こんなことってあるもんである2011年10月02日 06:24

(画像は「としまえん」の回転木馬)

さて、なぜ横浜に建てようとした新居が4千万円もしたのか、だが。
1・高い丘の階段途中の土地で、とにかく人件費がかかる。
2・母との2世帯住宅にしようと思ったため総面積が広い。
3・東日本大震災のせいで建材が高騰、入手困難。(木造建築の予定だった)
以上である。

特に1は大きい。車の入れる坂道だったら良かったのだが、斜面が急で階段。
資材運びは全て手作業である。これが、今の日本では一番高くつく。
(坂と階段の多い尾道や長崎に住んでいる人達の苦労はいかばかりかと思う。)

予算がいきなり3分の1に減ったおかげで、将来の貯金が出来る。(私たちの老後はちょうど「3人でひとりの年金を支える時代」にあたり、年金そのものがまったくあてにならない)
今より少し裕福に暮らせる。
考えてみたら、ありがたいことである。

きっかけは母の暮らす地域に配られる新聞の小さな不動産広告のビラであった。(新書版を少し大きくしたくらい)
「築2年、10階建ての一階、専用庭付き、ペット可」
これを土曜日の午後に見に行く約束を不動産屋としたのであるが。

午前中に見に来た家族が即決してしまった!
こんなことってあるもんである。

で、同じマンションの別の階の物件を見たのだが、そこはなんと先日老人ホームに入居した母の友人の住まいであった。
こんなことってあるもんである。

間取りが狭すぎるので、そこは流したのであるが。
翌日再び母の新聞の同じ不動産屋の広告の中に新しい物件が入り、そこが、今回決めたところである。
わずか5日で新居(しかも分譲)が決まってしまった。
こんなことってあるもんである。

人生、勢いがつくと急に運命が変ることがある。
こんなことってあるもんである。

あとはこの勢いを良い方へ持っていって、快適な生活(とにかく今の住まいは段差だらけの無茶な設計で、台所がものすごく使いづらかったので)を築くのみ。
こういうことって、あってしかるべきだと思う。

ところでこの不動産屋の広告、ユニークなことに「弊社チラシを100種類貯めた方にご希望の遊園地の1DAYパスポートを進呈」とあるのだが。
200枚貯めてドッコイ氏と「としまえん」にでも行こうかしら(笑)。

先日、一方的に東京都が「つぶして災害避難地にする!」と言って、経営者側は「そんな話聞いていません!」というゴタゴタがあったばかりの「としまえん」であるが、(こんなことってあっていいのか?)あそこの回転木馬はドイツ製で百年以上経っている極上品である。
東京都っていきなり高飛車に何するか分らない都市だから(前回のオリンピック誘致に血税150億も使って、こんどまた立候補するので、オリンピックの空振りに300億円使うんだわ。そんなゆとりあったら、東北を支援しなさい石原都知事!)今のうちに行っておこうかしらと。
こんなこともしてみたいもんである。(笑)

他己紹介2011年10月05日 09:45

あんまり「他己紹介」というものを書かない。
舌っ足らずな筆だし、なによりも紹介される側にとって
「意にそぐわないトンチンカンな事」
を書いてしまって、先方にかえって迷惑をおかけすることがあるかも知れないからだ。
私の着眼点は他の人よりぶれていることが多く、書かれた人も困惑するだろうと思う。
しかし「他己紹介された」事はあるぞ、しかも私の兄貴からだ。
     
兄貴に言わせると私は
「まんまる眼鏡の小柄なおばちゃんです。
目だけが異様に輝いています。 
今し方敵陣に切り込んで血刀下げて壕に帰ってきた『夜戦切り込み隊長』か
『アメリカ大使館玉砕占領に向かうヴェトコン』です。
会わない方がいいです。」

なんですって!
何者なのよ、私!!(笑)

事の顛末2011年10月06日 12:04

人生というものはホント不思議なものである。
人にも家にも状況にも、突然変る瞬間がある。
母が何気なく
「この間からこんなチラシ何度も入っているのよ、なかなか買い手がつかないのね。」
と見せてくれたのが、たった1日の午前・午後でいきなり明暗を分けた一軒目の物件。
母の家からはちょっと遠かった。

