ああ、家庭内遭難2015年08月01日 05:31


クラッと目まいがしたのだ。
パッと近くの家具に身をゆだねたのだ。

それが安いDVDラックとは。
テーブルに斜めにかかり、私は「家庭内遭難」した

ドッコイ氏は仕事で帰れないという。

私は人生観変わった。

塩すら差し入れに来られない酷暑の内。

待つこと数時間。
飲水と排泄は自由とは言え、人間気が狂う。

バカ力でラックを引き上げ、通路が後追ったそのとき。

「助かった!」と思うと同時に
「ナゼ助けに来てくれなかったんだ~~~~~!!!!」
という憎しみも沸いてきた。
徒歩三十分の職場である。

アルバイトの身でなぜ抜けられなかったか。
疑問は深まる一方である。

あんまりくたびれたのですぐには書けなかった2015年08月03日 09:04

一昨日の晩、もう寝ようという時刻になって、ドッコイ氏が「これから急用で長野へ行く」という。
そりゃ大変だと支度して、完徹して長野へ。
明け方着いた。
用事を済まして、昼間猛暑の中帰宅。
さすがにへばった。
年ねえ…

心配2015年08月03日 14:35

昨日は過労の余り下クチビルとまぶたが痙攣。
今日は頭痛。
明日何かあったら脳神経外科行こう…

総理への意見2015年08月05日 01:21

頭痛しとる場合じゃないわ~~~
今ならアクセス「首相官邸」→「『新国立競技場の整備計画の再検討推進」の特集ページを更新しました』→「新国立競技場についてのご意見募集ページ」で二千文字まで自分の思っていることを書ける。
意見を述べるなら今だ。
8/4~なんだが期限がわからない。
国のやることなんざ、都合が悪くなったら差し止めよー!

「二八(にっぱち)」2015年08月07日 17:03

この言葉を知っているアナタ、客商売の経験がおありですね(ご挨拶)
「二八の客枯れ」、2月と8月はナゼか客足が細り、売り上げが落ちるんである。
(8月は、行楽地なんかはいいのかもしれないが)
私の場合「二八」は、2月は寒さで脳細胞がちぢみ上がり、
8月は暑さで脳細胞がだらけてしまい、
というか外出の機会が減るので「二八のネタ枯れ」となり日記が更新されないのである。
やれやれ…

Pourquoi Pas?(プルクワ・パ)2015年08月08日 20:31

これ、オードリー・ヘプバーンが映画「ティファニーで朝食を」の中で何度か言うセリフ。
フランス語で「なぜいけないの?」なのだが、
彼女の役どころは南部のピーナツ農園脱走して
大都会でオシャレに暮らしているはちゃめちゃ娘で、
南部なまり丸出しをオシャレに包み隠し、
フランス語で(日本で言えば会話の中にいきなり「ホワイ・ノット?」と出てくるような)
そんな、パンチの効いた切り返しである。

で、「Pourquoi Pas!」という映画が昔あって、
フランソワーズ・アルディーの元夫ジャック・デュトロン主演で
「男二人と女の三人の生活、なぜいけないの?」という、
今で言うならGBTな内容だったらしいのだが、
悲しいかな日本では封切られなかった。
雑誌で内容だけちらっと出て、すごく見たかったのだが…

Pourqoi pas? 22015年08月09日 00:50

ところで、ジャン・ポール・サルトルは後年、妻であり理解者であったシモーヌ・ド・ボーヴォワールとの間で若い愛人(女性)を「共有」していた、という説があり、これこそPourqoi Pas?(なぜいけないの?)の極みなんんじゃないかと、ふと思った…

歯は一生モンです!2015年08月10日 01:10

日付変わって今日(今深夜1時)は歯医者。一本の奥歯にどれだけ長い期間かけただろう、腕はいいけどきわめて慎重派な歯科医院。酷暑でも通い、さすがにちょっと体力落ちて「治療にあきた」(笑)…しかし上の歯は仮歯で、実はこの後まだ控えているのであった、ああ!
というわけでお若い皆さんへ。
歯は「一生モン」です!
年取るとね、お金も時間もかかるのよ。
ましてやそれが、予期せぬ「超低収入」の時期と重なっても容赦なく来ます。
こまめな手入れを欠かさず、大切に保たせましょう「My・歯」!

