安部ノマスクが来ない2020年05月25日 05:46

まだ、国からのマスク(ウチはふたりだから「一世帯2枚」ね)が来ない。
東京は早かったはずだが、来ない。
千代田区中心に配ったというのは本当なのか。
十万円申請案内も来ない。

国民はただ牛のように座して待つだけなのか。
そろそろ膝がくたびれた。
立ち上がって「モウ!」と叫ぼうか。

兄の始末2020年05月23日 01:23

兄を荼毘に付した。
遺体とは対面させてもらえなかった。
推定4月22日死亡・死因不明で、26日間発見されず、腐敗が進んでいたらしい。
ゴージャスな骨壺に納まった。
「いや、普通の骨壺でも…」
と言うと、
「こちらではこれが『普通』です」
とセレモニー業者。そうか、そうなのか。
「部屋の片付けをしたい」
「いや、業者に任せた方がいい」
と刑事さん。
そんなにすごい腐乱死体だったのか。
大家さんはこのようなケースに備えて保険に入っているという。
こうなりゃ手出し無用と、業者に託す。
遺された携帯電話にアドレスはなく、全てパソコンで管理していた様子。
「パソコンは手作りだよ」
と言っていたし、パスワードも分からないし、で、兄の交友関係への通知は諦める。
友達はいたようだが、記憶の彼方に消えてもらおう。

兄は遠い異国で突然死した。
そう思うしかない。

少し寂しいが、
「短くても自分の人生に満足していたのだろう」
と思わなければ、落ち着かない。
「心臓突然死」は私の遺伝の系譜だ。

業者処分で形見はなにも無い。

ただ、「私には兄がいたのだ」という記憶だけが遺産である。

兄は、確かに、そこにいた。
後ろ姿しか見られなかったけれど。

それを持ってして、良しとしよう。

兄のこと・ちょっと2020年05月20日 20:08

この「偉大なる兄」はなんと蔵書のためにトランクルームあちこち4つと契約を結んでいました。

女は自分の身を仕舞うものですが、男は死ぬまで「自分の陣地を広げよう」という本能のままに行動する生き物です。

やれやれ、後始末が大変!(苦笑)

兄・杉浦等・「裏」を知らないひとの悲しさ・中2020年05月20日 11:56

小学校5~6年、兄は教条主義者の担任に当たってしまった。「生徒は担任の言うことを聞いて一番」。
そこから兄は外れてしまった。しかも頭がいい。担任が
「今日の授業はここまで」
と思いもしなかったことを問う。
もはや「天才の彼」は「異分子」でしかなかった。
担任は暴君と化しヒステリックに彼を虐めた。

日に日に、顔色暗く帰宅する兄を迎えるのが辛かった。
「今日も学校でネチネチ虐められたのか…」

(ところが私は同じ担任に3年生を受け持たれているんである。成績は優の上。学級委員長。すごいえこひいき授業だった。恐ろしかった。ひとつご機嫌を損ねてしまえば大転落が見えている。なんとかして早く、この担任から外れたかった)

中学の私立受験に失敗し、市でも最低レベルの「谷底の中学に通い」兄はみるみるどん底に落ち込んでいった。
読み物は「「マルキ・ド・サド」や「毛沢東語録」「中原中也」「三島由紀夫」「永井荷風」、知性を持て余していた。
高校受験は最低の地元工業高校の、それでも「工業化学科」。卒業写真を見ると、兄以外は全員リーゼントの時代である。
恩師の計らいで昼間工業高校実験助手を務めながら、2浪して大学の夜学へ。勤労学生は、兄を含め2人しかいなかった。そこで史学を学んだ。正真正銘の「苦学生」である。

実験助手から正教員への採用試験(倍率二百倍)に受かり、生活は保障された。
だが、工業高校そのものが「コンピュータ高校に移行していった」時期である。「工業化学の先生」として生き延びるのは大変だったようだ。
最初は夜学、後に普通科の「化学教師」として、都内の高校を転々とした。労働条件は、良くは無かった。それでも年金がもらえる年齢まではなんとか勤め上げ、退職した。
年金受給までの年数、仕事をしているようだったが、いったい何の仕事なのかは母も私も知らない。

教員住宅すら、石原(バカ)都知事の「都職員を甘やかすな政策」により追い立てを食らい、近所のアパートへ引っ越している。公務員受難の時期である。(このときアパート契約の保証人に母がなったのが幸いした。電話番号が変わらなかったため、兄の家賃が振り込まれていないこと、警察と一緒に部屋へ入る承諾など不動産屋から受け取ることができたのだ。さもなければ兄の死は私たちに永遠に知らされなかっただろう)