で、不動産屋が代わりにと紹介した2軒目は、表札を見て(まだ名義は正式には替わってなかったからね)母が
「あら、○○さん!?」
とビックリ。古くからの友人宅であった。
彼女は『終の棲家に』とこのマンションを買ったものの、急に体が悪くなって、老人ホーム入りして1年半。
結局狭かったからこの物件は流したけれど、まだ老人用柵付きベッドや食器棚が残っており、母にしてみれば、新居に越して、すぐにそこから老人ホームに移らなければならなくなって1年半、会いに行ってはその人が弱っていくのを見ているから、後から考えると辛かったようだ。

で、次の日
「こんどはこんな『新しいチラシ』が来たわよ」
と言って見せてくれたのが3軒目の安打となった。
2アウトからヒット出塁。一目で気に入ってしまい。
ドッコイ氏を連れて行ってもう一度ヒットが出た。

3日前に仮契約を済ませた。
これで満塁である。
今までがずっとああでもないこうでもないの膠着状態だったものだから、こんなにスイスイ話が進んでしまって、不思議な感じだ。

ここで思ったのだが、ドッコイ氏は半休をとって、出勤姿で不動産屋に行ったのだが。

………かっこいいっ!

いや、決して男尊女卑ではないのだが。
スーツ姿で背筋伸ばして、契約内容の読み上げを聞き、質問をし、ビックリするほど多くの書類にサインをし、ハンコを押し。
そのいちいちがキリリとして、「様になる」のだ。
さすが発祥の地ロンドンに「セビロー通り」という地名が残っているわけである、「背広=スーツ」はホワイトカラーの男の戦闘服なのだ。

考えてみたら私は学校を出てから1年8ヶ月の会社勤め(まあカタギってことさ)の間も力仕事と接客業の半々で、『オフィス』という聖域とは無縁、その後は漫画家兼イラストレーターでお行儀も着る物もなんの制約もない世界で食ってきたのであるからして。
(その代わり、原稿料払ってもらえなかったり、勝手に値下げされたり、クライアントに逃げられたり、いきなり連載打ち切られたり、女一匹、生き抜いてきましたよ。ええ。完全にぼけちゃった養母の介護もやったし。)

自分の夫が、こんなにスーツが似合う人だとは思わなかったなあ。

もう少しだけ残っているというリフォームが済んでしまえば本契約、本塁踏めるよ、ってカンジである。
もっとも今のガラクタ御殿を手っ取り早く引き払うのにどんな策があるのかという大問題にはふたりともまだ腕組み中なのだが。(これが一番手強い・笑)


人間どう頑張っても産まれ方と死に方だけは自分の意志では選べない。
(「ホスピス」は別として)

私は頻脈なので、「象の時間ネズミの時間」(中公新書)によると72歳で死ぬことになり、あとは長生きできればそれは人生の宝物の時間だ。
心穏やかに、楽しく生きたいものである。

親は6人おり(養女のため)、そのうち4人は他界したが、5年間老人ホームで過ごした養母、親戚に引き取られた、そのパートナー、2年半実家で寝たきりだった父、一日で逝ってしまった義父、と人生の終わり方はさまざまだった。

しかし、だからこそ「快適に心安らかに生き抜くこと」には積極的に努力したい。
そんな思いで、住まいを選んだ。

日本では福祉の充実した北欧などに比べて、年をとってからの人生に「お金のあるなし」がものをいうのが悩みのタネである。
我が家は裕福ではない上にふたりとも決定的な病気を持っているので、選択肢は限られてしまう。

その限られた状態の中で、最善の人生をまっとうしたいものである。

ドッコイ氏アフリカ行きです2011年10月07日 02:54

会社にいるドッコイ氏からお電話。いつになく真剣な口調。
「あー、仕事で11月1日から12月11日までアフリカに出張することになりました。」
ああ、新居の本契約が11月30日までで、「その間にセッセと引っ越しの準備をしておこうねっ!」て言いあっていたのですが、いきなり41日間の空白。

