今だからもう一度言うぞ、女性有権者たちよ!2020年04月06日 02:25

 日本の女性が投票する権利、すなわち「有権者としての権利」を獲得したのは、やっと戦後のことである。(アメリカは今年婦人参政権百周年にあたる)
 昭和20年8月に、あの愚かしい「太平洋戦争」が終結するまで、日本女性は「B級国民」だった。
「産めよ増やせよ」で、玉砕や空襲でどんどん減っちゃう日本の人口を、子供いっぱい産んで育てなさい、それが日本女性の勤めですと、国家から言われたもんだ。
 投票権もないし、夫婦の浮気だって、男はお妾さん(愛人)を持つのが「男の甲斐性」ともてはやされ、女の浮気や、家が決めた夫婦関係から目覚めた自由恋愛は、刑法で「姦通罪」に問われた。
 財産の相続も、当然女性に不利だったし、子供を抱えて未亡人(古い言葉だねこれも…「未だ亡くならない人」だってよ)になった場合、「家を継ぐために弟と結婚しろ、イヤなら子供をおいて実家に帰り『出戻り』として人生再スタートしろ」と舅・姑から宣言されたものだ。

 私の祖母、杉浦静は、平和主義者で平等主義者だったので、戦中、人口密集地「東京下町の商店街のおかみさん」だったのが、地域に乱れを起こさないための見せしめとして「天皇陛下の名の下に」特高警察に「非国民」の烙印を押され、追われて、死んだ。

 戦後の償いなど何もない。女であるから、非国民だから、平和主義者は、殺されてもその無念を歴史に刻まれることはなかった。

 私は、そんな祖母のひとり息子の父と、戦前東京23区の、めずらしく土地持ちの裕福な家に育ち、間引き疎開から焼け出されては転居すること3回、しまいにはもう住むところがなくて「焼け残った銭湯の石炭小屋」で両親兄弟肩寄せ合って生き延びた母によって、育てられた。
 だから、新聞やニュースによる情報を積極的に取り入れ、投票日には投票所へ行くふたりの背中を、当たり前に見て育った。

 しかし。ビックリしたのだが。同世代、後輩、投票には「当たり前に行かない」者が大多数だったのである。

 私が働いた少女漫画家のスタジオでは「投票日は遅刻・中抜けを認めます、さあ投票所に行ってらっしゃい!」という、優れたジェンダー学者でもある漫画家「ぬまじりよしみ」さんによって、投票は励行されていた。
(その頃少女漫画家大御所のスタジオは「1ヶ月タコ部屋」が当たり前で、「少女漫画家志望者」のアシスタントたちは「投票?何それ?」状態でハイティーンからミドルティーンまでを過ごしているのが現状だった。当時の少女漫画家及び予備軍は、大いなる「ノンポリ集団」であった)

 しかし「さあ、投票に行ってらっしゃい」というスタジオでサブアシスタントのSちゃんは、絶対行こうとしなかった。
「だって、私の一票なんかで、日本という国が変わるはずないもの」というのが、彼女の主張だった。それならば日銭稼いだ方がいいと。
 彼女は「胎内被曝2世」で被爆者手帳を持っていた。
「大いなる諦め」がそこにはあり、周囲も何も言えなかった。
彼女(大学の後輩だったのだが)は6年生になって、他の単位は足りているのに卒業論文を書こうとせず、中退した。
「奨学金」を踏み倒そうとした彼女に、後に夫となる婚約者が
「きれいな身になって、結婚しようね。どんな貧しい式でもかまわないから、ね」
と言ってくれ、奨学金を精算させたのはアッパレだった。
私はせめてもの結婚祝いに、と、地方の式場で「司会」を務めた。

 Sちゃんの夫は故郷の企業に勤めた。そこは地元の代議士さんと密接に結びついている、社長にお中元・お歳暮を貢いで当たり前、という前時代的なところであった。
 企業の「夏祭り」「代議士先生を囲む婦人の会」ともなると、美人で声が綺麗で人当たりの良いSちゃんには動員がかかり、ハイハイと出かけていって社長や先生のお隣で写真に納まり返らなければ、有能な夫といえどもクビである。
 その後夫は思うところあってその会社を辞め、今単身赴任、Sちゃんはしゃかりきに働いて娘3人を育て上げ、長女を東京の国立ナンバーワン大学に進学させて、さて、投票に行っているのかいないのか?