生真面目な兄にとって、工業高校は生き辛い現場だった。
しかし、そのストレスをかわすために、兄は「いけない手」に出た。

「合法薬物の過剰摂取」である。(続く)

兄・杉浦等・「裏」を知らないひとの悲しさ・上2020年05月19日 01:01

兄、杉浦等について、覚えていることを書こう。

私の兄に対する最初の想い出は
「なんでお前なんかがいるんだ!」
という冷たい抗議のまなざしだった。
以来私は三白眼でしか兄を知らない。
父、母、祖母、三人の寵愛を受けて育った兄は
「祖母の突然の死、未熟児だった妹への両親の関わり」
で、
「自分への愛を奪うもの」
としてしか妹を認識できなかったのだ。

妹がミルクを吐いた、それが臭い、というので彼は牛乳アレルギーになった。まったく彼の幼少時の不幸は「妹が産まれてしまった」事から始まる。

私はハタチまで、この人に「遊んで貰った記憶」が1回半しかない。それも「いやいや」。
「時間はあるし、両親は留守だし、しかたない、自分がつきあってやるしかないか」
という態度であった。
(後に発見された小学生時代の日記に「午後5:45に帰宅したら妹が心配していた。驚いた」とあったのが妹に関する記載の全てである)

兄は早熟だった。実年齢4歳差どころか、さらに10年上だった。たぶん「天才」だったのだろう。こと早熟さに関しては異様な頭脳の持ち主だった。
小学校2年生の時「夏休み、図書室の本を読みたいので毎日登校させてください」と学校に交渉し、承諾を得た。
図書室の百数十冊の偉人伝を読破した。
しかしそれは彼の人生にとっては大失敗であった。

エジソンは後に財団を立ち上げ「これは」と思う案件全部に特許申請して、いざ実用的特許が出たとき「残念でした、それはエジソン財団が特許申請済みです」という「特許のバイヤー」として成り立っている。
ディズニーはスタジオシステムを立ち上げたが、労働環境改善を求めた職員がストライキを起こしたとき全員を解雇している。
しかし杉浦等は小学校2年生レベルで「世界を学んでしまった」ため、栄光のその裏を知らなかった。知ろうともしなかった。

ただ栄光へ。まっすぐに生きること。

その兄を挫折に導く事件が起きた。

兄弟感覚と夫婦感覚2020年05月18日 22:02

兄の死に際して、夫ドッコイ氏(一人っ子)に
「あなたは「兄弟感覚が分からない」んで…」
「そうです」
「…すね」を言う前に明快なお答え。

「でも夫婦感覚は分かるでしょう?」
「はい」

ああ、よかった。
これが分からなかったら離婚だよ。

兄・杉浦等、死去2020年05月17日 15:52

兄・杉浦等、死去。
享年61
死亡日時・死因はいまのところ不明。

兄の友人の方もご覧になっていらっしゃると思いますので、とりあえず一報。
詳しくは警察の連絡を待ってお知らせします。

「自粛警察」の根源的問題点2020年05月13日 23:12

「自粛警察」の恐ろしさは、公権力に要請される以前から
「自粛を忖度する風潮が作られ、肥大し、結果的にパブリック・エネミー(公敵)をでっちあげ、狩る」
という
「関東大震災におけるコリアン虐殺」
にまで公民の自我を無責任に暴走させてしまうかもしれない点にある。

私たちは「また聞きの情報を無責任に垂れ流さない」賢い国民のはずだ。

都合のいい情報だけにホイホイ乗せられ、身勝手に
「我こそは正義」
と信じて暴走するネトウヨや電凸に引きずられてはならない。

前夜2020年05月13日 15:32

「もうすぐ日付変わって誕生日だな…」
と思った瞬間、不整脈の発作が起きた。
あわてて薬を飲む、が、効かない。
「ああ、死ぬのかな。
まてよ、発見されて医師が死亡診断書を書くのは明日だ。
ということは、ひとつ年を取って死ぬのか…
ああ、享年58…」
などと思ってとりあえず寝床にもぐりこんだら。

誕生日、ぱかっと目が覚めた。

なんのこっちゃない
しっかり生き延びてしまったのであった。

テントウ虫2020年05月11日 23:35

今朝ベランダでテントウ虫を見つけた。

「あらあら、お久しぶりねナナツボシテントウさん…」
と言い終わる前に
プ~ンと飛んで行ってしまった。

人が自然に優しくても、自然は人にそうでもないんである。