10月は、法事が2件、泊まりがけの催し物が1件、私の「呑み」(久々だ~い!)が1件、知り合いの造形作家さんの個展が1件で、土日ほとんど埋まってるんですが。

11月末の契約までに馬力かけて何とか年内に引っ越そうね、と言っていたのですが。

12月の11日に帰国して、その仕事の後処理やって、あららお正月だ、粗大ゴミも出せやしない。

「冷蔵庫(いっぺん壊れたのを修理して使っている16年選手)と2槽式洗濯機は買い換えなきゃね。」って言いあっていたのですが。
大型家電店の新春大セールにかけるのかな、今度の家は1階だからクーラー2台買う予定だし、フローリングにガス暖房だからカーペットも注文工事しなくちゃならないのに。
あ、冬の引っ越しだからガスファンヒーターも3台買わなきゃ。

本契約は10月中、出国の前に済ませるとして、新居の維持費・管理費・水道電気ガスと旧居の家賃と水道電気ガスの2重払い、いつまで続くのかな。
私は自分のものは片付けられるけれど、ドッコイ氏の6畳間はパソコンと座蒲団のコーナー以外全部ダンボール(の中に入ったガラクタと本)の山積みで、ドッコイ氏以外には絶対手出しできない。

さて、私たちは何月に引っ越しを終えることができるのでしょうか?

あなどれない!スナック亜紀子2011年10月08日 01:03

いや、実家に行く途中の道筋にあるんですけどね、この店。 何がすごいって、ネオンアニメの完成度がハンパじゃない! ドッコイ氏が夜に撮影してきてくれたんで(しかし、道の看板を夜中に三脚構えて撮影してるって、かなり不審な図だな・笑)載せます。 「素敵な夜を 貴方と是非・・・」の「・」の出方といい、 「ジンロ(VSOPとかいっときながら、けっこうローカル)サービス」の「ジ」の字が逆さに出てくるところとか、 「シャウトしているポニーテールの女の子が瞬きしてるとこ」とか。 イラストレーター3人は(タッチが違う)起用しているとことか。 地元はとってもあなどれないのでございました。

アラジンの魔法瓶2011年10月08日 15:13

先日、若い友人がアラジンの携帯魔法瓶を買った。
昔と変らぬ赤のタータンチェック柄である。
これは上等でロングセラーの印。
私が中学・高校と横浜の、港のそばの女子校に越境通学していた頃の必需品であった。

寒い多摩丘陵から朝星夜星、朝5時半起きの毎日である。
お昼は地下の用務員室で給湯器のお湯を各クラス大きなやかんに2つもらって、クラス費で買った緑茶を飲むのであるが。
みんなそれぞれにカップを持っていて、「玄米茶」を買うと修道女に「贅沢はいけません」と叱られた・笑。

小ぶりな魔法瓶にはいつも薄甘い紅茶を入れていった。休み時間や放課後に飲むのである。
各階にウォータークーラーがあったのであるが、遠距離通学の私には深い休息が必要だった。

よく友人たちと飲んだ。飲みながらたわいもないおしゃべりをした。
高等科に上がる頃には悪知恵もついて、制服のジャケットの内ポケットにミニチュアボトルのミントリキュールやブランデーをしのばせて、紅茶に落として飲んだ。
場所は人目のない塔の上り階段や、港を一望できる屋上だったりした。
「持ち物検査」などという発想のない、おっとりした学校であった。

コーヒーを持っていくときは移り香があるので、別の焦げ茶色の魔法瓶を使い、これは今考えるととんでもない事であるが、早朝の生徒会室で飲んだ覚えがある。
先輩方と、授業前に、ウィスキーを垂らして飲んだ。
とんでもない不良生徒であるが、木を隠すには森の中、まさか生徒会室で、ミニチュアとはいえ、ウィスキーのボトルが回されているとは、学校は毛ほども思わなかったであろう。
なにしろ先輩方は学年トップの成績を誇る秀才揃いであったのだからして。
(私はナゼか上級生からものすごくかわいがられたのであった。「変わり者」だからであろうか・笑)