 「投票は国民の『権利』」というのは、国家の上成す者の立場から言って、である。
国民にとっては「投票は『国民同士の義務』」であり、それを「積極的に棄権」ではなく「なんとなく、なんとかなるだろうから、自分の票なんか『焼け石に水さ…』とほざいて放棄する者」は、国民として裏切り者である。国民としての「つとめ」を勝手に捨てて、それでも「日本国民でございます」とパスポート取って海外へ旅行して「イエス、アイアム、ジャパニーズ」とか言っている。お気楽なもんである。

 漫画家「ぬまじりよしみ」さんはアッパレだった。あるお昼時間、談笑タイムになって、Sちゃんが
「でも、しょせん今の政府は…」
と言いかけたとき
「お黙んなさい。投票に行かないあなたに、今の政府を云々する権利はないわ」
と断言したのである。(「ぬまじりよしみ」さんに関してはWikipediaやmixiなどでも取り上げられ、今現在Amazonで著作物の多くが入手可能なので、興味ある方はお調べ下さい)

 後に私は(プロだけど)アマチュア活動や、そのファンの女の子達の集団に「おばちゃんだけど、ごめんなさい混ぜてね」と参加するようになった時期がある。
 そこで、お茶会や飲み会の席で(なんせ雰囲気を読んでさりげなく主張するのは小学校から万年クラス委員長だった者の才覚であるので)
「女性こそ投票に行きましょうよ、どこの政党支持でもいいの、国民として投票所に足を運びましょう!」
と年下のお嬢さん(とはいえハタチ過ぎ)に啓蒙運動をしたわけだが。

「生まれて初めて投票所行きましたー!」
「それはエライエライ!」
「で、カッコいいから〇〇に投票しました、だって美人だし頭良さそうだし!」
「(オイオイ、それは極右の女だぞー!)」
「スクールドラマが好きだったんで、元女優の〇〇に投票しました、だって『スケバン役』だったから世の中斜めに見ることができるんじゃないかなーって!」
「(それは大きな右政党の『情婦役』だぞ、玄関先でチンピラに『おだまり!』って言うときのドスが効いているんだー)」

 でも、新聞読まないから選挙公報も目にしない、NHKの立候補演説もテレビ見ないで、スマホで、イイトコ取りの情報しか「つまみ読み」しなくて、それで
「社会全般に私は関わっている、ああ、私ってイイ女性日本国民!」
って、世間に知ったかぶりこいている女の子(もはや年は「子」どころではないが、いつまでたっても「私は女の子」のままである)に、
「いやいや、もっと深く世の中を知ろうとしたら、だね…」
とその先を示そうにも、
「貧乏子だくさんで、新聞代も受信料も払えません、私の世界はスマホとウワサ話だけです!」
と開き直られてしまう。やれやれ…

携帯大手が料金3ヶ月延滞を認めたのは、コロナショックで「情報遮断された愚衆」が暴動を起こさないためであり、当然「お国の依頼」によって、である。

 さて、次の総選挙、日本はどっち向くのか、18才からの若い投票層、もう最後かも知れないから「一票言いたいこと言わせて貰うぞ」の高齢者層、フリーランス、そしてなにより女性票がどう動くか、見物である。

ふぅ、やれやれ…

なぜ「やまゆり園」から文明を説いたか2020年04月01日 03:05

 私は、分析者としてはかなり穿った「冷たい刃(やいば)」の持ち主だと自分で思いますが、思索の面においては「かなり熱い」のではないかな、と最近考えるようになりました。若い頃の自己確立のとき傍らにあったのが「萩尾望都」だったり、経験論哲学の「森有正」だったりしたのが根幹を成している、その延長線上に自分なりの人生のルールを築こうとしてきたから、ではないかなと、自分自身を振り返って感じます。
 考えることは、人生において「ぼーっとする=無駄な時間」ではありません。ぼーっとするからこそ、内面が深く掘り下げられるのです。
 1日の経験を通貨換算して「プラスマイナス」で幸福度を決定してしまう、「よく消費した、あるいは効率よく消費した1日=よい1日だった」と、金額換算して自分の幸福度を決定し続けることほど空しいことはありません。
 現在日本に見られる、キャッシュレスで「スマホで買い物して、スマホの機能で家計簿つけて」、それで「効率的な1日」を追求してしまう、人生をデータ化してしまうことの危険性は、文明の衰退期だからこそ大きいのです。

 「人生」は誰にとっても「物語」であるべきです。誰もが人生における「主役」であり「演出家」です。それは、どのような身体・精神・知的障がい者にとっても同等なことである、と私は考えます。だから「やまゆり園」の事件に立ち止まり、宮城まり子さんに思い致すのです。

