パリは朝の6時2011年11月01日 16:19

午後3時にドッコイ氏から
「いま、パリに着いたから。」
と電話があった。早朝である。これから時差を逆戻りしてアフリカの中央へ飛んでいくという。
買ったばかりの二つ文字盤のついている腕時計の小さい方は、朝の7時を示している。
今アフリカは朝の7時。これから飛行機がパリから南東に飛んで、現地に着くのは夜の7時。
日本は真夜中、3時である。
私たちは時差の中を行ったり来たりしている。
ドッコイ、無事に帰っていらっしゃい。

ほくろ(黒子)2011年11月06日 19:03

「これはほくろになるだろうな、というかさぶたがひとつ、腕にある。
場所が絶妙で、無意識のうちにカリッと引っ掻いてしまうのである。
引っ掻くごとに出血が増え、本日は圧迫止血10分。
たぶんほくろとして残るだろう。
二つ並んだほくろのちょうど中間点にあるので、私はやがて「オリオンの三つ星」を腕に持つことになる。

母が帯状疱疹で、だいぶん良くなったが、終着駅が鼻のてっぺんで、これは「いけない」と思いつつもつい触ってしまうものらしく、ぷっくりと丸くほくろになってしまった。
鼻先だけ見れば立派にグリム童話の「魔法使いのおばあさん」である。
父も晩年、下唇に丸いできものが出来ており、年を重ねると人体の細胞というものは「丸くまとまろう」とするのかもしれない。

ドッコイ氏も首の絶妙なところに小さなイボが出来、
「ねえ、イボコロリ塗っていい?」
と聞くたびに
「だめです。これはわたしの体の一部ですから。」
と拒絶され、ちぇー、ケチンボ!塗らせろやい。
(画像は昔の「イボコロリ」)

ほくろは「黒子」とも書く。
文楽や歌舞伎の、あの黒装束、黒頭巾のあの人たちである。

昔「復興日本美術院展(以下「院展」)で臼井義人さんという方が毎年「黒子」を描いていて、その初期の頃が好きだったのであるが、ここ10年、院展も全体的につまらなくなったので行っていない。
彼はまだ描いているのだろうか。

東京都美術館がまだワックスの香りの木の床の頃から(赤ん坊の頃からだが記憶にあるのは5歳くらいから)院展には毎年行っていて、安田靫彦先生の晩年の作や、真野満さん羽石光志さん、森田廣平さん吉田善彦さん、若手では林巧さんなどを観てきたわけだが、全員鬼籍に入られてしまった。
特に若い森田廣平さんの急逝と林功さんの中国での交通事故死は痛かった。
全体に前田青邨→平山郁夫(芸大学長)派閥が増えてから、院展は「優等生の作品」が多くなって、つまらなくなっていったように思う。
これも故人だが小松均さんのようなハチャメチャさの持ち主が消えていった。
つるんとした白い肌の、ほくろのない作品ばかり多くなった。

ひとつ増えるであろう、私のほくろ。
ドッコイ氏の小さなイボは、なるほど確かに「彼」という個性のひとつである。
ああ、でも私を誘う、塗りた~い、「イボコロリ」!(笑)

点字にチャレンジ!2011年11月08日 20:35

某友人が「ひとりで学べるたのしい点字」(http://www.tenji-naiiv.net/index.html)というサイトを教えてくれて、さっそくチャレンジ!
「さ行」まではサクサク進んだのだが、後がついてゆくのが難しい!
やっぱり脳みそがナマクラになっていていかんよ、これは(笑)。
しかし、こんないいサイトを教えてもらったのだから、自力でポツリポツリ続けるつもり。
点字訳したい短編小説やエッセイなどもあり、目標があれば努力するにも張り合いがある。
かんこさん、ありがとうございました。
頑張ります。

パソコンが壊れたので2011年11月17日 07:06

12月中旬頃までお休みします。
ときどきチョコチョコッと書き込みするかも知れませんが、モンダイは
「自分で書いたモノを自分で読めないこと」なのよ~。(涙)

運天ボタ棚2011年11月20日 06:14

いかれちゃったパソコンは「サーバーが見つかりませんでした」の嵐である。
運が良ければ繋がる。
これでも初日の骨格に少しばかりの文字状態からはマシになっているので、私はこのパソコンの「自助努力」をほめてやりたい。
ただし書いた文章が載るとは限らない。
「運は天にあり、ボタ餅は棚にあり」である。
これを略して「運天ボタ棚」という。
知らなくてもイイ知識である。

2011年11月25日 22:19

実家に、濃いニス塗りの古ぼけた机がある。
よく言えばアンティークだが、祖父の手作りなので無骨でもある。
祖母が身ごもった時に祖父が作り、成長して父が使い、兄が使い、兄が独立してまた父が使い、いまは母が使っている。これを、今回の引っ越しの時にもらうことにした。81年物である。

この机にはひとつの秘密がある。

戦前、「平和主義者」で「労働組合活動家」として特高警察にマークされていた祖父母が、自分たちがいつ捕まってもいいように、引き出しを全部抜いた裏板に「詩」を書いたのだ。
机を継いだ者だけがそれを読める。

母が、懐中電灯で照らして、書き写してくれた。

最初の1行だけは私も知っている。
「嵐は強き樹を作る」
である。それからが、81年の歳月でかすれて良く読めないのだが、
「貧苦の暴……苛れても、支配階級……
 闘志は益々先鋭化し、最後の勝利……
 確信は……堅固となり、自由と平等……
 闘争の余暇を利して、胎内にある愛児のために
 吾が同志のもっとも良き後継者として
 来るべき新社会建設をこの机上より
 創造の一歩を発せし為に記す
  1930年3月20日 (祖父母の署名)」

父の名は「確」であり兄は「等」私は「信子」、みんなこの机から名付けられた。
もしも私に子供が授っていたなら、やはり一字もらっていたかもしれない。

SPAM記念日2011年11月29日 22:58

きょうは、小学生の頃夢中になって読んだ「アーサーランサム全集(岩波)」に出てくる「ペミカン(肉のカンヅメ)」と、大好きな沖縄料理の「ミートの缶詰」と、大好きなモンティ・パイソンの「SPAMネタ」と、「SPAMメール」といまさっき晩ご飯に食べた「ローストSPAM」がすべて同一だと理解した記念日。
まさに惑星直列!