36年選手の魔法瓶は今も堅固で、実家で煮豆を作る時の、豆のふやかしに使われている。
私の手から母に渡り、そしていつかは、また私が使うのであろう。

しっかりした造りの上等品は、日割り単価にしてみればとっても「お安い」のである。

朝顔や2011年10月10日 07:01

この夏は、「空中栽培」にチャレンジ!のカボチャが酷暑のあまり早々に昇天してしまい、代わりのグリーンカーテンにと朝顔を植えたのであった。
しかし、ベランダの手すり沿いに上って、物干し竿に取り付けたネットに誘導しようとしたのが、ナゼかこの朝顔、排水溝沿いに(エアコンから水が出る)地を這ったり、手すりの同じ所をぐるぐる回ったり、で、ちっとも「上に行こう」という意志がないのであった。
よって私は毎朝下を向いて朝顔の花に「おはよう」を言い続けた。
というか、はや「体育の日」の今日も、咲いているのである!
ナゼか枯れない、朝顔や。
そろそろ世代交代してビオラの苗を植えたいのであるが、望みかなわず。
だって、必死で咲くんだもの、1~2輪でも咲き続けるけなげさに、私はこの大半は枯れてきた朝顔に、世代交代を申しわたせないでいる。
ああ、涼しい今朝も、薄紫に(最初は大輪の濃い紫であったのだが)小さな朝顔が「おはよう」と咲く。

「カーネーション」とみかん山2011年10月11日 14:18

NHKの連ドラ「カーネーション」を愉しく観ている。
これはNHK大阪制作の「ふたりっこ」「ちりとてちん」以来の大ヒットなるか、という予感。
ただし「それ(恐くて打てないけれどボ○ンのことよ)恐怖症」の私は、オープニングの動画で出てくると目を伏せなければならないのだが(笑)
(ホント、Yシャツの「それ」が雨に濡れた歩道なんかに落ちていると、踏むはおろかまたぐことも出来ず、半径1メートル避けて通るくらいである。中高の制服はジャンスカだったのだが、ブラウスの「それ」が貝製だったので助かった)
結婚にあたり、そのことをドッコイ氏に告白し、
「たとえどんな夫婦げんかをしているときでも「それ」がとれたら針と糸持って、貴方がつけてください。」
と真剣にお願いしたくらいだ。(その誓いは今も守られている。もっとも最近の服は堅固で、とれたことは一度しかないのだが。

いかん、話題は「カーネーション」であった。
越野糸子さん(デザイナー、コシノ三姉妹の母)がモデルである。
この方の人生は私は知らないので、これからじっくり楽しませてもらおうと思うのだが、コシノ三姉妹の物語は舞台で観ている。(池端真之介さん、萬田久子さん、牧瀬里穂さん)
池端真之介さんが長女の役で、
「現代の女形として演じ続けていきたい。」
というようなことをパンフレットに書いていらしたのが記憶に残っているのだが、糸子さん(母)の役は赤木春恵さんであった。
エンディングで赤木さんが三姉妹と横並びで4人ミシンを踏んで、
「コシノの女はミシンを踏むんや。何があっても、どんなに辛いときでも、ミシンを踏むんや。」
と言うセリフを力強く語るのが印象的で、あれはいいエンディングだった。

舞台は昭和の始め、和裁盛んなりし頃、呉服屋の娘糸子(大正2年生まれ)が「ミシン」と出会い、洋裁に目覚めていく、という、そこからの人生劇である。

養母は明治四十年(それより7年前)生まれであるが、愛媛の実科女学校(家政科専門)から、隣町にある高等女学校に移った頃である。
実科女学校では和裁しか教わらなかった。
当時、地元に住む(田舎町である)先見の明のある女性が「ミシン」を購入して、洋裁を教え始めたという。すごい人気で、田舎町は借りたミシンで縫った「アッパッパ」(暑い所である)」であふれたという。
「ミシンはみかん山一つと同じ値段もしたんじゃ。おまえ、みかん山とミシン1台と、どっちが値打ちがあると思う?」
というのが、いつもの養母の謎かけで、私は迷わず
「ミシンだと思う。みかん山は人の手をうんとかけなければならないけれど、ミシンはそれ1台で食べてゆけるから。」
と答えていた。
養母はいつも答えを出さず。
「ふうん。」
と言うだけだった。