 若い頃の私は、あまりにも貧しくて、自分自身の収入と消費の分析のために「エンゲル係数」まで計算していました。それは「漫画家」というフリーランスの人生を歩むために、絶対必要な「試練期」でした。
 しかし今現在の私は、経済的には困難ですが、エンゲル係数を計算しようとは思いません。信頼と経験の上で消費活動し、割引のパーセンテージは必要以上に求めないのです。「投げ売り名物のスーパー」に足を運ぶことは、意図して避けています。「今日一日で何円節約したか=一日の達成度」に換算してしまうことが、巨大資本主義産業・消費機構の日本において「危険」だと感じるからです。 
 コマーシャルでは「ペイ、ペイ!」と目先の割引率」が喧伝され、それに乗らない者は人生で損をしているよ、と、あざ笑うような風潮が見られますが、そんなもの「与党と経済関係者・金融関係者が勝手にでっち上げてマスコミに乗せたた『期限付き』の、『まやかしの幸福』」でしかありません。
 健全な消費は自己管理の延長線上に成立するもので、その「自己」とは「血の通った、思索する、そして自分自身の人生に『物語』を求める・一個人」です。
 
 確かに、ローンや育児を抱え、効率優先で目端の1円にこだわらなければならない時期も、誰の人生にも起こりうるものです。
 しかし、世界的共依存生産体系に生きる私たちですから流通の確保はもちろん大切ですが、自分の生活地域で生産・消費し、楽しみ尽くすことこそ、地理的に特殊な「人口の密な島国・日本」に生きる人間として、求められることではないでしょうか。
 地域に生活し、流通システムを健全・公平に維持し、その土地での経験を基として模索し、消費し、生活を営む。その健全性こそが、これからの、困難期の私たちに求められていると思います。

「困窮したときは自分から申請すること」2020年03月29日 22:31

日本の行政は「申請者保護」という制度をとっているため、窓口に出かけないとどんな制度があるかわからない。
たまにテレビニュースで「この番号へ電話を」と出ても、一瞬で消えてしまうし、障がい者や外国人は、とっさに筆記できないという基本的欠落がある。せめてテロップだけでも次のニュースにひっかけて残してくれれば、まだ救われるケースもあると思うのだが…

とにかく小学校教育の段階で「将来困窮したときは行政へ相談」と教えておけば、色々困る人も助かる道があると思うのだが。少なくとも義務教育の段階で。
裕福な家庭に育っても、地域のネットワークに守られていても、大人になったら、別の土地に移ったら、あたりまえにある「柱」はいきなりとっぱらわれるもので、そのとき「ひとり」で、さてこの困難に、どう立ち向かおうという時に、様々な免除や支援を受けられる可能性が、「国の制度」としてあるのだ、という事実は、なるべく早い内にインプットしなければならない。

「申請者保護」は、ある意味残酷だ。声を上げるすべを持たない層が黙殺されてしまう。
私の年下の友人は、いきなり幼子3人抱えてシングルマザーになったが、彼女を救ったのは遠方に住む福祉職の友人の「とにかく今すぐ『生活保護申請』しろー!」という一声だった。
真っ直ぐに育ち、真っ直ぐに働き、真っ直ぐに消費し、真っ直ぐに恋愛して子供を産んだ彼女は、夫がいきなり豹変して夫としての機能を放棄したとき、妻として、母として「シェルター」も「生活保護」も、知らなかったのだ。

「こんな不幸もある…ね、あぁ、コワイコワイ、ね、エンガチョですよね~♪」という民放の視聴率稼ぎのワイドショーを見ていただけでは、根源的救済の受付窓口まで辿り着けない。
小学校から「英語」とか「プログラミング」なんて、教育産業大手の口車に自民党が握手しているだけだ。
他言語認識脳は12~3才から活性化するものだし、プログラミングなんて、わたしゃ20歳の時、エンジニアの親父とふたりで液晶12行コンピュータ使って「サイコロ回して丁半賭博、1分で500回サイコロ転がして『ピンゾロの確率』を出すゲーム」を作っただけで終わりである。

わからんもんはわからんでいいのだ。

「みんなが100点満点取る社会」が「良い社会」ではない。
そんな小賢い国民だけで固めた未来の日本なんて、全然進歩性がない。
0点取る子もそれはそれでちゃんと「学んでいる」のだ。
その経験は大人になったとき「分からなくて困っている弱者に自然と手を差し伸べる才能」になる。
小賢く100点取った子も、就職先の大企業が倒産したりリストラに遭ったり、ローン地獄で自己破産したり、離婚したりして、「奈落」というものは万民に用意されている。
そのとき「行政の窓口に申請する」という行動をとれるか否か、で、
「人として復活するか野垂れ死にするか」
の命運は分かれる。

