そしてみんな回ってこなくなったんじゃ2016年01月25日 04:03

「ハンセン病隔離施設」だった瀬戸内海の長島愛生園は近接する邑久光明園(おくこうみょうえん)とともに、ハンセン病療養所に残る隔離政策下の歴史的建造物を世界遺産に登録すべく活動を始めた。

養母は明治40年四国生まれ。
子供の頃はお遍路宿の呼び込みなどやったそうだが・・・

「普通のお遍路さんは首からふたつ袋を提げて、
『麦ですかお米ですか』
というて回っとった。
中には破産して四国に渡って来たらしい人もおった。
回り続けている限り、食事と宿は保証されとるから。

その中でな・・・

『らい(ハンセン病)』の人たちもおったんじゃ・・・
脚がひざまでしかない人、指のない人、鼻のない人、助けおうて回っておった。
宿には泊まらず納屋の軒先なんぞを借りて寝起きしとったよ。

それがな、ある日からぱたりと来なくなった。
村や町の入り口に保健の役人がまちかまえておってな

『これからはもう辛い遍路巡りをしなくても、
食べるものも寝るところもみんなお国がしてくれる』
というてな

ひとり残らず連れて行ってしまったんじゃ・・・」


20以上年たっても忘れられない、深いため息。

久々にテレビでジブリアニメ見た2016年01月25日 04:32

・・・わけだが、昔の児童雑誌「テレビくん」には
「地球の平和はわたしがまもる!」
「たたかえ、ナウシカ!」
と、勇ましいことが書かれていました(笑)。

ナウシカは「3泊4日で風の谷の平和を守る物語」です。