さっちゃんっっ!!!!2009年06月07日 02:52

行ってきました市民ホール!
ナマさっちゃんこと「小林幸子コンサート2009」!!
キャパ900弱の小さなホールですが、「紅白の衣装やります。」と。
しかもなんと2つ、「ペガサス」と「火の鳥」ですぜ(笑)。
「火の鳥」はもうライトすれすれまで上がるので、熱いだろうなー。

小林幸子さんは、歌のうまさもピカ1だけど、とにかくサービス精神旺盛な人なのね。会場全体のお客さんを少しでも喜ばそうと「話術」がスゴイ。
差し入れタイムには会場中から続々一升瓶とビール券が(笑)。
「紅白さっちゃんまんじゅう」にさっちゃんのど飴に(これは大好きな人にプレゼント用)、オリジナル切手(ファイルつき)もあるでよ。笠置シズ子の「買い物ブギ」も盛大に歌ってくれたし、ドッコイとふたり盛り上がった2時間でした。次回も絶対行こう。
次回検討中は秋の「石川さゆりコンサート」であります。

下駄の上の卵2009年06月10日 19:42

死んだ父の夢を見た。
それは私が小学校に上がったばかりの頃のイメージで、会社から帰って、晩、浴衣に兵児帯を締めていた。
今のお若い人の感覚ではちょっとわかりにくいかも知れないが、1962年生まれの私にとっては当時「外働きの男の人が勤めから帰ってきて、夜寝るまでの部屋着」というカンジであった。

団地の5階の玄関には、音がうるさくてもうそんなもの履きゃしないのに、中学校頃まで父の下駄が揃えてあった。
世田谷区の祖師谷に暮らしていた頃は、普段履きだったものだ。
カラコロカラコロ鳴らして、アスファルトになったばかりの道を歩いていた後ろ姿。

私の文章書きは「父の校正係」から始まった。
それまでも中高で年に1度の読書感想文コンクールの常連ではあったし、小論文も得意だったが、自分からすすんで何かを書こうとは思っていなかった。絵と漫画を描くのに夢中だったから。
それが(パソコン通信の時代)父が会社を退職後、三宅島の別荘での農業生活をエッセイとしてシリーズで書く事になって、何せ理工系一筋で情緒性なんてまるでないので、元新聞部員の私が校正していたのだ。

そうこうしていくうちに私は、パソコン通信での「エッセイコーナー」への投書や他人の文章へのコメントがそのパソコン通信社の目にとまって、自分のフォーラムを任されるようになった。(「お座敷ターザン」という)
養母の介護にかまけて等閑にしているウチにパソコン通信の時代が終わり、今度は「抜刀質店」というサイトを持つようになった。そこも病気で書いたり書かなかったり。
父の文章書きもパソコン通信時代で終わった。

校正係としての私はかなり厳しかったと思う。
「頼むから最後まで読んでから赤ペンを入れてくれ。」
という父の声すら完全に無視して(今にして思えば可哀相だったが)「てにおは」や語尾のパターン、助数詞など、がんがん手をいれていった。
とにかく下手なのである。全然おもしろくないのである。
理論的には正しいが、元エンジニアの悲しさ、メリハリが効いていないので、電気ごたつがラジオ体操しているように(こういうたとえが全然ない)ギクシャク堅っ苦しいのである。「起・承・転・結」や「起・承・転・転結」がまるでない。
それを動かしたのが私で、まぁ「編作者」のようなものだったと思う。
しかし「父の文章」を叩き台に、自分の作文法を磨かせてもらった、という点では、父は私の教師兼生徒だった。

井上ひさしさんの影響か、私は自分が「父の下駄」の上にポンと置かれた卵になった夢を見た。居心地はわるくない。

ここを起点に、ひとりで歩き出さねば。

あぁ、DVD三昧の日々2009年06月16日 09:38

笑っちゃうほど太って6月も半ばである。(薬の副作用ってホントこわい)
そんな中で、DVD「寺内貫太郎一家」と「女浮世・絵紅之介参る!」を交互に観ている。面白い。特に「紅之介」は1974〜75制作なので、エンディングテーマに「イェイェイェィエィ〜♪」が入って、それがまた似合っていて笑える。
世は「イェイェ」ブームだったのね。
小川真由美さんは、好きな女優さんだ。
彼女は時代劇が主だが、「会いたくて」という現代劇をTVでやったことがあって、娘・荻野目洋子さん(孤児院育ちで、親友の井森美幸さんと同居して、東京ドームでビールの売り子している)のお母さんで、ヤクザに追っかけられて、拳銃バンバン撃っちゃうようなヤサグレ役で、それがとても美しくて、カッコよかったことを覚えている。
「紅之介参る!」では、蘭方の女医さんから男装の麗人剣士までなんでもこなしちゃって、すっごく色っぽくて可愛い。(どこでどう着替えているのか、髪型はどうなってるのか、とか、必殺の武器「独楽」を廻すんだけど、じゃ独楽まわす紐はどこか、とか、お約束の謎がてんこ盛りでおもしろい。)

それと、友人と電話で話をしていて、小林聡美さんの「すいか」(BOXで持っている)をまた観始めた。飲み屋「泥舟」のマダム、もたいまさこさんがイイ味出している。(この友人の薦めで「かもめ食堂」を注文した。楽しみ、楽しみ♪)