「困窮したときには、まず行政の窓口へ行こう!」
と、お子さんのいる「これを読んだ方」は、明日の朝、食卓でおっしゃいな。

いま夜の11時半だから、明日。ね。

朝のテレビ小説「スカーレット」の面白さ2020年03月28日 22:50

NHKの朝ドラマ「スカーレット」が昨日3月28日をもって最終回を迎えた。
「全部見た」どころか、今処方されている薬の副作用で昼夜逆転の生活、「寝過ごして残念」という日の連続だったが、夜のダイジェスト枠などで流れは捉えていた。

このドラマは地味だけれど、確実に面白かった。

地方の、戦後の大貧乏生活で中卒就職からスタート(子供時代は「お約束」なのでもちろんあるが)陶芸家としての人生を切り開く主人公。
最初は地元就職に失敗して、大阪の下宿屋に女中奉公である。これが高橋留美子さんの名作「めぞん一刻」みたいな個性派揃いのステージで(あとでその人脈が全部活かされる)、その中で「ふとしたことから」「美」に目覚める。
ワンマンな父の一存で、いきなり故郷に呼び戻され、地元の「火鉢工場」で働き始め、ひょんなことからセクション変えに成功し、火鉢の「図案」部門の一員となる。
元日本画家の、イッセー尾形演じるボスに手ほどきを受け、モダンな女性スタイルの火鉢発売にまで漕ぎ着ける。

「研究員」としてやってきた美大卒の男性と、最初は「お仕事、見学させて下さい」の関係から、「陶芸とは何か」を学びつつ、恋をする。(この相手役俳優が、面立ちは地味だが、ものすごく上手い)

ああ、しかし「火鉢」は斜陽産業、ボスは去り、恋人は失業、しかし「この土地で陶芸をやって生きたい」という彼と結婚。
家は戦後流れ着いた夫婦と幼い娘3人のためにセッティングされた「茅ぶき屋根の古い木造家屋」である。
最初の台所は「かまど」で、富田靖子さん演じる「お母さん」がセッセ、セッセと火をおこし、煮炊きをする。それが、お父さんが死ぬあたりからガスボンベが導入され、それでも台所は「土間」で、やがて板の間に改装され、蛍光灯が入り、鋳物のガスコンロから火口の確保されたガステーブルになり…お母さんはずっと和服だったのが、地域の「ママさんコーラスの会」にお誘いを受け、週に一度「洋服を着て外出し、練習の後には喫茶店でママさんたちと甘い物&飲み物でひとときを楽しむ、『女の、主婦の・ゆとりとカルチャー』を体験する人生」にまで辿り着き、死ぬ。
(在宅闘病意地っ張りお父さんといい、ひっそり支え続けて生きて、満足して死ぬ母さんといい、骨髄の病で若死にするひとり息子といい、脚本家は「人生の『終わりどころ』のツボ」を外さない)

夫は、戦後日本の陶芸作家は「電気窯が当たり前」のアトリエで、研究と努力の結果大きな賞を受賞し、陶芸作家としての人生に活路を見いだす。お金はないが息子を授かり、家族全員で愛して育てる。
しかし「地元陶芸の、窯の原型(ここで主人公が子供の時手に入れた窯の内壁のカケラ「スカーレット」が活きるのである)、「原点回帰」を目指し、古式窯を作る。薪を焚き、何日も夫婦不眠不休で火を守り続けても、研究で知識として得た「目標温度」に至らず、失敗が続く。

そのとき、薪を放り込み続ける「運動連鎖」ではなく、薪そのものの「断ち割り方」、つまり「かまどの前で煮炊きしていたお母さんを手伝ったヒロイン」の経験則が解決策となり、目標温度に至る。
しかし、そこで夫は自分の「陶芸家としての限界」を知ってしまい、陶芸作家から「各地を渡り歩く研究家」に戻ってしまう。
「君も焼いてみなよ」
の一言で「自分の創作」に目覚めてしまったヒロインが、窯を守り、子育てし(なんと「足ガール」の「若様」、NHKの秘蔵っ子・伊藤健太郎さんが、この気持ちの良い若者を演じている)、母を看取り、妹たちの人生にエールを送り、地域社会に生き、「前進」していく。

この、まったくゼロ、どころか大きな架のあるマイナススタートのヒロインを演じた戸田恵梨香さんが素晴らしい。このドラマ枠では異色の年齢だが、「陶芸家としての大きな、そして繊細な『手』の持ち主」で、「中学校時代を演じるヒロイン」からのスタートとなったため「とにかく5キロ太りました」と笑う「気っぷの良さ」、そして『困難な女の人生に積極的に待機できる懐の深さ』の持ち主である。

