老女撥ねらる2011年09月08日 16:37

以前、養母の家を片付けていたとき、押し入れから湿気取りの新聞紙が出て来た。
「本日旭区(横浜市)発足」がトップだから40年昔の新聞である。
一面のありがたいことは、ひっくりかえすと社会面になっていることである。
「老女撥(は)ねらる」という見出しで下の方に小さく交通事故の記事が載っている。
さて老女と言うからには腰の曲がったおばあさんかと思ったら、52歳の女性であった。
今だったら婦人団体から抗議が来るな。

私は母方の祖母の顔を長いこと知らなかったのであるが(なにせ戦災で丸焼け)、昨年親戚のつてを頼って、やっとご対面した。
1961年に60歳で、病で逝っているから、それ以前の、50代後半の姿である。
が、これがどう見ても立派な「お婆さん」なのである。
白髪まじりの結った髪、和服、柔和な顔のしわ、パーフェクトに「お婆さん」しているのである。
たぶん初孫が生まれた時だから56~7歳。

これは久世光彦さんの「夢あたたかき」(現在は「ふれもせで」と合本で「向田邦子との二十年・ちくま文庫」になっている)にも似たようなエピソードが出ている。

私は現在49歳だが、「年」を感じると言えば、車のナビ席日焼けで左側だけできた顔のシミがとれないくらいで、老いたと言う実感はない。
あと半年後、50歳で「老女撥ねらる」なんて新聞に書かれたら、抗議するぞ(笑)。

この40年、いや正確には敗戦後の66年間、日本人は平均寿命を延ばしに延ばしてきた。
「定年65歳説」がとりざたされるくらい、「人間五十年」の余命は長い。

養母の家の跡地に球根を植えに行ったら、スーパーの袋を下げた見知らぬ年配の男性に声をかけられた。
聞けばすぐ御近所、ちょっと奥まったところに住んでいる人だった。
「2ヶ月前に妻に先立たれましてね…」
誰でもいい、誰かと言葉を交わしたかったのだろう。
「むさ苦しいもんです、じじいの一人暮らしなんて」
と、苦笑いした、そのスーパーの袋は透けなくても分る、ペヤングソース焼きそばで一杯。
ああ、この人は自分で料理出来ないんだな、それでは味気ない、寂しい一人暮らしだろうなと思った。
私の周りは、父は三宅島暮らしで料理を覚え、兄は山男なので自然と料理が出来、ドッコイ氏はボーイスカウト育ちなので鳥一羽さばける腕前である。

ツレアイをなくしてからの夫婦の平均余命は、女性が十年、男性はたった二年である。

厳しいものである、生きてくということは。

私は普通の人より心拍数が多いので、たぶん平均寿命まで生きないだろう。
のこされたドッコイ氏が、糖尿病と一病息災、あ、心臓もあるか、二病息災で長生きしてくれることを祈るばかりである。
なんと言っても彼の作るオックステール・スープは絶品であるからして。
老後も「料理名人のじいさん」として長く生きてちょ。

私には夢がある。
私を失ってからの彼の食生活を写真を交えた料理本にまとめ、解説を書き、「男やもめのクッキング入門」という本を企画し、出版することだ。
しかし、その時私はこの世にはいないのである、あぁ!