55歳年の離れた養母は、日本画家だった。
私も幼い頃から絵心に目覚め、養母と、同じ日本画家のパートナーに、
「日本画を教えて下さい、弟子にして下さい。」
と言い続けたのであるが、ふたりとも笑って
「私たちは明治・大正の日本画を紡ぎ続けているだけ。あなたは若いのだから昭和の日本画を学びなさい。」
と言うだけであった。紙とかパステルとか、画材は惜しまず与えてくれたのだが。

長じて私は学校で美術を学ぶ機を得、迷わず日本画を選んだら師が中島千波先生という大ラッキーを射止めるわけなのだが、
「あら、(中島)清之さんとこの末っ子?あれは小さい頃おもしろい子だったわねえ、描いてる絵もおもしろいし。せいぜい励みなさい。」
と言われた。中島清之さんは日本美術院の同人(幹部クラス)で、一時同じ土地に住んだ住んだ事もあり、ふたりは千波先生の幼い頃を知っているのであった。
学んで分ったのだが、洋画はカンバスに塗るところから始まるのだが、日本画は紙を作る(ドウサ引き)から始まる。そのドウサも手作りである。
ものすごく手数をかけて、やっと絵筆を取れる。微妙な工程の連続である。
養母とパートナーは、それ以上に手間をかけて、昔ながらの技法を守っているのだ、教えてくれなくて当然だ、と思い知った。

最後に私はパートナーから「私の弟子におなりなさい」と宣言され、小林古径先生の孫弟子、ということになるのだが、養母も数えたら「安田靫彦先生の孫弟子」と言うことにもなり、
「肩書きだけは『古径・靫彦・千波』三揃い」
という信じられないゴージャスさである(笑)。

しかし、私は「みかん山とミシン」を問い続けた養母の気持ちが少しだけ分るようになった。
養母は明治・大正の日本画、「みかん山」」を選び取ったのである。

「カーネーション」は半年間私を楽しませてくれるだろう。
わずか7年という幅を持ちながら、私は「もう一人の養母の姿」を、このドラマに追い続けるに違いない。

実は離読症のエッセイ好き2011年10月13日 05:09

ものすごく困ったことなのだが、私は離読症のケがある。

中学の時発症して、小学生の頃は毎月3冊買ってもらっていた「岩波少年文庫」が、「岩波新書」にスライドしちゃったのである。
漫画は読めたし(中学1年で友人と「横山光輝・水滸伝全巻」と「萩尾望都・ポーの一族&トーマの心臓全巻」を取り替えっこしたのが漫画家になるきっかけだった)森有正さんの経験論哲学はどっぷりはまって読んだのだが、小説だけなぜかパッタリ読めなくなった。

代わりに「失われた動力文明」とか「アラビアの医術」とか「ウンコによる健康診断法・カラーガイド付き」とか「あなたもできる喫茶店経営」とか(高校生で!・笑)、岩波から光文社まで、手当たり次第新書を読み、それに世界地理・美学書・画集・写真集・物理学書・ルポルタージュ・ドキュメンタリー・哲学書・宗教書、と、小説以外はなんでも手にとった。

大学に行って、古本屋で見かけた辻邦生さんの「回廊にて」を何気なく手にとって、また小説が読めるようになったのであるが、以来、読める時期と読めない時期がはっきり別れている.