両親の背中を見て育った息子は、陶芸を目指し、猛勉強して大学に受かり、学び、青春を謳歌し、恋をして、でも難しい病気で、最終回で分かるのだが26という若さで逝ってしまう。しかし、彼の『作品』は残るのである。アトリエの一角に、繊細な、優しい「青の陶芸」を志した彼の作品が、生き続ける。

芸術とは「作品が生き続けることによって人生を永遠のものとする才能を獲得した人種の、格闘と達成のドラマ」である。だから芸術家は「人生そのもの(ゴッホやダヴィンチのように)も伝説として語り継がれる」のだ。

そしてこの「スカーレット」は生活風俗の考証が、ビックリするほど正確だった。いつ、このデザインの生活家電が入ってきたか、お父さんが買っちゃった「衝動買いの一斗缶」が、手を変え品変え、この家屋でいつまで生き続けるか、基本的にお金のない生活の中で、ヒロインは「ツギのあたったマフラー」をいつまで首にまとわせるのか、かやぶき屋根の「家」はいつ「茅の上からトタンぶき」になるのか、ものすごく正確に記録し続けているのだ。
この時間枠のドラマには「昭和37年の東京」で、飲食店の前に復員兵が並んでいる、という「時代考証メチャクチャ」な手抜き作品もあったのだが…


伝説の「おはなはん」は、お転婆さんからいきなり「将校の妻」になったヒロインの素直な心の揺れを、幸せに向けて描ききった。

「マー姉ちゃん」は女系家族の次女、日本初の女性漫画家長谷川町子さんを田中裕子さんが演じ、それをサポートする母と戦争未亡人の姉を、藤田弓子さんと熊谷真実さんが絶妙の呼吸で「ホームバラエティー」としてドラマに仕立てた。

「おしん」は底意地の悪い橋田壽賀子さんの「女の一代記」である。海外では、そして国内でも「少女編」が繰り返し放映、スペシャルDVD化されている。演技派・乙羽信子さんは、よくこんな毎日ヒロインの心境のコロコロ変わるドラマ展開に「文句をつけなかったものだ」と思う。ほんと、苦節の人生から一転して「成功談の押し売り」である。

「ゲゲゲの女房」は、神様の妻、天才漫画家(戦争で片腕のない障がい者だが、世界観が素晴らしく、他の追随が出来ぬ水木しげるさんの、大貧乏からスタートする人生ドラマで、「漫画家の独特な、風変わりな世界」をキチンと表現仕切ってくれた。

視聴率を稼いだ「半分青い」は、少女漫画というとても個性的な世界に生きているうちはよかったのだが、漫画家をやめてからのシングルマザーとしての生き方の描写に無理があった。

やはり「はね駒」の斉藤由貴さんや「はっさい先生」の若村麻由美さんは新鮮で、感性も良く、上手かった。

「スカーレット」の最終回、最後のシーンで、ヒロインは人生を振り返らない。
涙を誘わない。しみじみしないで、窯に薪をくべている、その
「スカーレット・レッドに『炎』に照らし出されるヒロインのアップショット」で終わる。
地味であるが、芸術作品としての完成度は深い。
そう、「スカーレット」は「炎に導かれるヒロインの人生」を、的確に描ききったのだ。

これは「美事な成功作」である。

宮城まり子さん逝く2020年03月24日 03:52

宮城まり子さんが逝った。
享年93。(奇しくも誕生日だった)

「ねむの木学園」で知られる、日本の障がい者教育、特に〈美・音・創〉に着目して優れた活動をした、日本におけるパイオニアだった。
ドキュメント映画や展覧会は国内外でも評価が高く、「障がい者の人権と才能」を広く世に知らしめた。

「ねむのき運動への支援寄付」は間口が狭い。

私たちは「広域」に関心を持たねばならない。

人や物の流れが滞る混乱期に突入し、誰もが「自分第一」である。
しかし、こんな時こそ、障がい、戦争、交通遺児、片親家庭、貧困、被災地などへの、社会的困難者への可能な限りの支援を忘れてはならない。
「貧者の一灯」でもいい。
持続こそが、生き抜く者の「自己存在証明」である。
困難な時期だからこそ、

「人として支え合わなければならない」

のだ。

コロナの満月2020年03月11日 05:04

コロナコロナと大騒動で、夜一人歩きしている人影がまったくない。
なんだか不思議な光景である。

ま、治まりゃ
「あんときゃ、ああだったなぁ…」
で済むのであろうが。

いかんせんこの騒動、この狂乱。
市内ではトイレットペーパーもマスクもまったく手に入らぬ。
戦後のモノ不足もオイルショックも乗り越えたはずの爺婆が、開店前からドラッグストアやホームセンターの前に年金握りしめて集合し、買い漁ってしまうからである。困ったモンだ、まったくもう…