37800円の奥歯2015年08月10日 21:15

歯医者通い、半年にしてやっと左下の奥歯が入った。
あんまり期間が長かったがかかったので、
「型どり」した状態から1本抜いた分歯列が乱れ、歯が動いてしまい、
いざ「できあがった歯」を入れようとしたら
横は削るは上は削るは微調整に1時間、歯医者椅子の上で
口を開けて「入れては取り出しまた削り」を繰り返し、
「また歯石たまりましたね」
「出来やすいのはナゼでしょう、先生」
「舌の下からよだれがたくさん分泌されるからですよ、石灰質ふくんでますから」
「因果な体質ですね」
「いや、口腔ケアにはそれが理想的なんです」
「それにしては、子供の頃から虫歯になりやすい体質で…」
などと、あいだに歯医者さんと話をしていたのだが、

…心当たりがある。
歴代の恋人(男も女も)が、みな「キスの名人」だったのだ。
これに関しては遠い昔、あるところで書いた「運び屋さん」というエッセイを読んでいただくのが一番手っ取り早い。

で、探してきました「運び屋さん」

「伝染るといえば、虫歯のミュータンス菌、これはぬか床と一緒で、各人各様なんだそうで
すな。 歯医者に勤めていた友人が教えてくれました。
生まれたばかりの赤ちゃんは無菌状態なので、最初はお母さんお父さん、お祖母ちゃんお祖父ちゃん、(固いものを噛んで食べさせてあげりすると伝染るそうな)それから保育園や幼稚園の友達(遊んでるうちに唾液から伝染るそうな)、長じてはえ~、年齢はまちまちでしょうが~あんなこととか~こんなこととか~で、伝染るとか。
え?
あ、まあ「食べかけのものをもらった」とかもアリですけど~、もちょっと大人の、ね。
おつきあいというか、なんとゆーか・・・(笑)
      
さあっ!
あなたは過去何人にミュータンス菌を伝染した(伝染された)でしょーかっ!?
「それまで虫歯なんてなかったのに、あの人とつきあってから前歯が・・・」
というあなた、はい決定。
「あの人の想い出はみんな捨てたのに、奥歯が・・・・」
というあなたも、伝染ってます。
「あんちくしょーと別れて以来、虫歯知らずよ~」
というあなたもたぶん・・・・・(笑)
   
しょせん人間は遺伝子と菌の運び屋。
「アデュー」
と言って別れても、歯にはしっかり愛のメモワールが残っているのでございます。」

ね、「口腔内ミュータンス菌ぬか床説」。(自分で名付けた・笑)

歯のケアは大切に!

…それにしても…
前の先生の時は
「あ、この歯なら1万円ですね~」
だったのが、先生が代替わりして
「それ勘違いです。37800円の歯です」
ということがわかり
3.78倍の領収書をもらってきたのですが(チクショー!)
「上の歯は6万円ていうお話でしたが…」
「う~ん、下の歯がインプラントですからね(その頃はお金があった)
素材を合わせるとなると10万円の可能性がありますが、
まだ治療を始めてないので、これからの話ですね」
抜くだけ抜いて仮歯のままカンボジアにボランティアに行っちゃった
「先代先生」を恨んでも仕方ありません。

ただね、うち今アルバイト生活で日給5000円。
勤務先が養護学校なので「8月お休み」つまり今月収入0円。
さあ、やりくり算段が始まるぞ、次はどの本を売ろうか…

…ぶつくさ…

今こそ読もう「村山談話 全文」2015年08月12日 00:55

現職首相が当初
「もう70年の節目だから、おわびも反省も盛り込むつもりはない」
としていた14日の「談話」。

世界から、国内の有識者から、そしてなにより日本国民から非難を浴びて、あとからあわてて
「おわび」「植民地支配」「反省」と言った言葉を「つけたそう」としています。
泥縄ちゅーんじゃ、そーゆーの!(苦笑)

でも結局は、戦後の節目50周年にして初めて「談話」という形で世界にアピールした「村山談話」(村山富市・社会党)に限りなく近づく可能性はあります。

当初から「心に思っていなかったこと」を、周囲からの働きかけで

「とりあえず述べる」

わけですな。
どこまでたかをくくったトラウマお坊ちゃまなんだ、安倍晋三!
連日子供部屋の窓から聞こえる「安保反対」のデモ隊のシュプレヒコールに
「僕の大好きな岸信介おじいさまが『国民』にいじめられている。
おじいさまは立派な首相なのに!」という原体験。


歴史的評価の高い「村山談話」の全文を載せます。
一読の価値があります。一人の首相が「50年間の沈黙」をやぶり
初めて日本国代表として心情を述べた、
胸に迫る、切実な言葉がここに「生きて」います。

今、私たちは「村山談話」を改めて読む必要があります。



「先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

村山総理大臣談話 / 平成7年」