「大岡越前1」も観たいな、(実はこれもBOXで持っている)「神はサイコロを振らない」もまた観たいな(これも持っている)、「ちょっとマイウェイ(桃井かおりさんと研ナオコさん・これも・・・以下同)」も観たいな、やっと出たモノクロの「アイ・ラヴ・ルーシー(以下・・・笑)」も観たいなと、ダイエット運動もせんと、DVD三昧な日々である。
おまけに「清水ミチコのお楽しみ会・リップ・サービス」がもう、ものすごい良い出来で、おもしろくて何度も観てしまって、困った、困った(笑)。

只今執筆中!2009年06月18日 18:31

6月の28日に損保会館で開催される「江戸桜6」に向けて執筆中である。
と、いっても脳炎の後遺症は思いのほかキツく、ペンが上手くストライクしない。
このままでは新刊落ちのピンチである。困った、困った。

漫画の神さまは私に「もうリタイアしなさい」と言っているのだろうか?
何度も、刃物の事故で聴き指の腱を切ってしまったり、交通事故にあったり、そのたびにリハビリして、なんとかカムバックしてきたけれど、今回は相手がさすがに「脳」なだけあって、厳しい。
先日古い知り合いが20年くらい前の原稿を「預かったままで返し忘れていました。」と送ってくれたけれど、その線の細いこと細いこと、迷いのないこと。プロになって足がかりの掴めてきた頃で、「描く」ということになんの迷いもない。「あー、私にもこんな時代あったんだー。」ってカンジである。
プロとしての作品の原稿は、主に「社外持ち出し禁」の金融関係のマニュアルだったので、資料の返却も厳しかったし、こちらには完成品も肉筆原稿も戻ってこないものばかりだった。
「食卓の王様2(NHK・双葉社)」が、上手くいくとBOOKoffで手に入る程度か。
あんなにこなした少女小説のカバーや挿絵は本人手元に一冊持っているだけである。キムタクや袴田さんの青春ドラマのノベライズは、ファンレターがすごかったが、なくしてしまった。

仕事というのは移ろいゆくもので、その場その場の手応えを記憶の隅に、まっさらな白い紙になった気分で今日を迎えなければ、なんにも見返りなぞないものだ。

「描くことは喜び」
これが私の人生のテーマだった。それは今も変わらないけれど、職業としては「描く→書く」へとシフトを迫られる時期なのかも知れない(離読症なのに!笑)。

目性(めしょう)2009年06月22日 01:07

小さい頃から目性は良いらしく(ド近眼で乱視ではあるが)5階に住んだら俯瞰図を勝手に発見してしまったり、映画「炎のランナー」ではスコットランドのスタジアムにいたおばあちゃんがなぜパリオリンピックの観客席にいるのか、とか、「目」が勝手に楽しんでいるらしい。
今日も「淋しいのはお前だけじゃない」(市川森一脚本)のDVDで、喫茶店の手前に主人公格が談話してて、その奥一瞬で泉ピン子が「寺内貫太郎一家」(向田邦子脚本)を観ているシーンを発見。(人の隙間に小さく映る)
何の役に立つというわけでもないけれど、楽しい。

マイケル2009年06月26日 21:26

マイケル・ジャクソンが死んだ。享年50。
幸せな晩年ではなかった。アメリカの歌謡界は、エルビスといいオースティン・レディングといい、トップスターにはあんまりいい死に方がないようだ。

モダンダンサーの友人がいて、彼女が留学していたとき、ビルの別のスタジオで「格の違うレッスン」を1ヶ月したいたグループがいて、それが「スリラー」のオーディションだったという。「世の中上には上がいるもんだ」と感嘆して帰国した。

「スリラー」の頃のマイケルは、肌の色も黒いし、ちりちり髪で、「いかにも黒人」だった。それが裁判沙汰になる頃は色が奇妙に白くてストレートヘア。お付きのガードマンに日傘を差し掛けてもらって、「あんたそんなに日光怖いか」。だった。

彼は何者になりたかったのだろう。

「マイケル・ジャクソン現象」(新潮文庫)という優れた黒人芸能誌の本があって、友人に貸したきりなので、こんどアマゾンあたりで探してみよう。

江戸桜62009年06月30日 09:18

かなりな降りの中、「江戸桜6」に行って参りました。
(新刊落っこちてるのに・笑)
いや〜楽しかった。お隣はいつもの「藤屋」さんで、中桐ちゃんが雨で来られなかったのが残念無念だが、アキヒコさんといっぱいおしゃべり出来たし。
ナゼか「おっぱいがいっぱい」が好調にさばけて、んならもちっと担いできゃよかった。(当日の運び屋はいつもの如くドッコイさん。)

藤姉さんに着物姿のナマ写真(!)もらう。美しー。(大切なものは、i Book ・G4の下にしまい込む習性いい加減やめなさい。モズの早贄じゃないんだから笑)。途中から伊辺さんも合流し、たいれるさんも加えて5人、お茶の水の沖縄料理屋に流れました。藤姉さんに「殿中でござる(笑)」されて泡盛呑めなかったー。残念。(いやしかし、止めてくれてありがとう藤姉さん。)
おなじみの沖縄料理に加えて、あま〜いマンゴーの天ぷらなんて面白いものを食べてしまった。世の中広いね〜。熱々でおいしかったです。

毎度思うのだが「江戸桜」は居心地が良い。雰囲気(空気)が良いというのかな、これは主催者さんはじめといするスタッフの皆さんのお人柄+参加サークルの「いつまでもサクラ好きだもんね」という熱意のたまものだと思う。
ずっと続いてくれると良いな〜。