で、遅くまで営業しているスーパーに食料の買い出しに行った。
ここは、車で集まるところで街道筋から人々(みんなマスクしてる)が来て、黙々と食品を買っていく。レジで前のカップルがなんかモメてるなと思ったら、男が出したプリペイドが残高不足で、結局女が自分のクレジットカード引っ張り出して払う、という一幕であった。
大地震での停電などを考えると、やはり
「人間現金を持ち歩くのが健全」
だと思われる。

荷を積んで帰り道、しかし人っ子一人おらぬ。
寒い、雨である、ワイパーが動く音が聞こえる。

ふいっと上を見上げたら、高層マンションと戸建て住宅街の切れ目、

紺青の夜空に 煌々たる 満月

いや、首というものは回して見上げる機能がついている。
たまっていたコリがほぐれて、ふたりで
「月がとっても青いから」
遠回りせずまっすぐ家へ帰った。

たぶん年を取ってから、語る月夜。

ふう、たどりついたけど再開できるかな?2020年03月09日 07:23

また「お座敷」の場所がわかんなくなっちゃって、しばらく流浪の旅に出ていました。
(早いハナシがパソコンの前でどうしたらいいのか触り方が分からずホェ~っと(笑)

何度も「しもたや」になるこの「お座敷ターザン」。
さて、蜘蛛の巣払って、ぞうきんがけして、まだ朝だから、

とりあえず暖簾を吊そう。

いらっしゃいませ。

狂った夏2016年07月27日 23:00

毎日、外国で、日本でも、無差別殺人が起きている。

犯人は若者で、IFだったりそうじゃなかったり、
「障害者は生きていない方がいい」
という考えに至った元介護士だったりする。

何か、おかしい。

被害者は通りすがりの人や、たまたまホールにいた人や、施設に暮らす人や、神父だったりする。

犯人に何が欠落しているのか。
それは分からない。

世界的な武器の蔓延や、貧富の格差もあるだろう。
(その点日本は「拳火器がポピュラーでない」という点、まだ救われているのかもしれない)

若者のアタマは、善悪の判断の付かないほど沸騰している。

その大きな流れが「ポケモンGO」であろう。
杖をついて、人の半分の速度でしか歩けない私は、この週末何度も危険な目に遭わせられた。
まったく無垢な少年や青年に、である。

「ピュアであること=自分が社会的危険分子だと疑わないこと」はこれらの犯罪にもつながる。

精神的には「子供」の犯罪である。

「子供」が社会を脅かす。

今年の夏は、どこか狂っている。

支援物資の確保と発送(コピー)2016年04月20日 15:46

友人に、東日本大震災の際、首都圏から東北へ物資を送った人がいる。
彼女の、その時の記録が、今後非常に役に立つと思われるのでコピーさせていただいた。なおこれはコピーフリーとするので、それぞれのブログで、広める人は広めて欲しい。


「2011年4月17日のこと ~ 支援物資の確保と発送 ~」

この話は来年にでもまとめようと思っていたが、熊本や大分で大きな地震が発生し、これから道路が通れるようになれば、支援物資を送る方たちが増えるだろう。
2011年の震災で、宮城県気仙沼市で被災されたご一家に、私がお送りした支援物資の事例が何かのヒントになればと思い、書いてみる。

******
「やっとつながったよ~。」

2011年4月17日のお昼時、気仙沼から1本の電話が入った。
いつもと変わらない、上品な明るい声。
家族ぐるみでお付き合いのある、気仙沼の三世代ご一家のおばあ様からだ。

「家も職場も車も全部なくなったけど、みんな命だけは助かったのよ~。」

津波警報の中、着の身着のままで避難し、避難先の周辺が全て海になってしまったため、地震発生から数日して救出されたという。

「避難した場所には、非常用の食料も水もあったんだけど、置いておいたのが1階とか2階だったから、全部津波で持って行かれたのよ。だから救助が来るまでの3日間は食べるものも飲むものもなくて、みんなお腹すいたお腹すいたって言ってたわ。」

3月11日の震災発生時には、テレビのニュースに「死亡者」としてお名前が出ていたが、「いや、たぶん生きてるよ。」と、生きていてほしいという期待や願望とは全く違う、淡々とした妙な確証があったので、向こうから連絡が来るのを待っていた。

避難所で生活していらっしゃるのかと思ったが、幸い同じ市内でも山の中の住宅には津波の影響がなかったそうで、息子さんご一家は高台のご親戚の家へ、おばあ様と旦那様は趣味のために買っていた小屋を改造して住んでいるとのこと。

