老眼と長寿2012年01月15日 17:10

私は40歳になる直前、それが昔は「初老」と言われていたのだと知って驚いた。
月に数日は満員電車、終電車に大荷物で乗って、ぎゅうぎゅうもまれ、それ以外の日は「ふたりあわせて180歳を超える」養母とそのパートナーの面倒を見るのがるのが日常だったから。
まさに人生真っ盛り!という気持ちでいた。なのに「初老」なんて。(「五八の賀」とも言うらしい・掛け算九九か!)

ということで無視することにした。
ただ、好きな向田邦子さんがエッセイで「最近の新聞はインクが滲んでよく読めない」「針の穴が開いていない不良品が多すぎる」と散々腹を立てた架空の人物、最後に「実はそれが老眼の始まった最近の私ですよ」という種明しのエッセイを読んでいたので、老眼だけは目を使う商売のため構えた気持ちでおり、「来たな」と思ったら即メガネ屋さんに行った。
おかげで手持ちのメガネは都合7本、読書用、運転用、度つきサングラス、それらがどこかにいっちゃったときの「探索用」である(笑)。

ら、昨日ついにドッコイ氏が老眼鏡を誂えることになり、帰宅後、開口一番
「いやあ、乱視が混じっているだけでこんなに手間と時間とお金がかかるとは思っていなかった!」
でしょ。郵便局にサービスで置いてあるのや、バカ安で売っている中国の量産品のようにはいかないのよ。

「老」という言葉を、自分自身の人生に最初に受け入れるのはたいていみんな「老眼」である。否が応でもやって来る。

NHKが近年行った調査では、60歳ぐらいからを「初老」と考える人が全体の42%だった。
それもおもしろいことに、10代の意見では「初老」は平均48.8歳、50代の意見では平均59.1歳と、10歳以上も年齢にひらきがある。

「人生50年」といわれた時代には、60歳以上は長寿と考えられ、40歳で立派な「初老」だった。
当時は「初老の賀」のあと、10年ごとに「五十の賀」「六十の賀」が祝われた。
この「算賀の儀礼」が受け継がれて、60歳の「還暦」、77歳の「喜寿」、88歳の「米寿」が、江戸時代から一般庶民の間でも祝われるようになったという。
今や90歳の「卆寿」、九十九の「白寿」もまれではない。
近年無くなった私の大叔母は103歳の長寿を得たし、その妹の私の養母も九十八、数えで白寿まで生きた。
ふたりとも歌人だったり日本画家だったりしたので、そのせいもあるかもしれない。
映画「楢山節考」や「デンデラ」の「70歳で山に捨てられる」という姥捨て伝説の設定から考えると、嘘のようである。

11の時からメガネをかけ続けた私にとっては、老眼鏡は「人生の折り返し地点」という思いが強かったが、ドッコイ氏は五十を5ヶ月後に控えた今、どんな気持ちなのかな。
訊ねても「別にたいしたことはないですよ。」と言っているが、常用するようになると見慣れたはずの世界が変るのだ。
出来上がったメガネをかけたとき、聞いてみたい、
「あなたは自分のことを初老と思いますか?」
たぶん答えは「わたしはまだまだ『壮年』(厚生労働省の言う40歳から64歳)ですよ。」だと思うけれど。
ちなみに同省が定めた「実年」は50歳代~60歳代だそうで、かぶっていてややこしいのである。

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