今は読めない時期で、ケストナーの「5月35日」を手にとっても、気分が悪くなり、本棚に戻してしまう。何も頭に入ってこない。代わりにエッセイ、「向田邦子との二十年」(久世光彦)をゆっくり、読んでいる。

新聞もそうで、今はほとんど目を通せない、が、気合いを入れると最低必要限はなんとか目が拾える感じ。
いっしょに取っている「AERA」もざっと目を通すだけ。
そのくせ本屋に「ハインリヒ・ベル短編集」を注文したりしている。

本の山は積もる一方で、もう普通の人の一生分以上あるのではないか。

その荒れた読書歴の中で、エッセイ、これだけは途切れなく読んできた。

ちょうど中学2年の時に木村治美さんの「黄昏のロンドンから」が出て、今や大学名誉教授の木村さんだが当時は2児の母、専業主婦の視点でロンドンという都市での生活、イギリスの文化、歴史などが柔らかい言葉で書かれたもので、画期的だった。
夢中になって読んだ。

カタブツの英文学者などの反発はすごく「たかが一主婦の分際で」と「これぞ正統派ロンドン!」と言う本が次々と出たが、どれもやたらもったいぶっているだけで新鮮な視線というものが微塵もなく、つまらなかった。
その時、確か青木雨彦さんだと思うが
「主婦がエッセイを書いてベストセラーになったからといって驚いてはいけない。千年前には蕎麦屋の娘の日記がベストセラーになっているのであるからして。(更級日記のことよ・笑)」
と、上手く揶揄して、論争に終止符を打っている。

どこかの「子供相談室」で
「さくらももこさんのような有名なエッセイストになるにはどうしたらいいですか?(私はさくらさんのエッセイは初期の2冊しか読んでいないので、今有名かどうかは知らないのだが)」
の答えが
「まず別のジャンルで有名になることです。」
だったのには、笑えた。

私の「主成分」は、田辺聖子さん、永六輔さん、なだいなださん、森有正さん、島村洋子さん、向田邦子さん、青木玉さんなどなどのエッセイで出来ている。
いずれも「高手」であり「巧手」な方々なのが、ラッキーだった。

足元にも及ばないのだが、一ブロガーとしては良い巡り合わせだと思う。

予防接種と大将のコレクション2011年10月14日 07:46

きのう、都内の国際医療センターにアフリカ風土病の予防注射を打ちに行ってきたドッコイ氏。
これがマイナーな土地のマイナーな病気になるとになるとパリのパスツール研究所になる。さすがパスツール、何でもあるでよ。アフリカにはまずパリ経由で行くので、中継点で助かっている。
予防接種が顔を出すと、「そろそろ出張も近いなー」という感じ。

オーストラリアを除いて全大陸制覇しているドッコイ氏であるから、もう何も言わない。
でも、言葉には出さないけれど、おなかこわしたりしないか、急な温度差で風邪引いたりしないか、という不安は毎回つきまとう。
ましてや、戦争、民族対立、宗教対立、国境紛争、テロ、暴動、山賊、地雷、外国人誘拐、等々のことを考えるときりがない。
行くのはたいてい危険な国である。というか、日本の治安が良すぎる、ということだが。

湾岸戦争にもイラク戦争にも巻き込まれている、という「当たり運」の強さなので、年末ジャンボ宝くじ買ったら当たるかもしれない(笑)。まあ、買わなければ当たらないけど買わないからハズレないものであるからして、我が家では「射幸心の無駄遣い」はしないことにしているのだが。

ところで私には、遠い親戚にお寿司屋さんがいる。奥さんの方が親戚なのだが、そこの大将はかわった人で、変な物のコレクターである。
いっぺんみせてもらったのが、「末尾0番から百枚揃った宝くじの額縁」。
思わず「当たってるのあるんですか?」と聞いてしまって、いやぁ、失敗失敗。あったらとっくに換金しとるがな。
いきなり押しかけたのに、お寿司に天ぷらお腹いっぱい食べさせてもらったお礼に後日送ったのは
「週間大衆ロゴ入り・女体ヌード彫り物テレカ3枚組」(忘年会で引き当てた)
ものすごく喜ばれて、わざわざお礼の電話がかかってきたな。
「こういう『レアもの』だったらいつでも大歓迎ですよ。」
と、大将ものすごく喜んでた。ロゴ入りは「レアもの」なんだそうな。(知らなかったよパトラッシュ…)

ウチのドッコイ氏は「週間大衆ロゴ入り・女体ヌード彫り物テレカ3枚組」よりはるかにレアものだぞ!と、妙なところで気張ってみたりしている、変てこりんな私である。