「取引先が東京から来て、歯ブラシとか水とか持ってきてくれてねえ…。私たちは避難場所で生活していないから、避難場所に届く物資はもらえないのよ。」

物資をもらえないなら買うしかない。
が、この時の気仙沼市内は、一番大きなスーパーのイオンが津波で1階が壊滅状態になって、買い物ができない状況だったり(本当は津波が届くような場所ではない)、地元の小さなスーパーが食料品や日用品をいくつか袋詰めにしたものを、1袋1000円としてお店の軒先で販売していたりと、地震から1か月経過した後でも必要なものが買える状況ではなかった。
輸送状況もひどく、ガソリンが不足していて、たとえガソリンスタンドにガソリンがあっても、当時の政府は、
「緊急車両以外の補給は認めない。」
と、一般市民や運送業者に卸さなかったため、なおさら物は届かない。

「まあ、缶詰とか、カップラーメンとか食べてるけどね。野菜なんて限られたものしか手に入らないし…。」

そんな食生活が1か月以上続いているのでは、健康状態がとても心配だ。
宅急便やゆうパックは送れない状況だったが、郵便局が頑張っていて、「定形外郵便」だったら被災地でも受取ができることはこの時分かっていた。
定形外郵便なら届くと聞いているから、こちらからぜひ何か送らせてほしい、必要なものはなんでも言ってほしい、と話すと最初は遠慮されていたが、これはあるか、あれはあるかと「具体的に問いかける」(←これが重要)と、ようやくぽつぽつと希望を出してくれ、電話を終えた後は速攻で物資の確保に走った。

<実際に要望されたもの>
◆男性用の防寒下着と靴下◆
3月や4月の気仙沼はまだ寒い。
2011年は震災発生日に雪が降るくらいで、4月になっても低温が続いていた。
暖房もろくに使えない状況で、おばあ様の旦那様は毎日とても寒い思いをされていたため、「あったかい下着や靴下が2枚くらいあれば」という。
サイズや形状の好みを聞き、買いに走ったが、靴下は簡単に見つかったものの、4月の東京はポカポカの春で、冬物の防寒下着が売り場から消えている。
ユニクロもヒートテックを片づけてしまった。
こうなればとにかくお店を回るしかない。
3軒目のイトーヨーカドーで、最終冬物処分のコーナーに、要望どおりのタイプの下着を3点見つけた時は本当にほっとした。
その時の気候に合う下着の確保は、健康を維持するための大切な要素だから。

◆女性用の下着◆
着の身着のままで避難され、着替えも買えない状況だったため、女性用の下着も上下2枚ずつあれば…とのお話で、お安い御用と走ったのだが、これも苦戦した。
女性の皆さんはご存知のとおり、女性用の下着はシャツ1枚とっても種類が細かく分かれる。
普段着なれた形のシャツをと、要望されたフレンチ袖(注:『半袖』にあらず)のシャツを探したのだが、スーパーも百貨店もあれだけ物があるのに、とんと見当たらないのはまいった。
通販ならいくらでも買えるが、待っている時間はない。
下着売り場を処分価格の棚やワゴンまで目を皿にして探して、上下ともに要望よりちょっとだけ多い4枚ずつで確保できた。
被災して大変な時だからこそ、ふだん着なれているものが大事になる。

◆洗濯洗剤◆
「アタック」の液体洗剤が欲しいと言われたが、本体はボトル型で、定形外郵便で出すにはちょっと無理がある。
空き容器があるから詰め替えでも大丈夫と言われ、詰め替えとコンパクトボトル本体をそれぞれ送ろうとしたが、ボトル本体の方は受付不可で、詰め替えだけが届けられた。
水が使え、衣類を手洗いできる状況だったから要望されたのだろう。

<こちらで勝手に追加したもの>
実際に要望されたものを見て分かるとおり、着の身着のままで支援の手もなく、親戚同士の助け合いだけで生活している状況で、要望がこれだけというのはいくらなんでも少なすぎる。
他にはないのかと聞いても、一事が万事控えめで要望を聞き出すことが難しい。
なので、勝手ながらこちらで選んだものも一緒に送ることにした。
その代表的なものがこちら。

