上の世代は
「ヘイ、ミスター、ナイスガールいるよ、ファックOK、カモンカモン!」
などという女衒(ぜげん)の言葉を、どこで聞いたか訳も分らず使っていた。


アメリカ軍の(下請けだろうが、とはいえ)駅前トラックホイホイ乗せも荒っぽいが、日本軍は「まかないの仕事だから」とだましたり、家族の強制連行をほのめかしたり、ねちっこい手を使った。
当たり前である、儒教の韓国で進んで慰安婦になりたいものなぞ、いない。
江戸屋猫八さんだったか、軍隊経験のあるタレントさんが、インタビューで
「小屋のね、前にもうズラ~と列になって待ってるわけですよ、兵隊が。手にはコンドームね、『突撃一号』といってね。」
と悲惨さを語っていたな。

もしも母があのときトラックから降りられなかったら、私はもっとずっと早く産まれ、肌の色は白かったり黒っぽかったり、髪の色は栗色だったり黒いチリチリだった可能性がある。
間一髪で逃れた母はめでたく「小学校の先生」になったが、教え子に肌の色の違う子や髪の色が違う子がいて、周囲から差別されないように気を遣ったという。

儒教の国だから言い出せない恥、独裁政権だから言い出せない言論の不自由、「ハードル」はしつこく、高く、幾つもあったはずである。

『女性の人権』という観点から見れば、従軍慰安婦問題はまだ解決していないし、第2、第3の少女像が建ってもおかしくはないのではないかと私は思う。

(あ~、手書き写しは疲れた~・苦笑)

おかね2011年12月02日 23:01

おかねは借りるもんではなく、貸すもんでもない。
「借りて不仲になるよりも、いつもニコニコ現金払い」
をもじって、
「貸して不仲になるよりも、いつもニコニコ門前払い」
というジョークがあるくらいである。

昔の人はよく言ったモンで
「借りるときはえびす顔、返すときは閻魔顔」
ということわざもある。なるほど、貸してもらうときは「ああ助かった」と笑みもこぼれようが、返すとなると工面をつけてのやりくり算段、表情も渋くなろうというものだ。

もう最初から、絶対に返ってこない借金というものもある。
昔の知り合いRちゃんはオートレースの選手に入れ込んでふだんから貢いでいるようだったが、彼が公道で人身事故を起こして、よりにもよってプロのくせに保険に入っていなくて、
「今日中に500万円作れなければ彼は刑務所行き」
という状況に陥って、知り合い先輩みんなに借りまくって、風のように姿を消した。

久世光彦は「向田邦子との20年」の中で、脚本家として駆け出しでまだ収入の少なかった頃の向田邦子の事を
「天から降ってくるお金は大切に使ったが、決して地面にかがんでまでお金を拾おうとはしなかった。」
と書いている。天から降ってくるお金は「堂々の報酬」だが、地面から拾うお金は「しょせん他人のもの」である。

お金は立て替えるものでもない。
かつて私は友人のお祝い事に「4人でまとめて1本(1万)包もう」と言い出しっぺをしたのだが、あとで払ってくれたのはひとりきり、のこりののふたりからは忘れられてしまっている。
それはそれでいいと思う。その程度のことなのだろうから。払わなかった人はすっかり忘れているし、額もたいしたものではなく、この年でいい勉強をさせてもらった、という感じである。
むしろ、それまでが世間に対して不勉強だった。
「スマートに催促するタイミング」を逃してしまった、そのあとも不遇にして催促する機会がなかった、それだけのことである。
ただ、もう私は、冠婚葬祭のドッコイ氏を除いて、誰とも連名ではおかねを包まない。それだけである。

ずっと昔、まだ貧しい頃(といって今が裕福なのでもないが)いちどだけ、おかねをあげたことがある。
相手はドッコイ氏である。急な引っ越しで始まった、養母とそのパートナーあわせてふたり分の介護と、おかね目当ての親戚のゴタゴタと、その合間を縫ってする仕事と、鬱病の発症で、私は彼を置き去りにしてしまった。
やけにたばこ臭く帰りが遅いのも「連日煙草を吸う人達との会議で遅いのかな」と、おめでたく思っていたら、会社近くの金融業各社から(リストに載ったらしい)「お金すぐ貸します」のはがきがジャンジャン舞い込むようになって、やっと気付いた。
たばこ臭いのも遅いのも、ギャンブルゆえであった。
今まで絵や漫画を描いて少しずつ原稿料を貯めていた通帳を崩し、
「いい?この魔法は一度だけしか使えないからね。」
と、彼を銀行に送り出す、その背中を眺めている私の顔は、たぶん「泣いた閻魔さま」のようだったと思う。

と、いうわけで、我が家では「無いおかねは使わない」ことにしている。
今度の引っ越し先も、ローンを組まずに即金で買った。(古い分譲団地だからとても安い。)
実家から徒歩5分。老後を助けると言う名目で、母からはいくばくか「おかねをもらった」。

おかねはきれいに使うのが一番である。
なければ使わないのがよろしい。