◆おすすめその1:明治の「まるごと野菜」!◆
話を聞いて深刻だと思ったのは野菜不足。
葉物野菜やトマトのような日持ちのしない野菜は売っておらず、じゃがいもやタマネギ、にんじんだけでは体が持たない。
幸いこのご夫婦は、「あったかいトマトスープ」がお好きな方たちだったので、明治で出している「まるごと野菜」というレトルトの野菜スープを送ることにした。
この野菜スープはミネストローネやシチュー、シンプルなコンソメ仕立てなど、大体3種類~5種類くらい出ていて、文字どおり野菜がたっぷり入っている(70グラムから100グラム)ため、非常に満足感が高い。
平べったい形なので、定形外の封筒にも入れて送りやすかった。
これはぜひ、普段の生活で使いつつ、日常的に備えておいた方がいい1品だ。

◆おすすめその2:北海道アンテナショップのかぼちゃ◆
ちょっとこの方法は使える地域が限られてしまうが、もし身近にあるならおすすめしたいのがこの場所。
東京や神奈川もまだ、お店に並ぶ品物に偏りがある時期で、乾物の野菜とか、水煮の野菜などがなかなか買えず、困ったときにひらめいたのが北海道のアンテナショップだった。
東京には様々な地域から、特産品を売るアンテナショップが出店しているが、北海道のアンテナショップは都内以外にも埼玉や仙台、名古屋、と比較的手広く展開している。
海のものも山のものも豊富に取り扱っているが、この時とても助かったのが、一口サイズに切ったかぼちゃの真空パック。
加熱済みなので、そのまま食べても大丈夫だし、調味料を入れて簡単に煮物も作れる。
調理済みの1品としても、食材としても使える汎用性は非常にありがたかった。
ちなみに、真空パックにはイカにたっぷりごはんを詰めたイカメシもあったので、イカがお好きな方にはおすすめしておく。

◆おすすめその3:チューインガムとタブレットミント◆
義歯や詰め物をしている人には、歯に付かない錠剤型のミントの方がいいと思うが、食べられるならチューインガムがあると便利。
災害が起きると、歯を磨く水の確保さえ難しくなるし、先の見えない日が1日過ぎるごとに、イライラもつのるだろう。
そんな時に役に立つのがガム。
噛むことで、口の中がさっぱりするし、イライラの解消や口さみしい感じも和らげることができる。
自分が食べなくても、誰かに気軽にあげられるコミュニケーションツールにもなる。
この時は、大人向けにミント、子供向けにフルーツ味など、いくつか取り混ぜて送った。

◆おすすめその4:りんごやみかんのドライフルーツと、パウチタイプのミックスフルーツ◆
本当は日持ちのする柑橘類を送りたかったのだが、定形外郵便では送れないし、輸送環境を考えると、気温の変化で傷みそうだ。
缶詰も大きなものは無理で、小さな平べったいタイプしか送れない。
そこで助かったのがドライフルーツと、シロップ漬けのミックスフルーツをパウチに詰めたもの。
ドライフルーツは、生の果物を干して、栄養価が高くなっている。
レーズンやプルーンは独特の癖があり、好き嫌いが分かれるが、最近は国産のリンゴやみかんのドライフルーツやセミドライフルーツ(半生)がコンビニでも売られるようになり、それだとドライフルーツを初めて食べる人でも、食べなれた味でホッとすると思う。
シロップ漬けのミックスフルーツは、形がある果物を食べたい時に使え、定形外で簡単に遅れるので便利だ。

◆おすすめその5:文具◆
このご一家は自営業だったため、職場も流されたのでは簡単な事務用品にも困るだろうと、食料と合わせて、ボールペン(黒、青、赤)やメモ帳、蛍光ペン、蛍光色の付箋なども送ったのだが、この判断は後で正解だったと分かった。
非常持ち出し袋では、どうしても水や食料、衣類、電池に目が行きがちだが、いざ被災した時に困るものの1つは文房具。
実際被災した方たちからは、避難所で様々な連絡が流されたり、貼りだされたりしても、書き留めるメモやペンがなく困ったという声が聞かれた。
「着の身着のまま」は、自分の身にその時身に着けているもの以外は、本当に何1つなくなる状態なのだ。
ご要望頂いた品物と、こちらで勝手に選んだ品物は、定形外郵便約10通に分割して送り、幸いにして1つも欠けることなく気仙沼に届いた。

熊本や大分は、現在は企業や自治体、自衛隊などのまとまった組織の、大規模な支援の手が必要とされていて、小回りの利く、外部から個々のボランティアの手を必要とするのは、まだ先になるだろう。
必要とされた時のために、自分が無理なくできることは何か、今考えながら備えるのが良さそうだ。

義母、逝く2016年03月28日 08:20

おはようございます。
義母が逝きました。
夜更けに駆けつけた私たちに、ちょっと持ち直して「家族室」での休息を与え、急変して最期はモニターの心臓の波形がパッとクラッシュするという、まことにあっぱれな最期でした。